写真の魅力について考えていたら、いつのまにか絵のことばかり考えていた

いま、仕事で写真と向き合っている。

副業としてプロカメラマンもこなしている同僚がいて、その人を中心にこんな会話が出てきた。

「写真で泣く人って聞いたことないし、カメラマンの名前も広まらない。それに、『写真といえばこれ!』みたいなものがない」

た、たしかに……!
絵画とか、映像(特に映画)はそのすべてをクリアしている。
語りしろがあるようで、ないような。
そんな写真というものの不思議さに、一同首を傾けた。

そもそもカメラの歴史を紐解いていくと、絵画にたどり着く。
絵画を描くためにカメラは生まれたのだから。
それなのに、なぜ大きな差が生まれてしまったんだろう。

いや、そもそもわたしの感覚がおかしいのだろうか?
写真をみて涙する人はたくさんいるのだろうか。

たとえば、推しの写真をみて泣く、みたいなことはある。
ただ、絵画に関しては、別に推してるわけでも、知ってるわけでもないものが描かれているのがほとんどなのに、自分のなかの何かと重ねたり、価値を見出したりして泣いてしまうのだ。

わたしは絵を描くのが好きな方で、ありがたいことに仕事で描くこともある。
物心つく前から、きょうだいと落書きを描いたり、オタクの英才教育を受けて育ったりしたのが大きいと思う。
ただ、絵そのものに対して重い感情を抱くようになったのは、明確な出来事があるし、今でもあのときの感覚を超えたことはない。

小学6年生の春。
修学旅行で、都内の美術館……国立新美術館に行った。
当時は館そのものも新しく、ガラス張りの巨大な様相にまず度肝を抜かれた。
正直、ビル群をみたときよりも「都会すげー」の気持ちが大きかったな。

鑑賞時間はわずか1時間程度しかなかった気がする。修学旅行って、本当につめつめスケジュールだから。
そんなわけで、「一番気に入った絵は何か、メモをとってのちほど感想文を書くこと」という課題を背負い、急ぎ館内を巡っていたとき、わたしの人生を狂わせる作品と出会ったのだ。

クロード・モネ『印象・日の出』。
モネは知っていた。そして、睡蓮シリーズが有名であることも、旅行前の事前学習で予習済みだった。
そして彼が、「印象派」の代表であり、のちのモダニズム発展に大きく貢献したことも。
ただ、そんな御託はどうでもよくて、作品が目に入った瞬間、風が吹き、あたたかくてほんのり甘い芳しい香りが鼻をかすめた。
なんだ、この絵は。
なぜかわからなかったし、今もなぜここまで強烈に惹かれるのかわからないけど、とにかく、目が離せなくなった。
気づけば静かに泣いていたようだった。
ただ、泣いていることに気づけないほど没頭していたので、近くにきた友人から「泣いてるの?」と指摘され、ものすごく驚いたこともセットで覚えている。

わたしはその場を離れるのが惜しくて、結局『印象・日の出』に出会って以後、他の作品はろくに見ることなく時間に追われて外へ出たのだった。
キャンバス上に描かれた柔らかな光とは似ても似つかない、それでいて共通しているような、強烈な光を感じとり、離れられなくなる。
さながら、夏の夜の虫みたいだった。
いつまでライトに体当たりしてんだ、と呆れるあの姿と、当時のわたしはきっと同じだった。

あのときの憧憬を超える作品とは、10年以上たった今も出会えていない。
多分、二度とないんじゃないか。
今も1番好きな絵は『印象・日の出』と即答するくらいに魅了されつづけてはいるけれど、あのときの衝撃とか、感動はもう味わえない。
小学6年生という、柔らかくて脆くて、繊細で、それでいて鈍感で、孤独で、愛されていることに気づきもしない。そしてやがて、自分と周りの差に怯え、仮面を被り、取り繕ったにもかかわらず、居場所をなくしはじめるまであと少しの時期。
そんな当時のわたしそのものを、あの絵に重ねてしまっているのだと思う。
だからどこか、「好き」というやさしい気持ちとともに、仄暗さも感じとってしまう、まさに人生を狂わせた一枚になったし、それを超えるものはきっとこの先見つからないのだと思う。

話は戻るけど、写真についてあれこれ議論を重ねると、わたしの場合はいつのまにか絵の方に意識がいってしまうみたいだ。
でも、写真を撮るのは絵を描くのとまたちがって、わたしにとっては魂を削らずに世界を切り取ることができる、大切な手段であることにはかわりない。
絵を描くのはつかれるんだ、これが!
楽しいけど、同時に死ぬほど辛い。
でも、写真はそこまで感情が揺り動かされなくて、楽。
もちろん、それは人それぞれだし、絵の方が楽だという人がいるのも、写真1枚に魂を削っている人がいるのも知っている。
ただ、わたしはそうじゃないだけ。

表現方法ひとつとっても、向き合い方も、情熱も、好きか嫌いか・得意か苦手かも、なにもかも人と同じものなんてないんだ。
その割合が似てる人にシンパシーを感じたり、あるいは割合は異なれど、価値観に共通点を見出して話しがはずんだり、まったくちがう生き方に憧れを覚えたりする。
おもしろいな、人間よ。

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