【駄文】アオハルだったかも
青春という言葉については、様々な名言がありますので、私ごときが何かを申し上げることは控えたいのですが、今回はバジルさんの記事を拝読して、何やら「甘酸っぱい」ものが込み上げてしまい、
「あれは、アオハルだったのかも知れない」
と感じましたので、御礼がてら駄文を綴りたいと考えています。元記事はこちらです。
この文章は日常的な話なのですが、問題は「場所」と「写真」なのです。2010年4月~2012年3月まで、東京都中央区湊という西に東京駅、北には人形町、南には築地、東には佃という、東京でも下町情緒が残るエリアに居住していた私は、朝のジョギングで墨田川沿いを走ることがあり、今回の記事の水上バスや風景が日常的な生活をしていました。
なんだか、夕方のような写真ですが、朝に撮影したものになります。
当時は40のオッサンでしたので、将来に向けた「夢」とか「希望」とか「野心」のようなものはなく、日々を穏やかに過ごしていきたいと考えていたのですが、慣れない環境で、様々な出会いを繰り返し、汗をかき語り合った日々は、「アオハル」のようなものだったのかも、と10年を過ぎて改めて感じるのです。
また、当初から2年間の「単身赴任」という予定でしたので、「かりそめの存在」であり、2012年3月には郡山に戻るという点で、東京にいることを前提として、長期的、将来的な話がしにくいということが、悩ましいところでした。それでも、予定されている2年間のうちに、自分なりに何か成果を得たいと、足掻き、挑戦していた日々、人生のうちで「一番積極的」な精神を有していたかも知れません。
当時、柔道の稽古と試合で傷めた「右ひじ」や「左足首」の痛みが、未だに残るのも、青春の痛みになのかもしれません。
そんなことを考える、きっかけをいただいたバジルさんありがとうございました。
そして、賢明な読者の方ならお気づきかもしれません。こういう話を展開しているということは、これです。
この物語に登場する「木元」という人物や描かれている情景に、当時の私の心情的なものが反映されているという、宣伝でした。
特にお気に入りなのが、「木元」が墨田川沿いを歩く場面、中央大橋を見上げる場面なのです。結果として、このあたりの場面が、羽海野チカ先生の漫画「3月のライオン」のオマージュみたいになっているのもお気に入りなのです。
これ、1刊の表紙ですが、主人公の背景にあるのが「中央大橋」であり、「墨田川」です。漫画では明確に示されていませんが、シチュエーションから、この主人公が居住していたエリアに、私も居住していたことになります。
そして、note街のアオハルと言えば、この方
「あおはるおじさんに最近絡んでないなー」という気持ちもあり、あおはるおじさんを釣り上げるために、タイトルは「青春」ではなく、「あおはる」を使用しました。どこぞのカップラーメンの影響ではないことを申し添えます。あおはるおじさんは、先日フィッシング詐欺に遭いそうになったとのことです。私も気をつけるといたしましょう。
なお、しつこく宣伝しますが、この電子書籍、今月は1冊も売れず、1ページも読まれていない状況が続いています。皆さんに「御礼」を言いたいのですが、なかなか機会が訪れないのが残念です。