小じさん第十七話「砂地の小じさん 4」

「よう。またうたな。こんなとこで何しとんのや?」

 じさんはにやりと笑って言った。もちろん、小じさんはのっぺらぼうなので、彼の表情について本当のところはわからないのだが。

「雨が降ってきたので、ここで少し雨宿りをさせてもらっています。……ていうか、そんなこと聞かなくてもあなたには分かってるんじゃないですか?」
「もちろんや。ワイを誰やおもてんねん」
「小じさんです。分かってるならどうして聞くんです?」
「なに言うとんねん。ただの挨拶に決まっとうやん」

 僕は小じさんを、死んだ魚の目で睨んでやった。親愛の情をこめて。

「ハハ。まあ、元気そうでなによりや」

 死んだ魚の目をして元気そうと形容される僕は、いったい何なのだろうか。
 何にしてもこれ以上小じさんにつっかかるのはやめにする。意味がない。

「この方には、小じさんが見えるんですか?」
「そうや。お前さんといっしょで、この世に数えるほどしかおらんラッキーボーイや」
「ラッキーかどうかは分かりませんけど」
「いやいや、どう考えてもラッキーやろ。ワイがおらんかったら、こいつはとうの昔に死んどるで」
「そうなんですか?」
「まあ、死ゆうても、生命の終わりとはちごうて、心のな――現に、こいつの心は一度、死んだんや」
「そうなんですね」

 心が、決定的に死ぬ――
 小じさんが前に僕に言った言葉を頭の中で反芻していると、心を読んだように小じさんが続けた。

「ただそれは、決定的な死ではなかったんやな。ちゃんと生き返る経路が残っとった。それを分かって、ワイはこいつをこの山に連れてきた。ここなら、こいつの心は息を吹き返すやろうと、そう思たんや」
「なるほど」

 驚いた。あの小じさんが具体的な行為でもって人を救ったのだ。どんなときも話をはぐらかし、核心に触れないのが小じさんだと思っていた。助けてくれそうなそぶりを見せながら、何もしない。それが僕の中での小じさん像だった。
 僕はなぜか少し寂しさを感じた。

「こいつのは、比較的かんたんやったさかいな」

 小じさんがうつむき加減に漏らした。どこか躊躇と哀愁をふくむ声色だった。

「僕は、違いますか?」
「まぁ、そういうことや。お前さんのは、ちと、ややこしいな」

 僕はこの男とは違うらしい。都会で心が死にかけているという点においては、かつてのこの男と僕は似ているように思えたが、どうやら小じさんの評価尺度では、何かが違っているらしい。

「何がと言われると困るんやけどな、お前さんのほうが危なっかしい。こいつのようにことが単純やったら、しかるべき場所に導いたらんこともないんやけど、何をどうすればええか、即効的な手だては今のところ、お前さんには無いんや」

 どうしたのだろう、涙が溢れてきた。もう久しく、どんな映画を見ても、またどんな本を読んでも泣けなかったというのに。込み上げてくる感情が止められない。
 僕の心は、このまま放っておくと決定的に死ぬ。しかも、それを回避するために取れる手段が、今のところ無い。それはもしかすると、かなり絶望的かもしれない。

「なに、泣いとんねん。なにも死ぬんとちゃうねんから……いや、これは語弊あるけどな。少なくとも肉体が死ぬっちゅう話やないねんから、そんな思い詰めんなや」

 僕の涙は止まらなかった。何に対して泣いているのか、自分でもよくわからなかった。顔もほとんど無表情のまま、ただ目から液体が流れ続けた。

「大丈夫や。どんなに救いがなさそうに見える状況でも、生きとったら、いつかなんとかなるもんや。たとえ心が死にかけても、ワイがなんとかしたる。まあ、保証はできかねるんやけど……まあ、それでも、なにかしらできるはずやさかい、信じとって」

 いつになく温かい言葉だった。保証しないというところも、正直な小じさんらしくていい。

「雨、止んだ」

 男が言った。
 囲炉裏の火がいつのまにか消えていた。

「しばらく降らない。帰るなら、今」

 僕はひとまず荷物をまとめて自分の宿へ帰ることにした。男に礼を言って小屋をあとにした。
 僕は結局、男の名前を聞かずに終わった。
 3人の会話でも名前は不要なのかもしれない。不自然なのかもしれない。

(了)

■これまでの小じさん


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