小じさん第十四話「砂地の小じさん 2」

 ――ときどき心を生かしてやらんと、いずれお前さんの心はここみたいに、山奥で人知れず死んでまうことになるで。

 小じさんの言葉を僕は頭の中で何度も反芻していた。
 座るのにちょうどいい大きさの石を見つけた。僕はそこに腰掛け、山の斜面を流れ落ちる川の水面をじっと眺めていた。上流域のゴツゴツとした石にぶつかりながら下流へと流れる水の音が、絶えず耳に届く。遠くで鳥の気怠そうな鳴き声が聞こえる。辺りが陰る。見上げれば、灰色の雲が空を覆っていた。
 小じさんは心の死に対して、こうも言った。

 ――決定的に死ぬ。

 小じさん曰く、いつも平常心を気取るのではなく(僕は特に気取っているつもりはないのだが)、ときどき心を動かす必要があるらしい。そうしなければ、僕の心はいずれ決定的に死ぬ。草木が生えることは二度となく、周りの自然から永遠に取り残される、とのことだ。
 よくわからない。心が死ぬとはどういうことなのか。永遠に取り残されると、どんな不都合があるのか。
 小じさんはいつも謎掛けをするみたいで、明確なことを教えてくれない。自分の頭で考えなければ意味がないとでも言うように。
 僕の心は確かに生き生きとはしていない。だが、死に向かっていると思ったことはなかった。日々何かしら感じている(しかし、今思えばそれは「感じる」というよりは「考える」に近いかもしれない)。そうでなくても“平坦に生きる”ということは可能ではないか。それとも、平坦であるとは死んでいるも同然なのだろうか。あるいは、平坦とは必ず死に至る状態なのだろうか。
 僕は、この希望のない世の中で、どうやって心を動かせばいいのか分からなかった。子どもの頃や若い頃は、今よりはもう少し心が動いていた気がする。しかしそれは、世の中の限界と自分の限界を今よりもよく分かっていなかったからだ。歳を重ねることで色々なことの限界が見え、それが心を硬直させることは、もはや不可避に思えた。
 少なくとも僕自身には平常心を気取っているつもりはなく、やむを得ず今の状態になっているだけだった。
 雨が降り始めた。それは段階を踏むことなくすぐに大雨になった。僕は傘を持ってきていなかった。雨が、僕のシャツとジーンズを濡らしていく。それらは僕の身体にへばりつき、重みを増して僕を地球の中心へ向けて引っ張った。
 僕たち人間は、このひとつの惑星の表面に貼り付いて生きている。どこへも行けない。この惑星の表面以外に、僕たちが生きることのできる環境はない。

 そのとき、茂みが動いた気がした。じっと見ていると、やはりかさこそと、雨のせいでも、風のせいでもない気配が茂みから伝わってきた。小動物か何かだろうか。あるいは熊かもしれない。僕は道なき道を強引にここまで登ってきたのだ。危険な動物に出くわしても、誰にも文句は言えない。助けを呼ぶ準備もない。僕は緊張して、いつでも逃げられる体勢を取りつつ、茂みから視線を逸らさぬよう注意した。茂みの葉が揺れる。明らかに、何かいる。
 と、その頭部と思われる影が茂みから姿を現した。犬――白い毛並みの犬。はじめはそのように見えた。しかし、それが茂みの外へ這い出すにつれ、犬ではないことがわかった。それは、人間だった。その者ははじめ屈んだ姿勢で茂みから出てきたため、4足歩行の生き物に見えたが、全身が外へ出るや、むっくと上体を上げ、2つの足で直立した。
 伸ばし放題のぼさぼさの白髪――犬の毛並みと思ったのはこれだったのだ。腰に粗末な毛皮を巻いている以外は何も身に着けていない。まるで石器時代から現代に迷い出てきた猿人だか原人だかのようだ。何故なら、彼の手には、木の棒の先端に先の尖った石を括り付けた武器のようなものが握られていたからだ。
 僕は身構えた。その武器で襲ってくるかもしれないからだ。しかし、男には敵意のようなものがまるで感じられなかった。武器を構える仕草も見せず、直立不動でただ虚ろに僕の方を見つめるだけだった。

「そんなところいたら、風邪ひく」

 半裸でずぶ濡れの男が言った。

「こっち。屋根あるところ行く」

 男は手招きした。ついて行っていいものかどうか、僕は判断に迷った。しかし、結局ついて行くことにした。男に悪意は無いように見えた。
 男は、自然のままに草木が茂る山の中を、そのふたつの足で器用に進んだ。自力で登っていたときはあれほど草木や石に足をとられたのに、この男の後ろに付いていくと、難なく歩き進むことができた。男はこの山の歩き方を熟知しているようだ。
 男の足運びはまた、山に自生する草花を傷つけないように配慮しているようにも見えた。裸足のつま先で器用に草花をかき分けている。僕も真似してみたが、できなかった。
 ふと、男の背中を見たとき、男がこの山の風景に完全に馴染んでいることに気づいた。この風景画に男は無くてはならない存在だった。そのことに思い当たると、この山に入ったときに感じた、自分はここの自然に歓迎されていないような感覚、部外者としての居心地の悪さが再燃した。

「着いた。ここ」

 それは粗末な山小屋だった。

(つづく)

■これまでの小じさん

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