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「丁寧な暮らし」への憧れと現実


丁寧な暮らしに憧れている。


なんとなく素敵だからだ。
おしゃれだし、かっこいいと思う。



まず言葉がいい。

「暮らし」に「丁寧な」をくっつけるだけで、何気ない毎日を精一杯生きている気がする。

全ては私の勝手なイメージであるが、「丁寧な暮らし」は美しい毎日を送る人を想像させる。

キチンと感が漂っている気がするのだ。





わたしはズボラだ。


どちらかというと、日々をそこそこで過ごしている。
平均が50点としたら、だいたい45〜55点くらいの毎日を希望している。
出来るだけフラットでいたいのだ。

目標のない30代なので、大目に見てほしい。





手を抜けるところは抜くし、面倒くさい事はとことんやらない。


例えば、コタツ布団をコインランドリーに持っていこうと思い、特大の袋に入れて玄関に置いているが、気づいたら8月になっていた。

5月あたりから、そろそろ何とかしようと思っているのだが、その「そろそろ」がなかなか来ない。



丁寧な暮らしをしている人は、きっと3ヶ月も玄関にコタツ布団を放置しない。




ご飯はセンスの良い器に、これまたセンスよく彩りも鮮やかに盛り付けられ、お盆やランチョンマットに乗っているのをSNSで見かける。
可愛らしい箸置きは、見るだけでそれを選んだ持ち主の可愛らしさも伝えてくれる。




我が家には、箸置きやお盆、ランチョンマットなどというものはない。
買った試しがない。

洗い物は極力少なくしたいため、ご飯は良くてワンプレートだし、タッパーから直に食べることも多い。
おかずが全てが茶色の時もある。


最近では、インスタントラーメンを作るのに鍋の準備が億劫になり、タッパーに水と乾麺を入れてレンジでチン、だ。
もちろん具はない。
たまに乾燥わかめと卵くらい。






季節のお花を花瓶に飾る。
しかも、大きな花束ではなく数本。

オシャレな部屋に馴染んだ花瓶に、生活をさり気なく彩り瑞々しい香りを届ける生花。


そんな花のある生活を夢にみるが、実際には花への興味は、子どもの頃に白詰草で花冠を作ったり、ツツジの蜜を吸っていたころが全盛期だった。

名前だって、チューリップやひまわりくらいなら分かるが、他はよく知らない。

退職時に貰った花束をどうにかするために100均で買ったプラスチックの花瓶は、今はキッチンでお玉やフライ返しを立てて収納するのに大活躍だ。






書いているうちにだんだんと整理されてきた。



もしかしたら、私には世の中に認知されている「丁寧な暮らし」は向いていないのかもしれない。


少しだけ想像してみる。


環境をアップデートし、まさに「丁寧な暮らし」がピッタリな部屋にする。

私の思い描く最大限の「丁寧な暮らし」を実践する。


新鮮で幸せな気持ちになるだろう。
もしかしたら、初めの2、3日はそんな浮かれた気持ちが継続するかもしれない。


しかしそのうちに、タッパーで作るラーメンや、乱雑な本棚が恋しくなってくるのだ。


途中で帳尻が合わなくなった気持ちは、結局は自分の居心地の良い方へと戻っていく。


そんな気がするのである。


2リットルのアイスを小脇に抱え箸で食べる姿は「丁寧な暮らし」には程遠いが、豪快で、自由でなかなかいいものだ。


自分が暮らしやすいと感じたら、それはきっと自分に合わせた「丁寧な暮らし」なのかもしない。




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