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昨年病院のベッドで見たM-1の思い出(と今年のM-1感想)

毎年M-1を見ながら大酒を飲んでは「お笑いってすごいんだ……」と号泣する“エム泣き”を趣味としていた者です。今年はシラフで見ました。

M-1がお笑い番組の枠を超えて一般的な認知を獲得しアナザーストーリーがウザくなって久しいですが、なんか昨年のM-1のことを色々思い出したのでちょっと書いときます。

このnoteで2兆回書いてますが昨年の今ごろは重症急性膵炎でゴリゴリに入院中で、本来なら帰れると言われていた入院1カ月を過ぎても一向に帰れる気配はなく、むしろ日に日に体が動かなくなっていく辛い時期でした。詳しいことは以下noteに書きましたが、ICUのベッドの上で痛みと高熱に浮かされながら週に何回も人工透析や全身麻酔による処置をやってたころです。

生きているのがやっとの半死人でも人並みに「今年はM-1見れないなあ」なんて呑気なことは思うもので、そんな中、妻や友人が定期的に送ってくれる雑談ラジオや看護師さんからの一方通行の世間話で、ウエストランドが優勝したことを知って腹から膵臓が飛び出すくらいびっくりしました(実際に飛び出していた)。

ちなみに2020年はウエストランドの初決勝(9位)のネタでエム泣きしてました。好きだけど絶対優勝しないタイプのコンビだと思ってた

ICUにはスマホが持ち込めないんですが、妻が中華iPod的なデバイスを買って音楽やラジオと一緒にM-1の動画(予選のもの含む)を入れて送ってくれて、全く力の入らなくなった震える指で必死にそのデバイスを操作してネタを見ました。

何十日間も高熱が出ていて体はだるいし頭は一生グラグラしてるし、M-1の4分間詰め込み式のネタは情報量もテンションもすごすぎて肉体的には正直負担が大きかったです。その日が何月何日かもわからんような頭なのでネタの構成や1分前の話の伏線回収も理解できず、声が大きかったり早口のネタはそれだけでしんどかったりしました。それでもシャバのお笑いに触れられることが嬉しく、何度も休憩して何度もわけわからんなと思いながら繰り返し見てちょっとずつ理解していきました。

メンタルがしんどいとき、僕はわりとお笑いを見ることで自分を保とうとすることがありました。酒と一緒でお笑いは「好き」というより「必要不可欠な薬」みたいな意味合いがありました。人生の救心としてお笑いがある。なのでM-1のように感情の乗ったお笑いを浴びせられると泣いてしまう場合があるのです。

病院のベッドの上で去年のウエストランドのネタを100回くらい見ました。肉体限界野郎なので物理的に笑うことができず(しんどいし呼吸器で声も出せないしお腹も閉じてないので)、イロモネアのめんどくさい客くらい無表情でしたが、心の中でずっと「すげー、おもしれー」ってなってました。あとお笑いファンの激キモムーブとして「推しのコンビがバカウケしてる状況で感動する」っていうのがあるんですが、それもやってました。

あったかいこたつに入って当たり前のようにご飯を食べてM-1を見ていたら、ICUでわけわかんなくなりながら「お笑いがわかる状態になりたい……!」と思っていたことをふと思い出したのでした。あんま伝わんない気がしますがM-1で救われた命(そのままの意味)もあるんだという話です。

以下、今年のM-1の感想ですが、酒入ってないと「素人がお笑いのことを分かったようなツラして語るやつ」という極上の趣味も自意識が邪魔をして変なんなりそうなのでメンバーシップ向けにしておきます。膵無しのたわごとと読み飛ばしてください。


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