morohaの活動休止を受けて。創作の苦楽について話がしたい。【GIG and TAKE】
2024年12月21日、morohaが活動休止を発表した。単独ライブの恵比寿The Garden Hallで全ての演目が終了した後に、ステージ上にて報告された。
ライブ中に余計な雑念を持って欲しくないということで、発表ギリギリまで一切公開していなかったとアフロさんは発言していた。そのような気配が全くなかったので、非常に驚かされたというのが率直な感想である。
私は同年11月14日に行われたライブ「GIG AND TAKE」に参加していた。もちろんその時も活動休止になるとは思ってもいなかったし、ずっと続くつもりで曲を聴いていた。だけど、それを知った上で改めて振り返ってみると、やはり思うことが沢山ある。
本当はライブの感想を心の中に留めておきたいと思っていた。しかしこのタイミングでないと書けないことがあると思い、勝手ながらnoteを書くことにした。
GIG AND TAKE(物々交換ライブ)
「GIG AND TAKE」ライブのコンセプトは「個人の創作物や影響を受けた作品を持ち寄り、それと引き換えにmorohaがライブを提供する」というもの。影響を受けた作品や、自分で作った創作物を持ち込むと、ライブに無料で参加することができた。
私はmorohaの曲に感化されてプログラミングの勉強を開始し、今はエンジニアとして活動している。そのような経緯から、自分の開発したアプリに関する作品をつくって持ち込むことにした。
ライブ当日、指定の1時間前にはライブハウスを訪れた。既に長蛇の列ができていて、皆が何か入っているであろう大きめなカバンを持っていて、なんだかワクワクしたことを覚えている。
一昔前の自分であれば、他作品への嫉妬めいた感情があったかもしれない。それこそ「俺のがヤバイ」「俺の作品を見ろ」と息巻いていたかも。
しかし今の自分にはそんな感覚は一切なく、小学生の工作発表会のように持ち寄った作品を楽しみたいという気持ちが強かった。
モノづくりをするようになると、その工程を具体的に想像できるようになり、他者の作品へのリスペクトが強まる。歳を取ったなぁ、と自分の過去を振り返りながら列で待機していた。
ライブ会場には次々と観客の持ち寄ったモノが運び込まれていき、ロビーがそれらで満たされていく。カメラを持ったスタッフの方と会話をしていたり、色んな人達が集まっていた。
準備した作品を預けて、開演までしばらく時間があったのでそのあたりを散歩して待機していた。
あいしてる
散歩しながら、その日に公開されたばかりの新曲「あいしてる」を聴いていた。
「待望の音源化!」みたいな雰囲気があったので調べてみると、ライブでは披露されていたらしいが、音源化されたのはこれが初めてとのことだった。
正直なところ、最近の私は少し音楽との距離があった。ただ「仕事が忙しい」という訳ではなく、心が音楽から離れていた。
本を読んだり、映画をみるのは楽しいし、システム開発の勉強は好奇心を満たしてくれる。もちろん散歩しながら音楽を聴いたりはしたけれど、それらに比べて熱量は明らかに減っていった。
誰かのライブに行ったり、年末のカウントダウンライブの出場者をチェックしたりすることは極端に少なくなっていた。時々懐かしむように曲を聴く程度になってしまっていた。新曲はリリースされてAppleMusicのレコメンドで気づく程度で、そうなってしまった自分を少し寂しく思ったりもした。
「あいしてる」はラブソングではなかった。
創作への思いを表現する曲だった。
創作で食っていくことの難しさは当事者になってみないとわからない。個人事業主になって、システム開発だけでお給料をいただくようになってからは身に染みて実感する。
先に述べたとおり、人の関心は移り変わっていく。だからいつも自分が不必要になってしまう恐怖と向き合い続けなければならない。自分が何を考えていようが、社会は残酷に物凄いスピードで進んでいく。
来月も同じだけの仕事をもらえるだろうか
相手は自分の仕事に満足してくれているだろうか
自分の作ったモノは本当に誰かの役に立っているだろうか
これって本当に自分の作りたいモノだっけ?
