西原太郎

自称小説家。沖縄出身。沖縄在住。窓から知念半島を眺めながら、いつも文章を書いています。ペイントで雑な絵も描きます。

西原太郎

自称小説家。沖縄出身。沖縄在住。窓から知念半島を眺めながら、いつも文章を書いています。ペイントで雑な絵も描きます。

最近の記事

林檎好きの変態が見た月 落ちることと浮かぶことは同じこと

    • 唾棄すべき輩としての相対主義者─あるいは、怒りの人類学者ボアズの精神

      時折、「善悪の区別は難しい」とか、「物事は白黒決められない」とか言って、「相対主義者」として振舞う人がいる。 このような人は、「ああ。それはあなたの考え方ですね(私はそれを強く否定はしないが、強く賛同もしない)」等と、あたかも客観的・中立的・超越的な立ち位置にいるかのような、評論家的な物言いをする。 まるで、そこにいるようでいないような、透明かつ冷ややかな存在であり、どのような価値判断や主張に対しても、無敵であるように見える。 しかし、「相対主義」の立場を取るなら、それ

      • Let it goの訳し方

        あのさー俺、最近たまたまさー、小児がん病棟関係の動画を見つけて視聴して、いたく感動してたわけ。 この動画でリンキンパークのIridescentという曲が使われてんだけど、サビのLet it goという部分を「あきらめろ」って訳している動画があったわけ↓。 なんか、ワーナーなんとかっていう、どっかの大企業の名前を冠した偉そうなチャンネルなんだけど、間違ってないか、この訳。 あのさー、俺が部屋で一人涙を流して視聴してた動画ではさー、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされた子ども達

        • 性の営みに見る世界の曖昧さ、あるいは豊かさ

          世界各地には様々な恋愛のかたちがあり、人は例えば一夫一婦制だけに基づいて恋愛を経験しているわけではない。 また、性の営みに対する考え方も様々であり、「付き合う」 や「結婚する」や「買春・売春」とは文脈の異なるかたちでの性の営みも存在する。 ◆ 21歳の頃、私はインドネシアの離島でフィールドワークをしていた。人口1000人に満たない、小さな島である。 その際、仲の良い現地の男友達から「俺の彼女と寝ないか?」と言われたことがあった。 最初この提案を聞いた時、「何言ってんだこい

          優しくて凶暴な人類学者との対話

           研究に戻るか、それとも、このままIT企業で働き続けるか。  一時期、このような迷いに私はとらわれていた。  2006年頃の話である。  ふらふらと、古巣の研究室を訪れた私は、そこに赴任してきたばかりの人類学者に遭遇した。  その、優しくて凶暴な人類学者は次のように述べた。    「先行研究を読んで知識なり理論なりを頭に入れる。うん。どんどん入れたらいい。そこから得られるものは大きい。だが、それが、フィールドで出合う面白いものをないがしろにしてしまうのなら、そんな知

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          IT業界の民族誌─プロジェクト始動編

          なんだか面倒なことになっている。  会社の上司が急に、チームのメンバーを集めて、次のように言った。  「俺は会社を辞める。」  一同、沈黙。  「俺は自分が幸せになれる方法を知っている。この会社に居続けることは少なくともその方法ではない。」 ◆ 去年、私と一緒にサーバー保守の仕事を担当していたS先輩が辞めた。そして今度は、そのS先輩の上司が会社を辞めようとしている。  「この会社は必ずしもいい会社ではない。人が次々に辞めている。皆、「誰かがどうにかしてくれるさ」

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          油喰坊主と運玉義留

          「油喰坊主と運玉義留」は、第42回新沖縄文学賞の最終選考作品です。沖縄タイムスの文化欄にて「せっかくの長い論理も空転している」や「現在と過去が説明のために並列に置かれているだけだ。この方法では、プロットをめぐる緊張感が十分には書けないだろう」や「肝心の油喰坊主と運玉義留の対決の寸前で小説が終わってしまっている」等のご指摘を頂戴致しております(2017年1月16日月曜日 朝刊)。三人の選考委員による選評は以下の通りです。 「弁ヶ嶽登「油喰坊主と運玉義留」は、戦乱の過去を忘れ、

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          知念村の旅

          「知念村の旅」は、第41回新沖縄文学賞の最終選考作品です。沖縄タイムスの文化欄にて、「「おもいつき」の産物の域を出ていない」や「プロットが不鮮明」というご指摘を頂戴致しております(2016年1月28日月曜日 朝刊)。三人の選考委員による選評は以下の通りです。 「映画にロードムービーという手法があった。西原太郎「知念村の旅」は、映画のロードムービーを思い出させるような展開。ある日、思い付きで久高島を目指して歩き出す。次々と出会う人々。それはそれで、なかなかおもしろいのだが、作

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