横溝正史疎開宅と白菜オババ

「横溝正史とは誰ぞや?」
そう思う誰も彼も「八つ墓村」や「犬神家の一族」と聞けば「私は古谷一行派」「スケキヨね」「ガキ使で見た」など、それぞれ何らかの形で目にしているだろうその作品の原作者である。

その他数多くの名作ミステリー小説を生み出し、「金田一耕助」という、様々な俳優が演じ、読者に愛される探偵を生み出した男である。すごいのである。

本格推理小説界の大巨匠であるわけだが、映像作品にはちゃっかり登場して二言三言セリフを喋ったりしてみちゃう可愛らしいところもあるのだ。

私もその魅力に取り憑かれた一人であるからには、70年以上前に横溝正史が過ごし、構想を練り、筆を走らせ、金田一耕助をこの世に生み落としたその場所が「当時の佇まいのまま保存されている」というならば、行くっきゃないというやつ。

横溝正史とその家族は、太平洋戦争末期に東京での戦禍を避け、倉敷市真備町にて約三年半の疎開生活を送った。
らしいのだが、念願かなってその地に降り立ってみると、なるほど疎開するにはうってつけだなぁ!と膝を打ちたくなるようななんとものどか〜〜〜〜な町。

鳥の囀りと遠くで犬が吠える声しか聞こえず、土と太陽の匂いが濃く、農作物には蝶が舞い舞い、のどかさの演出に拍車をかける徹底ぶり。抜かりなく、ど田舎。

そんな静かで緩やかな空気の中、外まで漏れ出る大きな声。
ギョッとし声の主を探すと、目的地である横溝正史疎開宅で繰り返し流している短い音声ガイドがその正体だった。
その内容の一部を要約すると


「疎開してきた当初、家の外に大量の野菜が勝手に置かれていて、都会暮らしだった僕は(えっ……こわっ……)って思ったんだよね〜」

そら怖いでしょ。
田舎の人間に言わせればよくある事で済む話かもしれないけれど、有無を言わせない強制的お裾分け未経験者からしたら、野菜が勝手に置かれているだけでも十分怖いのに、それがまた大量となるとより不気味に感じざるを得ないというもの。手に取り口にした事のある見慣れた野菜であっても、その時ばかりは得体の知れない何やら末恐ろしい物に見えたであろう。

「タダほど怖いものはない」

お金を払って手に入れる物をなぜ知りもしない人間に無料でくれるのか。何か裏があるのではと考えるのも無理はないというもの。

歓迎の印が大量の野菜というところに田舎者の何とも言えぬ愛らしさを感じるが、何にせよファーストコンタクトは失敗なのである。残念。


疎開宅から徒歩数分の所に、「獄門島」内に登場する「千光寺」のモデルとなったとされるお寺さんがあるので乗ってきたレンタカーで向かおうとするも、道がべらぼうに狭く到着したとて果たして駐車スペースがあるのかも見当がつかず、借り物の車でチャレンジするには少し難易度が高いという事で、勝手ながらも疎開宅に車を置かせてもらい歩いて千光寺へ。


「あ、暑っっ……。本当にこれが11月かよ。これでいいと思ってるのかよおい〜〜」などと悪態をつきながら車に戻ると、少し向こうに日陰で座って休んでいるおばあさんと、その傍にはどデカい白菜がゴロゴロ積まれた猫車が。

(白菜オババいるなぁ……)

なんて思うともなしに思いながら車の助手席にやれやれヨイショと乗り込もうとしたその時。その一瞬ですぐ近くまで移動してきた俊足白菜オババ。

「大阪から来たんか」

そう。

話しかけてきたのである。

(こんな時に大阪から来るなんて!出てけ!この村から出てけ!たたりじゃ〜〜!!)
と怒られるんだろうか。

色々な「怒られ」の考えがコンマ1秒で頭の中に次々と浮かんでは消え、だがもうナンバープレートで証拠は押さえられているのでここは覚悟を決め正直に

「はい……そうです……」

そう恐る恐る答えると、わざわざ遠くからお疲れだったね〜と労ってくれ、妹さんが大阪に住んでいる事や、こんな状況じゃなかったら金田一耕助にまつわるイベントも毎年やってたんだけどね〜と話してくれた。
敵意がないと知り、嬉しくなり話しながら一歩近づいた瞬間、オババがジャリッ……と一歩下がったのを私は見逃さなかった。

そしてオババは赤子の様に抱いていたドデカ白菜を「これ持って帰り」とくれようとしたのだ。見るからに採れたて新鮮でみずみずしくとても立派な白菜。みずみずしすぎて芯の断面なんかもうびっちゃびちゃである。

最初は「そんないただけません」と遠慮するとオババは「スーパーで売るやつなんだけど重いし捨てようかと思ってたくらいだから」と大粒の汗を流しながら、ニヤリともせず真顔で農家ジョークをかましていた。

(スーパーに売る物をタダで……?)

少々恐ろしく思いながらもオババの親切を信じ、ありがたく頂戴する事にしお礼を言うと、オババが「何か入れる物ないかねぇ〜」と泥がついた白菜のお尻を手で払いながら呟いたら、いつの間にやらちょうど良いサイズの袋を準備して両手で広げながら夫が待機していた。仕事が早く頼れる男、それが私の夫だ。

それには肝の座ったオババも少々驚いたようだが、すぐに切り替えて「あらちょうど良いね」なんて言いながら白菜を袋にドゴーーーン!!と入れてくれた。底が抜けるかと思うほどの重量感。

「鍋にしなさいな」と献立の主導権を握られてしまった所でお礼を言い、車に乗り込んだ。
去り際に挨拶できたらと、助手席の窓を全開にし後ろを振り向いたら、もうオババは猫車ごといなくなっていた。俊足で怪力。

走り出した車の中で、横溝正史が「大量の野菜が勝手に置かれていてめっちゃ怖かった」と言っていたのを思い出し、「やってる事70年以上前と変わってないやないかーーーーーい!!!」と大いに驚いた。


慣れてしまえばもう都会になど帰りとうない……そう感じた横溝正史の気持ちも分かる暖かくのどかな土地。
しかしここで過ごす中で、田舎特有の因習や因縁を題材にしたおどろおどろしい作品を多く生み出しているのを鑑みると、のどかだけでは片付かない一種陰惨な部分も併せ持っていたのだろう。

横溝正史の心に少し触れられたような想いが胸の中を去来し、車は走る。

そうだ、あのドデカ白菜、八つ墓白菜と名付けよう。

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