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未来の建設業を考える:「絶滅危惧種」(2010年12月14日)

明治維新の出来事は、今からざっと150年前の出来事

 今年は大河ドラマ「坂本竜馬」が大いに話題となったが、坂本竜馬が暗殺されたのは、慶応3年(1867年)、1868年が明治元年なので、明治維新の出来事は、今からざっと150年前の出来事でしかない。150年で、国民一人一人が携帯電話で通信を行い、自動車を持ち、飛行機で簡単に移動することなど想像つかなかったであろう。確かに、物理的な成長は遂げたかもしれないが、この間に、明治維新時代に目指した日本の骨格が今実現しているのだろうか。今という時を見ると、必ずしも理想とする日本になっていないような気がする。明治以来持ち続けてきた日本の何かを失ったような気がしてならない。

建設業界はどうであろうか?

 建設業界はどうであろうか。明治初期には想像もできないような超高層ビルが次々と建設されている。エンパイア・ステート・ビルディングが1931年に竣工し、日本では霞ヶ関ビルが1968年に完成し、今年の始めには、828mという想像を超えた超高層ビル、ブルジュ・ハリファがドバイに完成している。超高層ビルと高速道路で都市が覆われ、都市景観が大きく変わったという点では、大きな変貌である。そのような中で、失ったものも多い。

建設業界の中で失いつつある「土木」

 建設業界の中で失いつつあるものは、「土木」であろう。
 「土木」という言葉そのものが、急速に失われつつある。全国の大学から「土木学科」の名称が年々減少している。
 日本全国に土木学科は約130あったが、現在では、わずか20程度の大学でしか「土木学科」という名称が残っていない。
 それは土木学科や土木分野そのものがなくなったのではなく、「コンクリートから人へ」に象徴されるように「土木学科」という名称では学生が集まらないということで、環境や地球、基盤といった名前を冠した学科に変わっている。
 たとえば、東京大学の旧土木学科は、明治11年の理学部土木学科に始まる歴史を有しているが、現在は、社会基盤学科と改称し、その中で、設計・技術戦略コース(社会基盤学A)、政策・計画コース(社会基盤学B)、国際プロジェクトコース(社会基盤学C)と分かれている。
 京都大学でも、社会基盤工学、都市社会工学、都市環境工学という形で、「土木」の文字が消えている。さびしい限りだ。

国民の安全安心のための土木工学

 英語では、シビル・エンジニアリングと表記される。もともとシビル・エンジニアリングの語源は、軍事工学(ミリタリー・エンジニアリング)と相対する学問として「市民あるいは民間(Civil)のための工学」に起因していると言われる。まさに、土木工学は、国民の幸せ、安全、豊かさのための工学と言えよう。日本全国にがけくずれ等の危険個所が10万ヶ所、緊急改善が必要な個所だけでも5万ヶ所と言われている。国民の安全安心のための土木工学が力を発揮できる分野は、まだまだ大きい。

「土木」という言葉が絶滅危惧種にならないように

 今年は、政権の「コンクリートから人へ」のスローガンのもと、公共投資は抑制され、民間需要も減少し、建設投資も過去最低の40兆円となるなど、どしゃぶりの環境の中で、産業の転換点を迎えた寅年であった。
 それでも人間生活に本来必要な市民の工学として、「土木」という言葉が更に150年以上続くことに、全員で取り組む兎年にしたいものだ。
 「土木」という言葉が絶滅危惧種にならないように。

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