学歴エリートのためのスピリチュアル活用入門 vol.3- 目に見えないものは存在しない? -
「大切なものは目に見えないんだよ」(サン・テグジュペリ『星の王子さま』より)
こういう言葉にうっとりして、FacebookやInstagramで引用している人でも、スピリチュアルのことになると急に「そんなの科学的に言ってデタラメのインチキだ!」と鼻息荒くなったりする。同じ目に見えない話なのにね。
目に見えるものだけに頼って生きていくのが、僕たちにとって賢い選択なのでしょうか?
一流の監督になるために
「そんなことをしているとバチが当たりますよ」
つまるところ、スピリチュアルってこういうことです。
でもバチって概念自体がぼんやりしている。目に見えない。
だから「そんなの迷信だよ」とか「こじつけだよ」と言いたくなってしまう。
でも目に見えないものでも、確実に存在を感じさせるものってありますよね?
たとえばマジメにスポーツをしたこたことがある人なら、試合の「流れ」というものを感じたことってあるはずだと思います。
「今は流れが敵チームに行っているから、ガマンのしどころだ」とか
逆に点数的には負けていても、流れが来ているので逆転勝利を確信したりとか。
でね、考えて欲しいんですけど、たとえばあなたが野球チームの監督で采配を揮うとしたら、選手の体調とかコンディションとか、対戦相手との相性とかのデータとかを考えるのと同時に、選手のメンタルの強さや試合の流れとかも絶対に考えると思うんです。
この場合、可視化できる前者が科学に相当するところで、可視化できない後者がスピリチュアルの部分と考えてもらうとわかりやすいと思います。
一流の監督になるには、データに頼っているだけではだめだというのは、なんとなく感覚的にわかりますよね?
だからスピリチュアルを毛嫌いしない方がいいと言ってるんです。
学校で習って最も意味不明だったもの
そういってもなお、「スピリチャルはインチキだ」と言いたがる人がいます。
まあ、人間目に見えないものって中々信じられないですよね。
でも目に見えないもの概念を操れるようになったことこそが、フィジカル的には最弱の部類に入る人類を哺乳類の王座にまで押し上げたとかの『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリも言っていたこと。
そこで、目に見えないものでリアルに役立つことは何かないか考えてみました。
思いついたのが「虚数」。
高校で習いましよね?
2乗するとマイナスになるという謎の数字。
正直高校時代、そんな実在しないものを勉強して何になるんだ、と思っていました。だって虚数を表す「i」ってimaginaryっととこから来ているんですよ。imaginaryって「想像上の」って意味ですから、なんでそんなSci-Fiみたいな数学をやらなくてはと思ってみました。
でもその目に見えないものの代表選手である虚数が実社会に役に立つなら、それはスピリチュアルも実生活の役に立つことのアナロジーになるのではないかと思ったのです。
そこで、虚数は果たして実社会の役に立っていることがあるのかを、前回のポスト(学歴エリートのためのスピリチュアル活用入門 vol.2- 正解を求めない科学的態度 -)にも登場してくれた物理学者である友人のA君に尋ねてみました(いつも丁寧に教えてくれてありがとうm(_ _)m)。
すると戸惑いさえ感じられる返信がA君から来ました。
「(虚数(i)と実数を組み合わせた)複素数は様々なところにはびこっている概念で、これが使えなくなってしまったら理工学分野は途方に暮れてしまう」
とのことでした。
いわく、
「物理学・機械工学・電子工学・電気通信工学・航空工学・制御工学をはじめ、その派生分野、場合によっては数理モデルを使用する分野(たとえばコロナの感染モデル、経済学のモデル)などでも使用されます。ですので、複素数がなくなると現代の自動車は動かない、ジェット機は飛ばない、橋は風で吹かれて落ちる、携帯電話はない。スマホもパソコンもない。」
だから、僕が「虚数なんて知っていて役に立つことなんてあるのか?虚数って単なる概念をいじくっただけの知的おアソビじゃないのか?」という文系丸出しの質問に驚いたのでしょう。
で、途中の難しい解説を全部端折って結論だけ言うと(それでも難しいのでちゃんとついて来てくださいね)
物理学などの途中の計算で多項式方程式が出てきた場合、結果は物理的(=実数)でないと、この三次元空間である実社会に適応する物理学としては役には立たないけど、その多項式方程式の係数が実数であるなら、方程式の解自体は複素数であってもかまわない、ということなんです。
だから確かに虚数というのは概念上のSci-Fi的存在と言えなくもないけど、理工学系の人にとっては、それはもはや実存的存在であるというのです。
大丈夫ですか?ついてきていますか?
もしあなたが「スピリチュアルを信じる人は知性のないアホだ」と人様をアホ呼ばわりするくらいの知性があるなら、ついて来られていますよね?
まあ、そんな皮肉めいた言葉をつぶやいてみたものの、ぶっちゃけ僕にとっても半分意味不明です。
でも、世の中で最も役に立つものは時に、最も意味不明だということもあるということです。
そしてスピリチュアル的生き方とはなにか、というのをこのコンテクストで説明すると、つまり複素数を解に持つ多項式方程式なんです。
それはある種のリアリティーを持つ人(あるパラダイムを生きる人)にとっては、意味不明で、実態のないまやかしであっても、別のリアリティー(パラダイム)を生きる人にとっては、物理的解(=実生活で役立つこと)を導き出す実存だったりするわけです。
スピリチュアル否定派からみたら、スピリチュアルのロジックはすべてこじつけに見えるかも知れませんが、スピリチュアルの人にとっては実数解を持つように精査を重ねて立てた方程式だったりするんです。
このことを理解する知性と柔軟性を持つと、自分の人生の采配を揮う指揮官としての視野が広くなると思いませんか?
大切なのは実生活(物理世界)で役に立つ実数解を導き出すことです。
その過程が他人から見てブラックボックスに見えても気にすることはないんです。
秋分の日の夜に
今日は秋分の日。
昼と夜の長さが同じ日。
時に意味不明な理論が飛び交うスピリチュアルの人が好きな言葉の中では、もっとも可視的な概念を体現した日にも関わらず、抽象度が高くて理解しづらい議論をしてしまいました。反省。
明日からはぐっと抽象度が下がった咀嚼しやすい話になります。
例によって章立ては変わるからも知れませんが、トピックはこんな感じです。
ことわざに見る「引き寄せの法則」
バルタン星人 vs 脳科学
スピリチュアルへの提言
「風の時代」を幸せに生きる
それでは秋分の日の夜長をお楽しみください!