力あるものは、身を潜めてはいけない。
皆さんが持っている力、それはどこに向けられていますか?
日々の仕事やスポーツ、趣味など、各々が持つ力が発揮される場面は様々です。
その力は、目の前の課題を乗り越えることもできるし、人々に影響を与えることができます。
ですが、自分に問いかけてみてください。
自分は世のため、人のために自分の力を発揮できているでしょうか?
そもそも、自分が力を持っているものとはなんでしょうか。
持っている力も使わなければ全くの無意味。
宝の持ち腐れです。
今回は、力あるものがその力を身にまとうだけでなく、それを活かすことが重要であるということについて執筆していきます。
力ある者には、責任がある
人間の力は、多種多様です。
体力や知力、芸術的な能力、他人を導く力、想像力、説得力など、その種類を全て言い表すのは簡単ではありません。
当然のことですが、一人一人がそれぞれ異なる力を持ち合わせていて、その程度も様々です。全く同じ人間など存在しません。
それらの力がすべて等しく重要である一方で、力ある者にはそれを活用し、社会に貢献するという重要な役割が与えられています。
例えば、物理的な力(筋力)がある人は、体を使った仕事が得意ですし、地力がある人は頭を使った仕事が得意です。
このように、人それぞれの得意な部分を活かすことで、互いの苦手なことをカバーし合うことができます。
この自分の得意を活かして、他者を援助することで、人々は支え合って生きていくわけです。
つまり、自分の強みを発揮できる場面で、もれなく発揮することが、私たち人間がさらに発展していくためには必要不可欠です。
謙虚な日本人の悪い部分。
先にも述べた通り、自分の得意なことをやらないのは、もったいないです。
日本人の謙虚さが悪い方向に働いていると感じる部分ですが、自分の能力をひけらかさないことが美徳→自分の力は見せるべきではないという思考になっている人は少なくありません。
もちろん、誰彼構わず自慢するようなことは、あまり好ましくないと思いますが、力を発揮しないこととは別の話です。
例えば、ビジネスシーンにおいて、リーダーシップを取れる人がいるのに、その人が自分はリーダーはできないと言ったとします。その結果、別のリーダー向きでない人がリーダーになってしまい、チームが崩壊してしまった場合、できないと言った人の謙虚さは美徳と言えるのでしょうか?
これは自分を含めたチームメンバーを犠牲にしていることと同義です。
あまり好ましい行為ではありません。
このように、自分の力を発揮しないことによって、周りにマイナスの影響を及ぼしてしまう可能性が秘めているという責任を負うということも忘れないでください。
力あるもの
力あるものが身を潜めている理由は、謙虚さだけではありません。
恐怖や自信の欠如、失敗への不安などといった、心のネガティブさが引き起こす場合もあります。
しかし、恐れて逃げてばかりでは、決して自信はつきません。
とにかくチャレンジして、成功体験を積み上げることによって、自信に繋がります。
また、力ある者が全力を尽くして失敗をしたとしたら、それは誰がやっても不可能である場合がほとんどです。死力を尽くして失敗したのであれば、それが最善なのですから失敗しても仕方がありません。
それを咎めるような人がいれば、それはもう縁を切ってしまっても良いかもしれません。
とにかく、力を発揮することで、自分が成長できるとともに、他人に良い影響を与え、社会に貢献することができます。
せっかくその力があるのであれば、それを使わない手はありません。
自分が与えられた力、自分で勝ち取った力。
どんな力でさえ、それは他者を援助し、社会をより良くするためにある。
これを意識しながら、自分の力を発揮していきましょう。
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