「メロウ/須田景凪」の青い温度とは結局何を示しているのだろうか?【考察】【歌詞の意味】【超訳】
「スキップとローファー」が面白くて全巻まとめ買いしてしまった。アニメの存在を知っていたくらいでほとんど前情報のないまま一話を観ると、思った何倍も面白かったのだ。
AmazonPrimeでアニメを見る時、ついオープニング曲をスキップしてしまう癖がついてしまった。そのせいでこのオープニング曲をじっくりと聴く機会がなく、この曲の面白さに気が付けなかった。大きく反省すると同時に、もっとこの曲やMVを深掘りしてみたいと思った。
今回はMVを中心に、この曲の「メロウ」たる所以について考えてみたいと思う。
曲名「メロウ」の意味
まずは「メロウ」の意味をググってみることにする。
この曲においては
がテーマであると仮定すると、歌詞やMVの意味がスッと理解しやすくなる。まずは歌詞の全体の構成を考えてみたい。
歌詞の分析
1番:甘酸っぱい出会いの季節(10代~20代)
主人公(僕)がパートナーと出会う。陰気っぽい自分とは真逆のまるで太陽のような相手に対する憧れを感じ取れる。
この時点ではそれが"恋心"であるということに主人公は気がついていない。ただ遠巻きに見惚れている状態であり、二人は親密な関係にあるとは言えないだろう。曲の前半で描かれているのは、主人公の抱く一方的な恋心であることが窺える。
2番:恋の成就と精神的な成長(20代~30代)
ここから主人公はパートナーとの関係性の変化があったことを見て取れる。
これは「感情重視な性格のパートナー」と「理性重視な性格の主人公」と対比を印象付けるフレーズであり、主人公が自身のコンプレックスを抱いていることもわかる。
パートナーのような感情的な人物像に憧れる自分と、反する自分のアイデンティティ(これを弱さだと主人公は捉えている)も大切にしたい自分。いや、「好いてもらいたい・認めてもらいたい」の方が適切だろうか。
しかしその後「今では懐かしい幼い傷跡」「見せかけの美しさ」と、そのコンプレックスを否定する言葉が続いている。主人公の精神的な弱さを過去のモノとして振り返るほどには年月が経過しているということが窺える。
「ひとつも要らないね」と主人公が考える理由。それはもう二人の恋愛が実ったからであって、見栄を張ったり駆け引きをする必要がなくなったからだ。
恋の実った幸せな状態。春とは出会いを象徴する言葉であり、二人は出会った頃の思い出とともに満足した生活を送ることになる。
しかし次のフレーズで不安な展開が訪れる。
Cメロ:別れの訪れ(50代~60代)
複数の疑問が連続している構成になっているが、いずれも最期をほのめかすようなフレーズになっている。それも失恋のような別れではなく、いずれも時間的な制限を感じさせるものばかりである。関係性の悪化ではなく、寿命による強制的な別れを恐れている主人公の様子がわかる。
しかも単純に別れを恐れているだけではなく、二人の関係性や思い出が変化してしまう可能性を恐れている。「ふたりは重荷となるだろうか」とは、年をとるにつれて増える苦悩の積み重ねにより、関係が悪化することを懸念しているのだと感じ取れる。
共に過ごす時間によって積み重ねた青い温度(恋心)を、これから過ごす時間によって失ってしまうことを不安視しているのだ。
そんな不安や恐れすら、パートナーと出会うことがなければ味わうことのできない感情だった。この最後のフレーズから、主人公にとってパートナーがいかに大切な存在であったのかがよく伝わってくる。
サビ:青い温度の正体とは
ここまで深掘りすると、曲名「メロウ」の意味がよく理解できる。つまり、主人公とパートナーの円熟していく関係性を、主人公の視点を通じて描いているのだ。
面白いのは、主人公が青い温度の正体を最期まで「恋心である」と断定しないことである。客観的にみれば明らかにこれは恋心だし、主人公自身も当然理解しているはず。それでもなぜ断定しないのかが、この楽曲のユニークさだ。
サビで何度も繰り返すフレーズ。
Cメロの後にも何度か再度繰り返されている。
時系列で考えると、「年老いた後も相手のことを想う。あの頃の恋心を忘れない」のような歌詞で締めくくるのが妥当とも考えられるが、本楽曲はそうしない。終始一貫して「青い温度の正体」に言及し続けている。
主人公は理屈っぽい自分の性格をよく理解している。あらゆる感情を言語化しないと気が済まない。そんな主人公が年老いて、何年も時間を積み重ねても言語化できない尊い感情が恋心であり、それを青い温度と名づけることで理解を試みようとしようとしているのだ。
これらの理由から、共に過ごした時のなかで得たパートナーに対する想いの総称が青い温度であるという結論に筆者は落ち着いた。
MVの分析
これまで歌詞を分析してきたが、次はミュージックビデオの考察をしたい。本作のMVはアニメ作品になっていて、まさに先述の歌詞を分析したとおりの展開になっている。
学生時代に出会った二人の男女が恋愛関係になり、一緒に暮らし始める。その生活のなかで、思い出が増えて行ったり、お互いの仕事や価値観のすれ違いが生じたりする。
二人は別々の道を歩き始めることにするが、最終的には運命の赤い糸に導かれて再開するというハッピーエンドで幕を閉じる。
このMVの物語は、歌詞には含まれない彼らの生活の部分であり、歌詞では表現しきれていない関係性を丁寧に描いてくれていると感じる。例えば
を表現するのは、二人が仲違いするシーンがわかりやすい。学生時代に野球に明け暮れていたはずの彼氏は、以前ほど野球に興味が持てなくなってしまっている。
学生時代の写真をみて思い悩む姿も、それらが過去のモノになってしまったということを示している。
関係性の成熟には時間が不可欠だ。出会った頃のままずっと同じ状態であり続けることには、実は思っている何倍もの努力が必要である。このMVが表現するのはその成熟の過程だ。
だからこそこのMVがハッピーエンドで終わることは、私たち視聴者にとっては喜ばしいことだし、そうであって欲しいと願わずにはいられない。
私たちは人間関係を始める時に、「いつかこれが終わってしまうものだろう」と打算的に考えたりしない。できる限り仲良くいたいし、長く一緒にいたいと思うものだ。
これを実現するにはかなりの労力が必要だと誰もが経験から理解している。だからこそ、この楽曲が爽やかでポップな曲調であることや、円満なエンディングであることに救いを感じるのではないかと筆者は感じた。
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