【掌編】死神の手
神の手と呼ばれているその二つの手の一方は快楽をもたらし、もう一方は美を生み出す。しかし、その二つは死を誘う。二つの手は共犯者である。ゆえに死神の手とも囁かれている。けれど誰もそれを恨むどころか、喜び、讃えるばかりだ。快楽と美しさを引き換えに死へ向かうことを人々は厭わない。どうせ死ぬのなら。それは見捨てられた世代の、常に死へ向かう者のささやかな欲望と、そして抵抗だった。それが刺青だ。
刺青は崩れやすく柔らかい身体には容易に入れることが可能だ。身体の特徴が生かされ、いつも新しい美が自らの体を包むことは、客にとって生き甲斐になる。少し自らの表面を削れば、すぐにまた新しいキャンバスが自らの体に出来上がる事も、彼らの体質の理に適っていた。そこにまた刺青で真新しい世界を描く。彼らは言葉通りに身を削って自分自身の身体に施術を行う。けれど、どの道それほど丈夫ではない身体のため、長くない命だからこそ、美しいものに包まれて死ねるなら、とその背徳的な行為は甘美な憧れの的となった。
彫師はただでさえ好意を持って近寄ってくる者が多い。そして腕の良い彫師はさらにそうだ。ウィニーは他の彫師と違って多くの支持を得ているのは、彼女によって描かれる作品の世界観だ。彼女が生み出すのは、かつて彼女が見た写真や絵画などの様々な景色に独自の想像力を混ぜ合わせた、誰も見た事がない新しい世界。その世界を具現化するには、繊細な技術が必要であり、その技術も彼女は十分に持ち合わせている。そんな彼女の世界観を自分の身体に宿す事が出来る事に、多くの客は喜びと憧れをを抱き、ウィニーの元にやってくる。
客は男でも女でも彼女に彫師以上の関係を求めることも少なくない。巨大な憧れは過剰な自意識を伴う一方通行の恋に変わり、彼女によって自らが触れられる事以上に、自らが彼女に特別に触れる事をあわよくば期待してしまう。彼女は施術をきっかけに客と関係を持つ事がある。だけどそれは大抵、客側の純粋な期待以上の思惑がウィニーの方にあるからだ。彼女が関係を持つのは彼女の元に初めて来た客だけだった。施術前の客に対し、ウィニーは必ず行為の際に背中を触わるように促す。彼女の身体を見た相手はその美しさに驚く。彼女も元は崩れやすい身体の持ち主ではあるけれど、富により得た果実の恩恵を受けて、他の者とは比較にならない程の健康な身体を保っている。彫師は客の死を早める事で富を得て、同時に自らの生を延ばす。死を受け入れた者から集めた金は、それぞれがたとえ少ないとしても積もればそれなりの富になる。富は高価な鮮度の良い果実を手に入れるだけの財力と手段をもたらし、特殊なルートから手に入れた果実は彫師の身体の生を保ち、より長く生きることでさらに卓越した技術を育む。熟練していく技術はさらなる美を生み出し、客を呼び込み、死の循環へとつながっていく。
相手の手が彼女の美しい背中を這う時、その手に素質があるとウィニーが見抜いたなら、すぐさま彼女は相手を“恋人”にスカウトする。だけど、彼女が客と関係を持つ時、ウィニーは恋人ではなく助手を探していた。
ウィニーの“恋人”が担当するのは施術前のマッサージである。非合法の接着クリームを客の背中に塗り込む。ビニルの手袋を装着して接着クリームを客の背中に塗ることは、崩れやすい身体に刺青を施す際、適度にその身体の表面が崩れないようにするためである。このクリーム状の接着剤を身体に塗り込むことも、刺青が支持される理由の一つでもある。なぜなら、そのクリームを塗る時、被験者には言い知れない快感が与えられるからである。普段なら身体に少しでも圧力を掛けると、崩れるおそれがあるところを、クリームを塗ることで崩壊が抑止され、身体の表面を触れることはマッサージのような効果になるからである。そのうちに接着クリームの効果で身体の表面は固くなり、最終的には何も感じなくなるのだけれど、そうなるまでの過程の中で、その触れている人の手の温もりや、感触の気持ち良さを堪能する。本来なら、その接着クリームの施術も彫師が自ら行う場合が殆どである。けれどウィニーは恋人にその役目をさせる。なぜなら刺青とは別に、より上質なマッサージとして堪能する事で、客がより施術に満足することを知っているからだ。恋人の手はウィニーの手の代わりとなる。
