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深読みはしなかった『みみずくは黄昏に飛びたつ』の小説家ふたり語り

タイトルに興味をもって『みみずくは黄昏に飛びたつ/村上春樹 川上未映子/分類910ム』を図書館で借りた。


◇人は深読みしたいらしい

最初から最後までおもしろくこの対談を読んだ。
インタビューされる人は村上春樹さん、インタビューする人は川上未映子さん。小説の登場人物の名前やタイトルは記憶に残る、内容を忘れてしまっても。小説家の記憶のキャビネットと抽斗の話。ぱっと記憶の抽斗が開いて必要な情報を取り出し小説家はさささと書いていく、やっぱそうなんだろうなと思ってた。でも過去の作品内の細かな質問に対しては忘れたなぁ、そうだっけ?の村上さんの普通さに親近感。作品は読む人の自由、多くの人が村上さんの物語を深読みするらしい。

「世界を神秘的、幻想的にと考える」ことと「世界を神秘的、幻想的に描いてしまう」ことは別の話だという発言の意味です。わかりますよね。

323頁より

フィクションで人も世も操れちゃうかもしれないから、ちゃんとわかってないととまずい。読み手もちゃんとしていよう、と思う。

◇善き物語の意思は

僕としては可能な限り「善き物語を書こう」という意思を持ち続けるしかないんですよね。そしてそういう気持ちはきっと読者に伝わるはずだと。僕はポジティブに信じているんだけど。

326頁より

広くお互いを受け入れ、与えあってほしい。けっして狭く邪悪な物語に囚われてはいけない。誰かを傷つけようとしたり、搾取しようとしてはいけない。村上さんの語りには押しつけがましさは感じられない。

文章はツールという、その作品は外国語に翻訳されても伝わるという。それはすごいこと。幸福な小説家は軽くいうけど、ずしりと重い、

小説を好きなときに好きなように書いて、それで生活できるってことだけで幸福だと思うな。普通なかなかできることではないから。

375頁より

心身を健全を保ち、毎日10枚書くというストイックさが非凡。村上さんは日記は続かない書けないという。「善き物語」であるなら、歴史に残っていく。まったくそう思う。

そういう物語の「善性」の根拠は何かというと、要するに歴史の重みなんです。

418頁より

◇ちゃんとしたカフェオレ

カフェオレは牛乳感たっぷりが好き。甘みは入れない。濃い目のコーヒーと濃厚な牛乳をあわせる簡単、それが美味しい。
小説家ふたりの語りは、牛乳たっぷりのちゃんとしたカフェオレみたいと勝手にいいたくなった、ただそれだけ。

今さらだけど知る。村上RADIOって過去の放送の語りの文章が読めるのね♪

近々の再放送をラジコで聴く♪
ではでは

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