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こだわる。

人生について考える機会が何かと多い。

あなたにとって人生とはどういったものだろうか?

大学に進学し、就職し、会社で出会った恋人と結婚し、家庭を作り、やがて老いぼれ、死んでいく。

ある意味画一化された人生では、どんなことが「生きがい」として存在し、「個性」として息吹くのだろうか。

私には生きがいが感じられない。何が楽しくてこの場にいるのか分からないし、死ぬのが怖いから息をしているだけなのだろうと思う。

私にとって、人生とはただの消耗だ。

勝手に流れていく時間をぼーっと見つめ、命は儚く削られていく。

本当は尊いはずの命の価値が、真価を発揮せぬまま消費されていく。

今はこれが限界なのだ。


今後の人生、あるいは自分自身について見つめ直すタイミングというものがある。私は今まさにこの岐路に立たされている。


自分が生きる意味を見つけなければ。


そう思っている中、私は「香りの器展」へ足を運んだ。

ずっと家にこもっていても気持ちが鬱蒼となるばかりで、たまにはこういう展示会に行ってもいいだろうと思い、久しぶりに出かけてみた。もちろん一人で。

古代オリエントの香油壺から、近代ヨーロッパの趣向性の高い煌びやかな香水瓶、日本の香道具箱に至るまで、多岐にわたり香りに関する器が展示されていた。

歴史的背景や当時の流行についてのガイドもボリュームがあり、とても満足できる展示だった。


数々のコレクションに目を通してみると、こんなことに気がつく。

古代の香油壺は香油をいれるための機能を満たしたもの、という「実用的」な面が重要視されているのに対して、近代~現代の香水瓶は「芸術性」が重視されているような気がした。

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古代の香油壺は写真に収めることができなかったが、19~20世紀頃の香水瓶は凝った装飾がされている。


香りを楽しむという次元からさらに、香りも器も作品として楽しむという高次元の域へとシフトしたのだろう。


時代を経るごとに「香りを楽しむ」ことへのこだわりがどんどん強くなっていく。


私はこの「こだわり」にこそ人生のエッセンスが詰まっているのではないかと思う。

何かにこだわり、何かを選択し、何かを得る。

選ぶことは人生に彩りを与え、選ぶことで人間としての喜びを感じることができる。


まだ、私の人生は消耗だ。

それでも、こだわることで私は私の人生をより楽しみたい。

何かを為し得なくたっていい。


こだわりたい。

これが生きる意味になると思うから。



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