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裏社長室(第25回配信)を見て、考えたこと、感じたこと。

隔週水曜20時配信、緒乃ワサビさんの「裏社長室」(第25回)の感想等です(約2800字)。

映画「ルックバック」、手放しの大絶賛でしたね。

個人的には、原作は心に響くものはほとんどなくて(正直なところ、主に気鋭の若手女性漫画家が描く、思春期的作品にはありがちだよね、なんか既視感さえあるね、とすら思った。)、さらにはいま観たい気分の作風でもないこともあって、スルーするつもりだったんですが。

ただ、緒乃さんが「ぐぬぬ…」と思うほどの感銘を受け、それが消えず残るほどの爪痕になったと評するほどの作品なら、観てみるかな、という気持ちにもなりますね。

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はてさて、今期アニメ放映中で、同じくジャンプ作家である松井優征の「逃げ上手の若君」は、太平記という陰鬱な史実(鎌倉幕府滅亡期という日本史上屈指の殺伐とした時代)をバックボーンにしながら、読後の気分は良好です。
さすがに爽快とはいいませんけどね。

松井先生ご自身が、この作品に関しては、おそらく善悪の対立という構図にしたくない、だからこそどこかに偏った、悲しくて辛いものは描きたくない、という基本理念を持っていたのでしょう。

ぶっちゃけちょっと、松井先生に対しては「絵は綺麗になっても、上手にはならないなァ。」なんてことをよく思うんですが、漫画の作り方とか、エンターテイメント性の追求に関しては、天才的だという評価をしています。

あの時代を舞台にした悲劇や英雄譚なら、つまんない人間にだって書けて、面白くない人を唸らすこともあるかと思いますが、この切り口では松井先生にしか描けんだろう、と。

先に述べたアニメ版も、制作会社のクローバーワークスの異様な作画熱量や遊び心ある演出もあり、見るストレスを全然感じません。

特にED曲は時行の墓に始まり、未来世界での、敵仲間不問の宴会風景を描いたりしてるんですが、これまた上述の松井優征イズムをよく体現してて、それがちょっと泣けて、そしてなんだか救われて。

緒乃さんの「天重」もそうでしたが、今は鑑賞後にすっきりとした気分で「よかったね〜。」といえるものが好みですね。

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12:30秒あたり、「漫画の場合は、藤本タツキという才能ひとつで成り立つけど、映画は監督だったり演出だったり、演者だったりという、ミラクルが重層的に重なってこそ名作たりうる」(かなり大意)という話がありました。

例の件は、センシティブな話だから避けよう、という時期もさすがにそろそろ過ぎて、原作改変に対するお考えみたいなものも披露(38:30秒以降あたり)されましたが、まあ、映像化の話になれば、そういうことが起こるのも当たり前といえば、当たり前というか、と、考えています。

端的に、意思決定に、いろんな立場の人が関わり過ぎてるんですよね。さらにタチが悪いのは、程度に差こそあれ、いらんことに、みんなの希望を叶えようとする。その結果、誰も望まない、誰も得をしない作品が完成するという。
最初から、つまんねえ、そして、稼げねえ作品を作ろうと考えてるヤツなんて誰もいないのに。

事象としては、面白いですが。

こういうことで原作がクソアニメ化する過程は、アニメ「SHIROBAKO」でも語られていたとおりです。

件のドラマの顛末の、出来の悪い舐めくさった某テレビ局の報告書を読む限り、そのあたりは昔から全然変わってなくて、思わずにっこりでした。

だから、原作改変への不満に原作者が対応できる方法は2つで、ひとつは作家自身がめちゃくちゃ強力な力を持つ立場になって、意に反する奴を排除する。もしくは現場に介入しまくって、作品全体をコントロール、マネジメントする。

宮崎駿とか、今回話に出てきたスティーブン・キングや藤本タツキなんかは、きっとそういうスタイルなんでしょう。

もうひとつは、完全に別物として捉える、自分の作品を敷衍した、他者の作品として楽しむという姿勢で臨む。
これは諫山先生や森博嗣的スタイル。

私自身も、自分の仕上げた仕事を、自分の上にいる評論家たちのおもちゃにされて、忸怩たる思いをしたことは、少なからずありますが、メンタルヘルス的にも、上下という立場という観点からも、「そこを触るなら、後は知りませんよ。」という態度を貫くのが、一番現実的かなぁと思っています。

一度、そういう態度と言葉を表に出して、あとで責任感がどうとか、当事者意識がどうとか、結構強く叱責されたこともあるのですが、私は「だってあれ、僕のした仕事と全然ちゃいますもん。」とだけ返しました。

あんま構えんと、それくらいの心持ちでええんちゃいますかね。あかんかな。

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みんな大好き森博嗣(といわれつつ、コメントしてたのは実はほぼ私だけだったのですが。)先生については、一度、noteに記事を書いたことがあるんですよ。

森先生の数々の発言の真偽はさておき、記事を書いてから1年近く経ってなお感心するのは、森博嗣先生の、今風にいうブランディング、昔風にいうならセルフプロデュース力の圧倒的な高さです(今は現役を引退して、大病を経て、生への執着すらない中でも、頼まれてるから仕方なく仕事として著作を出し続けている、というスタイル。)。

「作家・森博嗣」のキャラを作るセンスも、それを守り抜く強さも、作家の中では圧倒的に一番ですね。いや、小説家って基本奥ゆかしいですから、二番とかいないんじゃない、とも思いますが。

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53:30頃から、「朝令暮改は肯定派」という話があり、それに対して私は「ブレるという言葉が否定的につかわれるのが嫌」というコメントをしました。

だって、目先のことですら刻一刻と変わるのに、いつもいつまでも同じこと言ってる奴がいたら、やばいと思わないですか?環境への適応性に関し、また先見性に関し、あまりに無能過ぎると思わないですか?

自分自身に鑑みても、成果が出なければやってることを変えないと、いつまで経っても先に進まなくないですか?

たぶん、初めてブレるブレないを言い出したのは矢沢永吉で、公の場で揶揄されたのは麻生太郎が最初だと思うんですが、これ、本当に未だに納得いかない。

「言ってることブレブレやんけ」
「だってそれじゃダメだってわかったんだもん」

の何がいけないか。

こういうやりとり、人生で何度もしてて、なにげについ最近もあったんだけど、40半ばを過ぎてなお、こういう自分の態度がなぜ良くないとされているのか、さっぱりわからない。

別に無視したら良いんですけど、私も年をとったからか、残念ながら「自分を許さない周囲に対して不寛容」になってきたというか、周りとの乖離が、だんだん気になるようになってきました。

どんどん衰えていく自分というものが、やっぱり怖いのですよ。特に今回の、自分を許さない他人が嫌いという自分は、ちょっとみっともないなぁと。反省というか、自分への失望というか。

まあ、私の話はどうでも良いのですが。

さて、今回も華麗にスルーされた「怒ったらどうなるか?」の行方は。

次回配信も、楽しみにしています。


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