実際には時には何もせず、何も考えずにぼーっとしていることだってある。でもやっぱり頭のどこかで「大丈夫かな」という思いが拭いされない。
ましてやmorohaのお二人のように、言葉や音楽で表現する方のプレッシャーは私の比ではないと思う。UKさんは「これまでのmorohaの楽曲に全ての引き出しを使い切ってしまった」と話す。アフロさんは過去の楽曲で「新曲かけねぇ奴なんて追えねぇ」と歌っている。
過去の自分のポリシーと矛盾する行動をとると、それが嘘になってしまう。人間は常に矛盾をはらんでいて、それを柔軟に受け入れられるのが強さだと私は思う。しかしお二人がそれをどう捉えているのかは推し図ることは出来ず、それだけに今回の決断は非常に難しいものだったろうと推測する。
少し話が脱線するが、Mr.Childrenの「I MISS YOU」では、過去の楽曲に苦しめられるように取れる表現が含まれている。
創作が苦しいのは、創作物が自分のコピーだからだと考えていた。それが褒められれば自分が認められたかのように嬉しくなるし、貶されれば否定されたような感覚になる。見向きもされなければ、それは自分の存在が無視され続けるような寂しさがある。そう思っていた。
しかし「あいしてる」を聴いて私は、そうではないのかもしれないと思った。過去と今の自分に生じるギャップこそが、創作の苦しさの正体なのではないだろうかと思う。
やめるならいまだ
開演の時間になると、久しぶりのライブ会場の匂いがした。
事前にいただいていたドリンクチケットをカルピスに変えてから、右の方の空いてるスペースに立つ。少し大きめのカバンを持ってきてしまったので、後悔しつつ地面に下ろす。
それからしばらくして、二人がステージに現れた。おそらく7年ほど前に新木場スタジオコーストで見た光景がフラッシュバックする。
morohaに出会ったのは私が大学生の頃だった。社会へのアンチテーゼを歌うロックバンド、Take it easyを謳うレゲエ、音楽の楽しさを教えてくれるジャズ。私は決して楽器が上手ではなかったし、詳しい訳でもなかったけれど、多様な面を見せる音楽が大好きだった。そんななか、morohaは自分への問いを与えてくれた。「本当にそのままでいいの?」と。
初めて訪れたライブの生演奏は音源以上に凄まじいインパクトがあった。音がデカいとか生演奏だからということもあるが、とにかく会場の熱気が凄まじかった。皆が、ステージを食い入るように見ていた。
このフレーズが未だに記憶に残っていて、時々思い出すことがある。その会場にいた全員が圧倒され、罵倒にされ、モチベーションをもらったことだろう。
その当時の記憶を思い出しつつ、今回のライブが始まった。超絶技巧ギターとリリックで畳み掛けられ、あぁ、変わらずカッコいいなと思った。
特に印象に残った曲は、「やめるなら今だ」である。こちらも「あいしてる」と同様に未音源化楽曲だったそうだが、活動休止にあわせてリリースされた。
この演奏を聴きながら、二人がmorohaを辞める時のことを想像していた。物事を「辞めたい」と思うきっかけや理由はいくらでもある。人間である以上、いつか体力的にパフォーマンスができなくなることもあるし、歌詞にもあるように不仲が原因になったり、他にやりたいことが出来るかもしれない。
しかしなぜか「まだ辞めることはないんだろうな」と思ってしまっていた。だから活動休止を知った時、真っ先にこの曲が思い浮かんだ。
「これは呪いか 祟りの類か」
これを聞いて少し悲しくなった。それと同時にやっぱりそうか、とも思った。創作の先に、多分わかりやすいゴールみたいなものは用意されていない。年月を重ねるにつれて、その重さは増していくのかもしれない。
だけどその過程に確かにある幸せな瞬間がある。だから今はそれを享受しながら、今出来ることを精一杯やっていきたいと考えている。
終演後
全ての演目が終わり、深くお辞儀をして立ち去るアフロさんの姿が印象的だった。「活動休止が決まってから、どうでもいいと思ったこともあった。しかし手を抜くことの方が難しかった」と、ラストライブで語っている。
気づいたら時間とあっという間に過ぎているもので、後悔する暇もなく目の前のことで手一杯になってしまう。大好きだったモノも優先度が変わって、また新しい大切なものが出来る。
もしかしたらお二人も、また新しい大切なものが出来て、それに没頭するのかもしれない。もしそうならば、私はそれを同じく応援したいと思う。
ずっと立っていたのに疲れたので、会場の端っこの方で少し座って休憩してから外にでた。するとライブハウスのロビーに、アフロさんの姿が見えた。演奏が終わってすぐに物販会場へ移動し、グッズを直接手売りしているのだとわかった。
販売列に並ぶ客一人一人と目を見て話していた。
持ち込まれた創作物について話しているようだった。
私は「あぁ、本当にこういう人なんだなぁ」と思った。
お二人が人生を注いだ創作物。
受け取れて、私はとても幸せでした。
今までありがとうございました。
2024.12.25 追記
アフロさんがソロ曲を公開されました。