大きな音が嫌いなわたしが好きな大きな声
あなたは、人間の表面的な部分でどこに注目し、好きになりやすいですか?
と聞かれたら、わたしは圧倒的に「声」だと思う。
耳心地の良い声だと、それだけで好感度が上がってしまう。
その人のことを好きになると、その声も自分のなかの好み、ストライクゾーンに変換される。
姿が見えなくても、声だけで十分だと思えるくらい、わたしにとって存在感が大きい。
逆をいえば、一度無理になってしまうと、その声が耳障りで、嫌いな音として認識されるようになり、それに似た音もダメになる。
声なんて空気の震えでしかないのに。
なぜここまで、心ゆさぶられるのか。
話し方含めて、好きになるんだろうとは思うけど、同じトーンでいろんな人に「こんにちは」と言われても、きっと好き・普通・嫌いに分かれてしまう。
なぜそこまで、声に対しての思い入れが強く、イメージを確立してしまうのかはわからない。
ただ、わたしは音に対して、たぶん人一倍敏感で、弱点でもあり強みでもある。
だから、暗譜が得意だったし、のど自慢が耐えられなかった。
いわゆる絶対音感をもっていて、ものを叩く音、爪で何かを弾く音、雨音、話し声すら、音楽のように音程を感じとり、勝手に疲れてしまうこともあった。
でもそれも、いつしか少なくなった。
なんかわりと、普通になってしまった。
あいかわらず、大きな音や、音程の合わない歌を聞くのは苦手だけど、なんとか耐えられる。
祖父母はのど自慢をみるのが好きで、よくつけていたけれど、わたしはきっと、とてもいやな顔をしていたと思う。
それでチャンネルを切り替えてくれたこともあった。
ごめんね、楽しみを奪ってしまって、と後悔することもある。
だけど、いやな顔をしている孫をみて、行動に移してくれた祖父母たちは、それだけわたしのことをみてくれていたということでもあるから、そこは素直にありがとう、と言いたい。
ああ、そういえば。
わたしは大きな音が基本的に苦手で、本当に体が跳ね上がるくらい驚いてしまうけれど。
大きな声を出して、わざと驚かせてくる祖父が好きだった。
厳しくて、怖いところもあって、何度も何度もぶつかり合って。
憎んで、恨んだこともあった。
だけど、大好きだった。
わたしが大学に行くことが決まったとき、誰よりも喜んでくれたのは、祖父だった。
入院して、自分があとどれだけもつのかわからない不安や恐怖と戦いながら、そんな素振りをほとんど見せなかった祖父。
絶対に、お前たちの結婚した姿をみたいと、それまでは死なないと言っていた祖父。
そんな祖父が、親戚中に電話をかけ、わたしが大学進学することを報告していたとあとから聞いたときは、本当に、心の底から感謝と後悔の気持ちでいっぱいだった。
なぜ、あのときめんどくさがってしまったのか。
無視してしまったのか。
なぜ、母ではなくわたしに、ショートメールを送ってきていたのか。
今ならわかる気がする。
ごめんなさい。
そしてありがとう。
こんな孫で、心配ばかりかけて、ぶつかり合って、それでも最期は和解して。
祖父母たちへの思いは、序列をつけられるものではないし、みんな大好きだけれど。
いちばんぶつかった分、そして、それによってお互いの価値観が変わり、わかりあえた分、失ったときの穴があまりにも大きくて。
しばらく、死を受け入れられなくて。
遺体をみても、泣けなくて。
でも、葬式でようやく、本当にもう、会えないんだと悟り、涙が止まらなくなって。
その後もしばらく、毎日のように泣いていた。
何を見ても、そこに祖父の面影を見出してしまい、後悔ばかりが襲ってきていた。
だけど、いまは、ようやく少しずつ、後悔よりも感謝の気持ちを思い出せるようになってきた。
ありがとう。
とても強く、厳しいようにみえて、本当は誰よりも心配性なあなたは、いまのわたしをみて、まだまだ俺が見守らなきゃダメだなと、笑っている気がします。
実際、いまも書きながらめちゃくちゃ泣いてるしね。泣き虫なんです。あなたの前では、泣いてしまう。
それでいい。どうか、まだ、見守っていてほしいです。
ぶつかったけど、意見が合わなかったけど、全力で、わたしのことを守ってくれたことを、わたしのために戦ってくれたことを、いまなら素直に思い出せる。
そんな守護霊がわたしのうしろについててくれるなんて、無敵じゃん。
これからもよろしく。しばらくは、一緒にたたかおう。
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