新聞配達の時間には、エディアカラ紀の平和が訪れる。 媒介する身体-24.1.5-
180BPM のメトロノームをセットして、イヤホンから流す
タッタッタッタッタッタッタッタッタッタ
それに合わせて足を出し、前に進む
心拍数は1分間に120前後をキープ
ほぼ足踏みのスピード
1km進むのに14分かかる時もある
もはや、歩いた方が速い。それでも走る。心拍数が140超える速度で走り続けると喘息が苦しくなることも学んだ
たまに思い切り走ってしまいたくもなる。後からしんどくなるのはわかっているのに。オーバーヒートしたパソコンが熱を持つ様な感じで、頭や胸ら辺が熱くなる。喘息でうまく熱が排出できなくなっている感じになる
まぁ休めば治るので、たまにはそのくらいの無理はしてもいいかなと、医者には止められているのに、やってしまう
やらない方がいいのに、やってしまうこと
やめた方がいいのに、やめれんこと
この二つをしっかり管理できていれば
どれだけ賢く生きられるのだろうかと思う
(しかし、その基準も主観や立場で変わって往々にして変わってしまうことがあるのが、生きることをまた難しくしている)
ランニングは、朝だか夜だかわからないような時間に出る
すると、変な人に遭遇する確率が格段に減る
1キロ14分もかかるペースで走っている自分が、一番変な人なのかもしれない
だがしかし。これだけは言いたい。
私は人に関心のない変な人だ
エディアカラ紀の平和を目指している
他者に絡んでこようとする、現代の変な人とは違う
エディアカラ紀の平和とは、他人に関心のない平和のことだ
タコの心身問題で紹介されていた、エディアカラ紀の平和
カンブリア紀の生命大爆発の序章となる、平和な時間がエディアカラ紀にはあった。そこから、捕食する生命が誕生し、「食うか・食われるか」という形に社会が変わった。あるものは音に、あるものは視覚に特化し、情報を仕入れる
また、多くの情報を得るということは、複雑な情報処理も必要になり、エネルギーも必要になる。そして、大型捕食動物が誕生し、カンブリアの生命大爆発につながっていくのだが、それはまた別の話。
タコの心身問題にも神経系の役割については、こう書かれている
『すでに書いてきた通り、神経には二つの役割がある。両者はそれぞれどう進化してきたのか。一方の役割は、主として他者との関わり合いの中で必要になるものだがもう一方の役割は動物の個体の中だけで完結するものだ。(46頁)』
・「他者との関わり合い(食うか・食われるか)」に関わる神経系
・「自己完結型」の神経系
神経系は大まかにこの2つに分けることができる
そして、エディアカラ紀の生物は、「自己完結型」の神経系のみで、互いが関わることなく、暮らしていた
そういう説を読んで、私はエディアカラ紀に憧れた
まずは「自己完結型」の神経系だけの調節をしたい
なので他者との関わりは最小限に抑えている(そもそも関わりたいという気持ちもほとんど生まれないし、社不なのは十分にわかっている)
しかし、人間は社会的動物で、「自己完結型」だけでは、生きていけない。他者の表情や感情・言葉その他、多くの情報に、無反応ではいられない
変な人だなと思う人の中には、積極的に「他者との関わり合い」を持とうとする人もいる。そして、やっかいなことが起きる
例えば、住宅街の路地を走っている時
私が年寄りの女性を抜かそうとしたら、その老人が曲がった腰をスッと伸ばして、「私も頑張らないと、へへっ」と、いきなり私の隣を走り出した
そういうことは、まじで勘弁してほしい。私に関係なく、静かに歩き続けていればいいのに。なんなんだよ、もぅ
私は、気づかれない程度に、びくっ!!とし、こちらに顔をチラリとむけているだろう(なんなら一言二言会話もしだすに違いない)ことを感じながらも、一切横を向かず、前だけを向いて走った
ペースも思い切り上げた。おかげで息も切れてしまった。だから、日中に走るのは、嫌なんだ。日差しにも疲れてしまうし
なるべく日差しに弱いので、日の出前の時間を選んで外に出るが、同時にこういう変な人も避けられるのもとても良い。むしろその効用の方があるかもしれない。
一番いいのは、新聞配達の人たちがいる時間
まったくの一人は少し怖さと孤立した感じがある
新聞配達の時間はそれがない
目の前の配達員の内面がどれだけの変人であったとしても、彼らは仕事中で、亀のように遅い速度のおじさん(自分)なんかに、絡むはずがない。早く新聞を配り終えたいだろうから、絶対に絡んでこない安心感がある
そこには、エディアカラ紀の平和な時間があると思いながら、挨拶も交わすことなく、今日も走っている。
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