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また絶対会おうぜ、バイバイ!

6月から始めたC-C-Bを広める活動。

まだ半年にもならないのに、解散について書くのは気が引けますが。
基本、なんの日ネタなのでごめんなさい🙏


1989年10月9日、日本武道館で解散コンサートが行われました。

当時の私は、すっかりC-C-Bから離れてたので、
解散と聞いて大号泣😭ではなく、冷静な反応をしたと思います。

もう解散しちゃうのねぇ、です。

ファイナルツアーも地元の近くまで来てくれてたけど、
なんとなく行かずに終わってしまい。
(最後くらい、親に拝み倒して行けば良かった💦)

これから、みんなどうなっていくのかな?
と、勝手に期待と心配もしてました。


解散コンサートの様子は、
残されてる映像や音源で追うことしかできないのですが‥


ライブ映像をみて思ったこと。

1番に感じたのは、とにかく英樹さんの表情が硬い!

田口さんが先日あげてくれた88年のライブ映像をみてから、
こちらの映像を見て比較するとよくわかる。

いつもはいろんな方向へエネルギーと笑顔を振り撒いてるのですが、
このライブではとにかく笑顔が少ない。

最後なので思うところはあるのでしょうが、
ほかの3人はけっこう淡々といつも通りなので、
コントラストがあるのです。

でも、1か所だけ、いつもの英樹さんの笑顔になる瞬間があって。

それは「Love is Magic」の歌い終わり。

涙を流さずに歌い終えて、ほっとした笑顔なのか、
最後くらい笑顔でいなくちゃ。の笑顔なのか。

ご本人以外は真相はわかりませんが、とにかくここだけなのです。

その笑顔を見れて、私もホッとしました。

セットリストも良い曲がずらっと並んでて、リアルで聴きたかったなぁ。

はぁー、34年前に戻って武道館へ行きたい気分です。


解散当時の彼らの年齢を超えてしまったために、
今なら冷静に解散について分析できます。

当時、彼らは二十代後半。
考えてみれば、三十代に入る直前わたしも転換期でした。

技術者として新卒で入った職場はのんびりと楽しかったけど、
このままでは技術者として弱い。

寿退社して、家庭に入って、お母さんになる人生は難しいと思った時、
ちゃんと仕事しよう!と、思ったのが20代後半でした(←遅い!)

転職した30代はとにかく働きました。
その経験が今も生活の礎になってます。

誰にでも、20代後半から30代に向けて、切り替わる波があると思います。


解散の原因は一つに決められない。誰のせいというわけでもない。

C-C-Bもセールスが落ちてきた現実。

アイドルバンドからかっこいいロックバンドへ方向転換を狙ったけど、
なかなか難しい現実。

長く同じメンツでやって行くと、人間関係もあれこれでてくる。

なんとなくリセットするのに、このタイミングだったのかなぁ?と。

20代後半の4人の決断は、今なら理解できなくもないのです。

でも、彼らには武道館を満員にするたくさんのファンがいました。

解散を残念に思うたくさんの人たち。
再結成まで26年、ずいぶん長かった。

ある程度結果を出したバンドなら、
活動休止→ソロ活動→再始動とか、
大々的に解散したけど、いつのまにか再結成してたりする。

C-C-Bの場合は、再結成まで時間はかかったけど、
その間、みんな確実に音楽を続けていた。


あんなに大きなムーブメントを起こしたC-C-Bの活動は
わずか6年4ヶ月だったのですね。

特にブレイクが1985年1月リリースの曲なので、実質4年半くらい。

ほんとうにC-C-Bは80年代を疾風のごとく駆け抜けた。
短距離走者だったこと、改めて気がつきました。

笠くんがテレビ版最後のメッセージに
「僕はC-C-Bを一生懸命にやりました、悔いはありません」と、
C-C-Bをやり切った自分をほめているコメントを残していて。

ステージを最後に去るのも、笠くん。
英樹さん曰く、
「C-C-Bのイメージは笠だった。
だから,解散コンサートでも最後に笠がステージを去った」そうです。

ほんとにみんな良く頑張った。

いろんな名曲をこんな短期間に作り出したこと、
素晴らしい演奏技術、大人になって改めて気がつきましたよ。

とにかくみなさんお疲れ様でした。

私たちをワクワクさせてくれて、ありがとうございました。


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