目の前の相手は自分のところのお客さんかもしれないんだよ。
客の立場でお店の人が逆らえないのをいいことに傍若無人な振る舞いをされる方がいる。
難癖つけている時はえらい気になって気持ちがいいのかもしれない。でも、その行いの結果を考えている人がどれほどいるだろうか。
中には社用車や制服をなどハッキリとどこの会社かわかる状態で来店してはそういうことをする人がいるけど、お店の人も就業時間が過ぎればお客さんの立場にもなる。
そうなったとき、そんな傍若無人な振る舞いをした人のところから買いたくなるだろうか?私は絶対に買わない。
傍若無人な振る舞いをした人が自分の婚約者だったら?結婚したいと思うだろうか?
結局のところ人の目というのはどこにあるのかわからないし、ある種の鏡のようなもので自分の振る舞いがそのまま映るように思う。
ゴミ箱の設置がなくなっている場所が増えて困るという話を見たことがあるが、コレも家庭ゴミを持ち込んだりマナーの悪い人がいる結果不便になった典型じゃなかろうか。
喫煙者の人には申し訳ないけど、やっぱり目につくのはマナーの悪い喫煙者ばかりだから喫煙スペースが狭くなるのは仕方ないと思う。正直健康増進とかは適当な体のいい言い訳的な理由じゃないかなって。だって喫煙スペースからちょっと離れた場所で吸い始める人が多数だぜ?それくらいいいだろって言い分ならそれくらいの距離歩いて喫煙所行けばいいのにって思う。
ポイ捨ても未だに見るけど、吸い殻を拾う喫煙者は見たことがない。
のっぴきならないトイレはさ、トイレ行くまで我慢するじゃない?トイレ手前からズボン下ろす人も見たことがない。でも、のっぴきならない喫煙なんて存在しないのに場所の手前から咥えタバコやら歩きタバコとか目につくんですよ。
と、やたらタバコの悪口に終始してしまったけども言いたいことは自分が好き勝手やった結果好き勝手に出来ない状態に追い込まれてしまうことになるということね。
席を譲ったりもそう。お礼もなしに当たり前のようにされれば、譲った人は二度と席を譲ろうとはしなくなるかもしれない。
情けは人の為ならず。お天道様が見ている。
昔の話に出ているように、人に親切にしていると思いがけないよう自分が助けられるし、また逆に自分の為だけに動けば自分が生きづらくなる原因だと思う。
打算的でもいいから、他人の為をある程度考えて行動すると結果的に自分自身が生きやすい世の中になりゃせんかね。