ウィニーの新しい“恋人”のルシアがやって来たのは、前の恋人が病に伏せる少し前だった。ともに暮らす“恋人”も同じ果実を食すけれど、ウィニーほど丈夫な身体が作られることはなかった。彫師にとっては相手が誰であれ、この体質を持つ者であれば、その身体の残された時間が短いことを悟るのは容易なことだった。
例えば、ただでさえ刺青の性質上、彫師の周囲にある死は常に加速していく。この客はもう次に来る事はないと彫師は悟る。その時はより一層丁寧に施術を行う。丁寧な施術ほど死を早める事を知りながら、それも最期の餞と思う。彫師は死神として、自らの役目を果たす。
密かに新しい恋人を探すため客と関係を持つようになったウィニーは、何人かの候補の内、最終的にルシアを選んだ。ルシアが“恋人”になる頃には、前の恋人は独り死を待つ部屋へと追いやられた末、時を待たずに数日後には放置されたベットの上で人知れず塵になった。ベッドの上で死を迎えられるだけでも少しはマシな人生だったかも知れないと自分を自分で慰めながら。
ルシアのマッサージの評判はいつも以上に良かった。これまでのどの“助手”よりも。彼女のマッサージは、ビニルの手袋を装着しているにもかかわらず、あたかも素手で触られているような心地がする、と客の多くは言った。快感とともにこれまで触れた事がない優しさが手を伝わり、涙を流す者も中にはいた。そしてそれだけでなく、必ずルシアは客の涙を見ると共に泣くのだ。
ウィニーは人が泣くのをいつぶりかにみた。初めの頃は、それでウィニーの何か心が揺らぐようなことはないと思っていた。泣く事が大げさだとさえ思った。けれど、人が泣く姿を何度も見ているうちに、ウィニーは、ルシアがマッサージの腕の良さとは裏腹に、周囲への感情移入が激しい事を疎ましく思い始めた。ルシアは実際に感情が豊かだった。
崩れる身体を持つ世代の生に配慮した品物が作られるような社会ではないのだ。ましてや、刺青という裏文化で扱われている接着クリームは、影で取引される非合法な粗悪品だった。それ自体に毒性のある成分であり、それに触れることはそれ自体が死を近づけた。接着クリームは刺青を彫ること以上に客の身体に悪影響を与え、客の死を早める要因になっている。
それから接着クリームによって死を早めるのは客だけではなかった。そのクリームを客の背中に塗りこむ汚れ役をする者、つまりウィニーの恋人だ。ウィニーは接着クリームの猛毒性に早々に気がついていた。だから、マッサージは自分ではなく自分の恋人にさせていたのだ。恋人と思っているのは相手だけで、ウィニーは心の底からそうとは思っていない。利用しがいのある親しい身内。ウィニーの恋人になった者は次第に体調を崩していき、死へ向かう。だけど刺青を求めて彼女の元に来た時点で、死を早める運命を了承の上で来たのだから、その死に方が変わっただけである。”恋人”の近くで迎える死に。ウィニー自身がそう思っていることは誰にも秘密であるはずだった。
それがルシアの感情が豊かであればある程に、それに影響されてウィニーの冷淡だった感情が揺らぎ始める事に気が付く。そしてルシアが死を迎える頃、ウィニーは自分が誰かのために泣くとは思ってもみなかった。そして、その時には全てが遅すぎたのだった。
※これは暴力と破滅の運び手さんが書いた小説「灰は灰へ、塵は塵へ」の三次創作です。