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実質的な人生の終わりについて

表題について。実質的な人生の終わりとは、これから先がどうなるか、予見できてしまうことである。それは、人生という一つの大きな可能性の収束地点、その観測である。

月曜日の友達という作品で、中心人物である月野透が、終盤で語っている。

変わらない景色の中、朝から晩まで、毎日労働して稼ぐ。
夜明け前に起き家族の弁当の用意をする。その余りを朝食にして仕事場に行く。月の給料が出た日には家族と外食に行く。大人になればお酒を飲む。
その隙間で娯楽や本に時間を費やす。

月曜日の友達 第二巻 168Pより

ここで語られていることは、人生という可能性の終着である。作中ではそれに対して一つの願いを提示して物語が閉じていく。思うに、人生というものは、こういった終着に対して、どう立ち向かっていくかということが、幸福に向かう道なのだと思う。

しかし、それはとても苦しいことだ。自分の人生がどう終わっていくのかがわかっている、可能性がなくなっていくということは、実質的に死ぬことと一緒だからだ。

自分の人生が閉じていくという恐怖感に、誰しも苛まれたことがあると思うう。そんなことを考えていてもし仕方がないし、時間は僕らの背中を押して無理やり前に進ませる。最終的には、自分が変わるしかない。可能性の収束を受け入れるか。そこから飛び出すために行動し続けるか。

しかし、動くということは怖い。難しい。でも、このまま死にたくないからという感情だけが自分の中で渦巻いている。

おつらい!!!!!!!!!!!!!あ!!!!!!!!!!!!!

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