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”はっきりさせなくてもいい”「プラネテス」から学ぶ生き方

私の一番好きなマンガを紹介します。

題名は「プラネテス」。今から10年以上も前のマンガですが、その内容の深みは一切色あせることのない名作です。作者の幸村誠さんは現在「ヴィンランド・サガ」というヴァイキングの漫画を連載中で、昨年アニメ化され話題を呼びました。(もちろん、私はヴィンランド・サガの大ファンでもあります。)


「プラネテス」 全四巻 作者 幸村誠 講談社

あらすじ
これは今よりも少し先のお話。主人公ハチマキは夢を抱いていた。それは、人類史上初である木星行きの有人宇宙船の船員に選ばれること。そんなハチマキの仕事は宇宙の掃除屋。宇宙空間に浮かぶごみを拾ったり、大気圏に落として燃やしたりする仕事。つまり、彼の夢からは遠く離れた仕事をしている。これはそんなハチマキが夢を叶えようともがく中で、本当に大事なことに気がついていくという物語。

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↑こいつがハチマキ

この作品の大きなテーマとして「愛」があります。

そして、私がこの作品を愛してやまない理由の一つに「愛」を「好き」という恋愛的感情とは別のものとして描いている点が挙げられます。ぼくは誰かを「好き」になることで「愛」が生まれると考えていました。実際、この考え方はあながち間違っていないでしょう。誰かを「好き」になることで、相手への「思いやり」の気持ちが芽生え、そして相手を「愛」することになる。この「愛」は、世間一般でも最も代表的な形だと思われます。例えば、彼氏や彼女がいる友人に「どうして彼(彼女)を付き合うことになったの?」と聞けば、おそらくその友人は「彼(彼女)の〇〇〇な部分が好きになって、付き合うことにしたんだ」と教えてくれるでしょう。


しかし、「プラネテス」ではそういった既存の形とは異なる「愛」が表現されています。このマンガでは「好き」になるといった過程がすっ飛ばされているのです。つまり、気がついたら愛していた。こんな感じです。こんな形の「愛」が、正解がどうかはわかりませんが、めったにない「愛」の形が作中で成立したからこそ考えさせられるのです。

話を整理すると、プラネテスにおける「愛」とは、誰かを「好き」になるといった条件のもとで生まれる感情ではなく、誰もが生まれつき持っている「すごい力」のことです。ここで、「愛」のことを「すごい力」と曖昧に定義されたことに対して拍子抜けされた方もいると思います。私も最初はそうでした。しかし、読み進めるにあたってそんな考え自体がずれているのではないかと思うようになったのです。そのきっかけはこのコマです。

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2巻の100ページの一コマ
これは主人公のハチマキと職場の同僚のタナベが「愛」について口論している場面。

「愛の定義を明確にしてみろ!」と言うハチマキに対しタナベは以下のように言います。

「うわ!ガキ!!一般化しなければ理解できないなんて科学妄信もいいとこよ!!」(タナベ)

このセリフを見たとき、「ハッ」とさせられました。
私は「言葉で説明できるようなものしか信じない」といったような典型的な理屈主義人間になっていたことに気がつかされたのです。

確かに「愛」は定義しようと思えば、明確に定義化できるかもしれません。しかし、そういった行為は、面白みを無くしてしまいます。あえて明確に定義化しないことでその意味に”余白”を持たせることができます。「愛」とは何かよくわからないがともかくすごい力である。このくらい曖昧な方が、各々で考え方も異なってくるので、「愛」の幅が広がります。

そして、こういったような「はっきりさせなくてもいい」という考え方が「プラネテス」の根底に流れていると私は考えます。

夢や目標など、日常生活の中で何かと私たちははっきりさせがちです。
そして、それらが達成されなかったとき、まるで人生に生きる意味なんてないかのように落ち込みます。しかし、プラネテスでは人生に生きる意味があるかないかではなく、生きていること、それ自体に意味があると教えてくれているような気がします。だから、そんなに何でもかんでもはっきりさせて生きなくてもいい。生きている。それだけでいいんだ。
そんなメッセージが伝わってきます。
最後に、作中にちょこんとだけ登場する歌の歌詞の一部を載せて締めようと思います。

「夕暮れ」

はっきりさせなくてもいい
あやふやなまんまでいい
僕たちは何となく幸せになるんだ
作詞・作曲 甲本ヒロト

「夢の中へ」

探し物は何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中もつくえの中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?
夢の中へ
夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
作詞・作曲 井上陽水

この二つの歌はどちらもはっきりさせることを目的としていません。それははっきりさせなくても幸せになれることに甲本ヒロトさんも井上陽水さんも気がつかれていたからでしょう。そのことに気がつけるかどうかは生きていく上で非常に大切になると思います。そして、この二つの曲をキャラクターにさりげなく歌わせることによって「はっきりさせなくてもいい」というプラネテスのテーマを際立たせていると感じます。こういった幸村誠さんのマンガ作りの緻密さには驚かされるばかりです。


この文章を読んでくれた方が、少しでも「プラネテス」に興味を持ってくれたら幸いです。まだまだ僕も気づいていない点がたくさんあるような非常に中身の濃いマンガですので、もし読まれた方や僕と同じく「プラネテス」が好きな方がいらっしゃれば、あなたなりの解釈を聞かせてもらえると嬉しいです!


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