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【3分で読める】「あいつら全員同窓会/ずっと真夜中でいいのに。」を聴いて小説のワンシーンを想像した。【考察】
【あらすじ】
同窓会の招待状が届く。その封を開けると、ご丁寧にデザインされた立派な手紙と、出席の回答フォームに飛べるQRコードが記載された紙が封入されていた。
特別仲が良くない人と、特段美味しくない料理を食べて、同じ話題を繰り返す。それの何が楽しいのか、私にはわからない。
私はそれを、すぐさまゴミ箱へと放り捨てた。
「お前、何言ってんだ」
翔太は顔を真っ赤にして、私を睨む。そこまで怒られるようなことを言ったつもりはなかったし、翔太が口調を荒立てる機会は少ないので、私もつられて声量が大きくなってしまう。
「だって、別に会いたくないし」
「中学時代の同級生だろ?年に一回あるかないかの行事なんだし、たまには会って話をしなきゃ」
翔太は昔から友達想いな人だった。家族や自分よりも”友人”を大事にするという彼のポリシーはいつも一貫している。「血縁や利害関係にない間柄だからこそ、自分に時間を割いてくれることの価値を重んじたい」というのが彼の言い分だった。
彼のそういう性格に惹かれたことは否定しない。けれど、その価値観に共感したことは一度もない。”友人”と呼ばれる関係性はいつでも曖昧で抽象的だ。人によって定義が異なる。その僅かな綻びから、いつか大きな亀裂が生まれることは容易に想像できる。
「親友だと思っていたのに」
「友達だから許してくれると思っていた」
そんな言葉を何度聞いたかわからない。「友達だから許されること」と「友達でも許されないこと」の違いとは、一体何なのだろうか。彼や彼女達は、それに明確な答えを出せるのだろうか。
例年、同窓会の招待状が届くと、いつも心がざわつく。かつての同級生達は今どうしているのか、興味はある。だけど直接会って話を聞くほどではないし、きっと他の皆も私に対して同じように思っているだろう。
私はポストに届いていた同窓会の招待状を、中身を確認せずにゴミ箱へと捨てた。後日それを翔太に発見され、現在に至る。
「会いたくない奴がいるなら、さりげなく離れればいい。俺だって関わりたくないような苦手な人もいるし。でも、久しぶりに会いたいと思う人もいるだろ?」
会いたい人には、普段から連絡するものではないか。わざわざ同窓会という形でなくても良いではないか。わざわざ口に出すことはせず、黙っている。
それからも翔太の熱心な説得は続いた。
そして結局、私は同窓会へ出席することを決めた。明らかにこれは私の意志ではなかったが、彼が満足そうにしているので、これでいいと思った。
当日は風邪でもひいたことにして、休んでしまおう。いや、わざわざ嘘をつかなくても、本当に体調を崩せばいいのか。頭のなかを言い訳がぐるぐるめぐる。学生時代、学校に行かなくても良い理由を探していた時と似ている。
私はスケジュール帳を開き、該当する日程に「同窓会」と記す。
鼻先のあたりを、学生時代のジメジメとした空気が漂う。
私は思わず頭を振る。そして、手帳を無理矢理閉じてカバンへとしまった。
いかがでしたでしょうか?
今回は価値観を扱う話ですので、少しセンシティブな物語になったと思います。共感してくれる方も少なくないと思います。
私自身、「どうすれば学校をサボれるかな」なんてことをよく考えていました。何もしたくない、何も考えたくない、という感覚に襲われること、皆さんもありませんか?
ちなみに私は「同窓会に行って、その後仲の良い数人でご飯を食べに行く」時間がとても大好きです!
民奈涼介
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![たみな涼介 | シナリオライター/アプリエンジニア](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/103359300/profile_033bb3c240c34e2005d93c9af7c59fdc.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)