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シースーテームーのーせいなのね、そうなのね!

個人責めるなかれ

家族のことでも仕事のことでも、「なんであの子はああなのかしら」「アイツはホントにダメなやつだな」と感じることがあるでしょう。

反抗期のお子さんがいれば「あの子ったら!」となるし、
傲慢なお父さんがいれば「あの人ったら!」と思うのが当然かもしれません。

しかし、ここで、「子どもが問題」「夫が問題」と問題の原因を個人に帰属する考えから、『システム』という考え方に思考を変えてみましょう。

家族のシステム

『家族の誰か一人が問題』という目から、『家族システムで何が生じているか』という目に変えてみましょう。

『問題とする個人』だけに焦点を当ててしまうと、問題解決の方法はその人をどうにかすることになってしまい、それはなかなか骨の折れる仕事になるでしょう。「お前が悪いのだ」と言われてるように感じて、もっと反発したくなるかもしれません。

『システム』として全体(ひとまとまり)を見てみると・・・

・子どもは反抗期だからイライラしている。
・そのせいで母親も子どもに強く当たっている。
・母親にとって父親に心理的に支えられていると思えない。

・父親はいつも大きな声で命令してくる。
・母親はいつも父親にすべての判断を任せてきた。
・母親の両親は近所に住んでいるがあまり交流はない。

といったことが分かったとします。

すると、
「あの子もあの子だけど、母親の私がグチグチ言うからもっと反抗してるのかもしれない。少し放っておいてみよう」
「たまには父親にも子どもとコミュニケーションを取るよう伝えてみよう」

とか、

「母親の私が夫に依存しているからいけないのかもしれない」
「実家の両親が定期的に来てくれれば、少しは牽制されるかもしれない」

など、『システムに介入』して解決する手立てが浮かんでくる。

会社の組織もシステム視点で

一緒に働く人に対しても「この人が・・・」と責める前に、
『システム』という広い目を持つことにより、
『システム』を変えることによって『個人』もより良く改善していくことができるかもしれません。

『人』を変えるよりも『システム』を変える方が受け入れられやすいこともあります。

私とて、お国というシステムの一部

このコロナ禍で失ったものを多いけれど、気づかされることも多くあった。

その一つが『僕も日本という国のシステム』に組み込まれているのだということ。

当たり前っちゃ当たり前だけど、「僕は僕だよ」という感じで、国を意識することはなく生きてきた。

しかし、緊急事態宣言で「不要不急の外出は控えよ」というお達しがくれば、お店が閉まるので外出したくても行く場所がない。

「学校は休校」と国に言われれば、子どもたちは学校に行かないので、子どもと関わる仕事をしている僕は大きな影響を受けた。


「僕は僕だよ」「やりたいようにやるよ」と思っていても、システムの中にいる私は”そうも言ってられない状況”に陥り、「僕は日本という国のシステムに影響を受けて生きてるんだ」と感じざるを得なかった。

『個人』→『家族』→『会社』『地域』→『市』→『県』→『国』→『地球』・・・なんだか宇宙の幸せを願いたくなってしまった。

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