20230907 川平、滝道(仙台市) #風景誤読
〔 ある日の観察日記 〕
(2023年)
9月5日から9月6日の大雨で
道路や階段には土や雨水が溜まっていた。
何日か前に、
“たかしなさん”に教えてもらった
鳥滝川の地図と
私が調べた内容に思いを馳せつつ
水の音を頼りに気ままに歩く。
.。o○
歩きながら何度も
『“ 焼き鳥川 ”ではないよ…。』
と我に言い聞かせつつ、様々な光景を目の当たりにする。
先へ先へと歩を進めていくうちに、そんな…ぬるい考えを軽く蹴り飛ばしてくれる面白さと高揚感に包まれる最高な一日(ひととき)だった。
【歩いたルート】
1.「ローソンから下へと伸びる坂を下り、手前の路地を右に曲がる。」
微かに泥水混じりの水が
水のトンネルのような所から蛇口のように
勢いよくながれている。
濁った水のまま下流へ向かっている。
先日の大雨の影響を感じる。
2.
「泉ヶ丘幼稚園の付近。どこからともなく聴こえる水の音色を頼りに、先を歩く。」
先ほどの泥水とは比べ物にならない位に
ほんの100メートル200メートル先の水はとても澄んでいた。
この違いはなんだ、、もしかして…どちらかが鳥滝川じゃないのかもしれない(?)。
…
と思いつつ、水が目的地に案内してくれると信じてただただ歩いていた。
着いたらなにしようかな、、
3.
「いつのまに泉が丘幼稚園に到着。」
“ たしか幼稚園の近くに
『鳥滝川』があったような。。 ”
かすかな記憶を頼りに
慎重に、あるく。
滝はすぐ近くな感じがするのに
『泉が丘幼稚園』と
『入ったらいけない空気がプンプン漂う森』が前を立ちはだかっている。。
だが、泉が丘幼稚園のエリアが
現段階で一番、水量が多かった。
.。o○(もしかすると…ここは
迷宮だったりして…)
4.「滝道という地域にたどり着く。」
“ お~。着いた~!!
今日は暑いから鳥滝川に入って涼もうっ。”
と、考えた矢先。
すぐにここではないと気づく。
水の滴る音が皆無になり、
用水路は水が流れている形跡もないからだ。
むしろ滝から離れているような気が…((・。・;; ?.。o○
でも昔は、
滝の道ができるくらいの水があふれていたのかもしれない。
川をコンクリートで隠したり
埋めたりしているのは、
住む人たちの快適さや憩いの場も
そぎ落としているような気がした。
いまは水不足であるのなら、
このコンクリを剥がしてしまいたい。
(あぁ…色んな人から怒られそうなやつ。)
(*´∀`)
5.「坂を上へと昇る。音だけは壮大な滝に到着」
歩けども、歩けども、滝は一向に現れない。
.。o○…そろそろ出てきてもいいんだよ~)
私が坂の頂上についたと同時に、
別の坂から白黒の斑模様の猫さんが
トコトコ登って歩いていた。
人と何度かすれ違ったけれども、
なぜだかこの辺りのことを
1番よく知ってそうな猫さんと出会う。
なんとなく
ここから川は近いような気がした。
6.「半ばあきらめて、普通に散歩を楽しむ」
もはや、ここまでくると川を探すことよりも
住宅地とともに聴こえる『水の音色』と『鳥の鳴き声が響き渡る』光景が、とてつもなく神々しいものに感じる。
(。-∀-) ホッコリ.。o○
気が付いたら、目の前に教会が建っていた。
好奇心と恐怖心が揺れているなか恐る恐る、入口の扉を開ける。
そこには、教会の主人公がゴスペルを歌っているあの映画を思い出す。ここに長居したらいけないような、何かが張りつめているような空気も同時に感じる。
とか思いつつ、
今は休むところを求めていたから
ちょうどよかった。
横に長い木製の椅子に座り、
秋のような爽やかな風を浴びながら、
汗にまみれた身体をゆっくりと休ませる。
○oo。
(~o~)(~o~)
○oo。
この日は鳥滝川の源泉を見ることができなかった。だけれど、帰るころにはなぜか満足している私もいた。((´ω`))
水量が多い地域と
水が全く流れていない地域。
水の音だけが聞こえる
けれど
水は見えるところにいない。。
水の音は盛大なのに滝が見えない感覚、
目の前の側溝やポールから蛇口のように
水が流れている光景に浸った一日だった。
まるでどこかの水音と
『かくれんぼ』『色鬼』『鬼ごっこ』で
遊んでいるかのよう。
*
昔ここで生活していた方たちは、
この川をどのように活用していたのだろう。
((。´・ω・)?)?
やっぱり、まだまだ探索したくなる。
*
それから図書館へと向かい、
仙台の歴史を調べてきた。
7.「図書館で仙台の歴史を知る。」
戦前から戦後(団塊の世代の前)まで
仙台全域は、のどかな風景が広がっていた。
“のどか” とはいっても、
お店や人々の生活空間は栄えていた。
学校や図書館、病院のような
ライフラインはすでにあり、
今でも形は違えど現役のところもある。
(例:バス/電車/第一中学校/
第二中学校/大学病院など)
当時、大学病院周辺の空地にはひっそりと水田があり子供の背丈くらいの草も日常的に生えていた。
仙台駅の周辺では(舗装されていない)砂地の道路のため強風が吹くと、歩いている人の姿がぼやけて見えなくなるのが日常だった。
(“ 仙台砂漠 ”と当時の人は呼び、砂漠と思わないと気持ちの面で通れなくなるほど大変だった。)
当時の写真には、横断歩道を渡ろうとしている人々が砂嵐に呑まれて全身砂まみれになってしまっている様子が残されている。
*
当時の広瀬川は
とても澄みきった水面であった。
川を泳ぐ魚もしっかりと見えるので、
休日は釣り客で賑わっていたそう。
小さいヨットの上や水の流れが穏やかなところで立ちながら釣りをしている写真も残されている。
(『日ごろの生活からリフレッシュをしたい人が集まって楽しく釣りに勤しんでいる』とその写真には補足されていた。)
*
市内を流れる梅田川も、当時はとても澄んだ川だった。
近代化の動きとともに公害問題が深刻化し、川の水は生活用水としても使用されていたので地域住民の命に関わる問題でもあった。
( ボランティアで川の清掃に励んでいる地域住民が綺麗な川を取り戻そうと一丸となっている写真も記録にある。)
*
当時の写真をみていると
みんな人間味に溢れていて、現代人よりも
幸せそうな表情をしているのはなぜだろう。
生活の不自由さと風情が共存していた光景は辛い気持ちさえもすぐ水に流せたのかもしれない。
もしかすると、地域住民のオアシスが身近な所にたくさんあったのかな…。。
(。-∀-).。o○(蓄積される負の感情も、オアシスが浄化してくれていたのかな。)
*
いや、当時を何も知らないから勝手に
そう見えているだけなのかもしれない。
✽
参照:https://youtu.be/I1O6Fg2-Stg?si=YYBO7OkSiKbyC8NP
鳥滝川のような音楽とMVをみつけてしまった…
[りな]
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?