感情論で話す〜アステロイド・シティ〜

「アステロイドシティは実在しません。それはこの番組のために特別に作られたフィクションのドラマです。登場人物は架空であり、セリフは仮説に基づき、出来事は真偽の疑わしいでっち上げ。しかしそれらが一体になり、現代演劇の内なる働きを真に伝えるものとなっています」

2023年9月1日劇場公開・ウェス・アンダーソン監督作品「アステロイド・シティ」より

テーマと結論が好きなので、まとめておきます。

前説

作品の中で問われているのは、おそらく「意味」である。

それは作中における。死別した妻やその周り、そして、脚本や「手を焼く口実」に示されている。

アステロイド・シティは多重構造的な舞台設定で、「TV番組の中にあるフィクションのTV番組」という構造になっている。。

つまりは、本当に全てが嘘で構築されていて、意味を持っていないということになる

そして、意味を持っていないという意味──みたいな堂々巡りの話をしたいのではなく、「意味づけること」の話がこの作品の肝かと思う、

 単刀直入に言ってしまえば、この何も無い世界の中で、世界そのもの、観測地点たる自分自身の世界を作るということは、意味をつけることだ、創作とは、意味を作るものだ。という感覚である。

映画の示したところで話すなら、実の所、世界は劇的では無く、全てが時間という名前の大きな波に流されて、最終的には無くなってしまう虚無です。宇宙人が突然現れたって、日々は変わらず続いていく。

しかし、その時間を物語るのは誰なのか。そしてその行動に、理由をつけるのは誰なのか。他の誰でもない、それは自分自身だ、

他人から属性を与えられても、その物事に価値がなかったとしても、過去の遺物としてありふれていても、当人がそこに意味を感じれば、物語れば──ひとつの特別な詩情になる。人生も、フィクションも。

人は死んだらお星様になるか?
オーギーが、手を焼く口実って?

意味は無い。現実的でない。けれど、僕らはそこに、意味を求めて語りだしてしまう。

なにより、主人公が持っているカメラというものは、それこそ何も無いこの世界に対して、ものに対して、瞬間に対して意味を与える装置じゃないか。

ラストに象徴的に語られる部分もそうだ。
「眠らなければ起きることはできない」
当たり前のことだ。しかし、あの映像の中で、アステロイドシティがわからないという人の中にも、何か意味のあることとして、猛烈に焼き付いているだろう。

それが意味づけだし、理由付けで、僕らは生きている間、それを永遠にやり続ける。

時間の感覚すら、それぞれ一人ひとり違う感覚と意味を持っている。生きている間。僕らは意味を作りづづけていこう。その先に、きっと楽しいものがあると信じて。

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