文化依存症と芸人の孤独と松っちゃんのアレ
こないだnoteのコメントで芸人の永野さんのラジオのわかりみが深いっておすすめしてもらったのを聞きました。
「映画や音楽にハマりすぎて孤独をこじらせた」というメールに対して、自分が書いたんじゃないか、と共鳴する永野さん。死ぬほどつまらねえ毎日が一生続くのは嫌だ、と思った10代。今になると真っ当な道をあるいてきた人が眩しく見えるが逆の立場になれば芸人の自分をそう見てるのかもしれないとも思う。映画や音楽でキマりすぎてしまう自分は文化依存症。絶対ろくな死に方をしない。ある意味被害者。自分もリスナーもジョン・レノンを殺したマーク・チャップマンに通ずるところがある。みたいな話。(超訳)
めっちゃわかる、という部分と飛躍しすぎてわからん、という部分が両方あり、自分が黒霧島をキメてニコ生で熱弁してるのを聞いてた人とかは多分こんな感じだったんだろうなあという感触があった。そんくらいどろどろの本心を喋ってる感じ。熱量があって響きました。
それからランジャタイ伊藤ちゃんの中野コラムが出てたので読んだ。
相方の国崎さんの著書『へんなの』は読んでむちゃくちゃ面白かったんだけど伊藤ちゃんの文章は初めて読んだ。家に入ってきた野良ネズミを飼った話、わりと奇人エピソードなのに本人の視点から書かれるとなぜかエモみを帯びるからすごい。ランジャタイ、意外にも文才コンビだった。
伊藤ちゃんも永野さんと同じ「レールから外れた人間の孤独」を抱えているタイプだと思う。永野さんは年齢もあってか少しそんな自分を俯瞰で見ている感じがあるけど、伊藤ちゃんはまだ真っ直ぐにこじらせている(謎の日本語)ように感じる。そこがいいんだ。
最近売れたり鼻の手術したり色々大変そうなにゃるらが今朝書いてたヤバイ日記もそういったよさがあった。昔はこういう孤独を抱えながら表現に向き合ってる人たち(エレカシ宮本とか)に単純に「かっけー」っていう憧れや「俺にはわかる……」みたいな謎目線での共感を抱いていたけど、自分も色々と経験を重ねて今はもう少し複雑な味わいになっている。めちゃくちゃ尊敬するけどそのつらさや苦しみも同時にわかってしまうみたいな。
でもなんかそういう存在の味方ではありたいなということをずっと思っている。「大人になる」ということは僕にとって色々なことを諦めることと同義だったのだけど、死ぬまで絶対諦められない部分というのもあるよなと(そのひとつが酒だったのだけど)。この年齢になって仕事辞めたのはそういう気持ちもちょっと関係ある。
妻に「急にどうしたん?」と言われたこのつぶやきもそういう感情を一言で言ったらこうなりました
あと今世間を賑わせている松っちゃんのアレについてもなんか色々思った。センシティブな話題なので以下鍵日記に。(いいとか悪いとかの話はないです)
ここから先は
この記事が参加している募集
こちらはただ投げ銭をするだけの「サポート」という機能です。サポートいただけた分だけnoteの活動に割く時間を増やせるので大変助かります。(メンバーシップに入ると有料記事が読めるなど多少見返りがあります!)