TRPG「カタシロ」をプレイして自分の人生が救われた男の話
先日、ご縁がありまして「カタシロ」というTRPGをやらせてもらいました。お相手してくれたディズムさん、ねるさん、ありがとうございました。
いったん致命的なネタバレは避けて感想を書きますが、ゲームの性質上、わずかなネタバレも今後のプレイに影響してしまう(一生プレイできなくなる)ので、未プレイの方はご注意ください。
TRPGってなんかクトゥルフへの理解とかロールプレイとかサイコロ振りのセンスとか色々試される印象があって難しそうと思ってたんですが、今回は「お前がお前としてただおしゃべりすればいい」という風に聞いていました。それだけで成立するTRPGが「カタシロ」なのだ、と。そんな魔法みたいなことある?と思ってたんですが、本当にありました。ディズムさんは魔法使いだった。
配信でも言いましたが、お話のテーマがことごとく僕好みのもので最高でした。なんなら昔から常に酒飲んでそういう哲学的な話をしたいという欲求を抱えており、隙あらばそういう話を挟みこもうという邪心を胸にゲーム実況とかインターネット配信をしてきた人間なので、「そういうことを話すゲーム」なんてものが存在することが青天の霹靂でした。まさにこれがやりたかった。カタシロをナンバリングで20000まで作ってほしい。
ちょっとメタ的なことを言うと中盤くらいから話の大まかな構造を察してしまい、そのせいで一部失言なども飛び出してしまいましたが、それも含めてめちゃくちゃ面白かったです。「こんなに今の自分と重なるシナリオあるんか」と驚きました。
配信見てる人にどこまで伝わっていたかわかりませんが、酒を飲むことによってギリギリ自我を保っていた男が病気で酒が飲めなくなり、無精子症も判明し、38歳にして自分の人生をイチから考え直す必要があった、というのが僕の近年の状況でした。先日のnoteでも書きましたが、そんな中で最近の僕が導き出した答えのひとつが「誰かの役に立ちたい」ということでした。
ここでも言うておりますが、「誰かの役に立つ」ということは一見利他的に見えて動機はバリバリ自己中心的、エゴのかたまりであるという自覚があります。古のネット用語でいう「しない善より、する偽善」といった考えに近い。つまり、「喜んでくれる人」という受け取り手があること、ポジティブなリアクションがあることがイコール自己の救済につながるわけです。
「そんなことあるんかなあ。俺のやってることって結局偽善だからなあ」という不安を抱えていた自分にとって、カタシロのストーリーは自分という存在が最大限の形で誰かの役に立てる、理想の物語でした。普通の人がやったらそんなんならんのかもしれませんが。
ともかく「カタシロ」は恐ろしく僕の話でした。今このタイミングで出会えてよかったし救われました。関わってくださった皆さんありがとうございます。今週も、街の巨匠に感謝。
なんで「チューボーですよ!」の締めが出てきたのかは謎
で、自分が一番手だったので終わったあと他の人を見ながらしゃべってたんですが、この手の配信は内容わかった上で見るとめっちゃ面白いですね。ゲームでいうところの「Detroit Become Human」で人の選択肢を見る面白さに近い。
ケイさんはやっぱこういうの向いてるなと思ったし、しんすけさんの特殊性はもちろん新たな一面を引き出したのもすごいと思いました。見れば見るほどディズムさん、ねるさんの対応力がすごい。なんというか、あそこまでしんすけさんに食い下がって「素の返答」を引き出そうとしている人を初めて見た気がします。ジャンルでいうと「サイコスリラー」でした。
見れば見るほどディズムさん、ねるさんの対応力がすごかったです。配信前に「M-1でいう今田耕司と上戸彩みたいな立ち位置なんですね」って言ったら2人とも全然ピンときてなかったですが、それくらい圧巻の司会ぶりでした。感動しました。
以下、ネタバレありでの簡単な振り返りとマシュマロ返信です。
カタシロ振り返り(ネタバレあり)
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