学問分野に縛られすぎていた
わたしは、学校にはろくにいかず、大学で得たニッチな知識しかない超偏った偏屈文系人間だ。
そう思っていたし、今でも半分はそうだと思う。
でも、どうやらそうでもない部分もあるらしい。
最近、「分野」というものにこだわる余地などなく、さまざまなことを自ら勉強し直している。
すると気づいたのだ。
あ、わたし、別に歴史家ではないし、なんなら理系分野めっちゃ面白いやんけ、と。
そう。たかが4年間、地域の歴史を学んだだけ。それ以上でも以下でもない。
そこの部分の知識が異様にあるだけ。
理数系にとことん弱く、何も知らないと思ってたけど、そもそも国語も英語も社会も、同じくらい知らないことだらけだ。
古文書読めても古文は読めないし、漢字は読めても書けない。
特定の歴史にだけ詳しくて、教科書の歴史はまったく知らない。
そんなもんだった。別に文系と言えるほど、そこに特化したタイプではなかったわ。
うぬぼれてました。
文系の方が得意だったけど、理科の道に進んだ父は、わたしと話しているとときどきこんなことを言う。
「お前、その考え方どっちかと言うと理系だぞ。というより、文系とか理系とか、あんまりそういう枠で語れるタイプじゃないし、そもそも学問なんて全部つながってるんだから、勝手に理数系に劣等感抱いてただけなんじゃないの?」
たしかに。
やることなさすぎて本ばかり読んでたから、つい文系だと思い込み、理数系へのあこがれと嫉妬を抱いていたけど、そもそもそんなもんでくくってること自体ちっぽけでした。
大好きなブラタモリも、一見歴史よりに見えて地学とか、科学的な話が入っているじゃないか。
あ、この前のブラタモリもよかったな。ワクワクしました。
知らないことがありすぎて絶望する毎日だ、と嘆く日もあれば、知らないことだらけで世の中楽しすぎるぜとワクワクする日もある。
結局、その日の気分によって感じ方がちがうだけ。
いずれにしても、知らないことを次々と吸収すること日々は、少なくとも退屈ではない。
刺激にあふれ、自身の「狭さ」に驚嘆する。
それに疲れて途方に暮れ、眠ってばかりの日もある。そうやって回復したら、また勉強に戻る。
でも、「自分は文系だ」という思い込みに未だに捕らわれてるせいか、理数系の話についていけるようになるとめちゃくちゃ頭良くなった気持ちになれる。
バカみたいかもしれないけど、正直それは気持ちいい。
それに、なんだかんだでがっつり理数系の理論的な話しかない本よりも、歴史をかいつまんでエピソードを交えながら話が進む本の方が、圧倒的に読みやすい。
理論、むり。きつい。
文系でも理系でもないかもしれないけど、少なくともわたしは、歴史がすきで、にんげんがすきで、アートがすきで、それにまつわる話がすき。
それはたしかだ。
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