騙りあいましょう

自分を偽るのはもう辞めたい。

私は今、一般的な就職活動をしている。本当ならば就職活動には決まった型というものがないはずなのに、みんなマリオネットみたいに同じ行動をして同じ言葉をしゃべる。はっきり言って気味が悪い。
就活の異質さは随所に表れていると思う。それについて感じたことはまた別の機会に綴ろうと思う。

さて、就職活動をしている中で、自分を見つめ直す機会はやはり多い。むしろ自分を知っておかないと就職活動のスタートラインにも立てない。
自分はこれまでどんなことをやってきて、それはどういう思いがあったから、自分の中のどういった感情やあるいは素質みたいなものが、自分の人生を形作っていたのか。
そういった自己分析で得た「自分像」というものは、ガクチカ、自己PRといったものとして言語化されていく。

私も、もちろんやってみた。大学ではほとんど就活支援なんてやってくれなかったから、独学でかなり適当に、見よう見まねで自問自答をしてみたのだ。

ではここで、私自身の本当の性格について少し書くことにする。
私が思う、「本当の自分」はこうだ。

・周りの刺激に敏感
・合理的
・好奇心が強い

3つ挙げるとすればこんな感じだと思う。

まず「周りの刺激に敏感」という点について。
音や匂いや光といった物理的な刺激から、周囲の意見だったりピリピリした空気だったり、そういった目に見えない刺激(音や匂いも目には見えないが)に対して非常に強いストレスを感じる。だから、ライブも最初は苦手だったし、タバコの匂いはまず無理。道が割と明るめの色をしてたりして、今のご時世マスクなんかつけてると、太陽の光が反射して目がまぶしくて仕方ない。研究室のデスクがみんなに背を向ける形になってたり、人通りが多い場所にあったりすると、全くリラックスできないし、誰かが不機嫌なのを察知するとそれだけで不安になる。調べたら、HSPというのが出てきたけど、まあそれに近いのかなというのは自覚している。

そして「合理的」であるという点。
これは、私が何かをするときに果たしてそれが本当に必要なのかどうか、必要であれば何も疑問を持たずに行動に移し、少し違和感があればやらないという選択を取ったりする。服はお洒落さよりも着心地だったり機能性を重視したいし、髪型は一つ結びの方が髪の毛が顔にかかるストレスを減らすことができる。行動が遅い友人を待つよりも自分はさっさと行ってしまった方が早いし、ガールズトークなんてもってのほか。誰かが何かの作業をしていたらその作業を手伝うのではなく、自分は別の仕事をした方がいい。学生時代によく、クラスの女子が泣いていてその周りの女子が何人もその子を慰めてるみたいな場面をよくみてきたけど、こういうとき私はこれだけいるんだからもう十分だよねっていって一人で掃除を再開し始めるみたいなタイプだった。でもそれは冷たいからとかその子が嫌いだからとかいうわけじゃなくて、単純に自分が行く必要性を感じなかったから。

最後の「好奇心が強い」という点。
合理的であるのと少し矛盾があるように感じるが、必要であると思ったことに関してはとことんやる、というのが答えになる。
私の場合特に生物分野に強い好奇心があったと思う。例えば、虫眼鏡と日光を使って黒い紙を燃やすだなんて、そんな面白そうなことやらずにはいられなかった。カエルの卵を水槽の中に入れて、孵化したオタマジャクシの観察とかもしていた。結構残虐なこともしていたと思う。芋虫をつぶして中身を観察してみたり、アリの巣に水をいれてみたり。ヤバイ小学生だった自覚はあるけど、自分の感覚的には弱い者いじめをしているというわけではなくて単純に知りたいと思ったからやってたんだよね。
そういった意味では、私が最近歴史に興味を持ったのは少し珍しい例かなと思う。私は実のところ歴史を学ぶ意味がよく分からなかった。合理的な性格が出てしまい、なんで今更石器時代のことなんて覚えないといけないの?と歴史の習い始めに思ってしまいそこからアレルギー反応を起こしていた。(近代史を学ぶ理由は納得してたけどね。)きっかけになったのは大河ドラマ。「青天を衝け」。これまで紙を使って、字でしか見てこなかった歴史が、実際に映像になって動いているのは結構面白いなと感じた。歴史アレルギーで時代劇とか見てこなかったけど、端整な顔立ちの俳優さんが偉人に扮して(?)動いていると、自然と見入ってしまっていた。でも物語が分からなかった。尊王攘夷がなんだかさっぱり抜けていた。祖父に「ねえ、じいじは大河見てて歴史のこととか理解してるの?」と聞いたら「そりゃ、分かると。」と。これじゃまずい。私は中学の歴史の教科書を引っ張り出してきて、とりあえず物語の中心である江戸末期から読み始めた。読んでみると意外と面白くて、次は高校の教科書でも買おうかしらなんて思い始めている。


と、私の思う私の本当の性格はこんな感じだろう。

ところが就職活動の中では口が裂けてもこんなことは言えない。
周りの刺激に敏感なんです!ってなんのアピールにもならないどころか、マイナスにみえてしまう。
合理的だなんて、なんだか健全な人間関係を築けなさそうだし、好奇心が強いというのは社会人にとってのアピールにはならないだろう。

就職活動の中では自分の性格はすべて「自己PR」として語らねばならない。私はこういう強みがあります!この強みはこういう経験で発揮されました!そしてこの強みを生かして御社では…

まあ分かるんだけどね。正直者はバカを見るシステムだから。就活って。
本音で語ってるヤツなんかいない。

私はこの暗黙の了解的なルールが本当に嫌だった。
というか、それがルールとして存在するならば就職活動で自己分析とかやらせないでほしい。バカ正直に自分のことを掘り下げたら、余計に自己肯定感がなくなっていった。
就活用の自分の性格を創り上げる練習からやらせてほしかったな…。

ちなみに私が就職活動で騙って語っている性格はこんな感じ。

・周囲へ働きかけることができる
・粘り強く行動することができる
・新しいコトへ果敢にチャレンジすることができる

うーん、全部嘘だなと思う。

就職活動とは、嘘つき大会だ。

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