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【短篇】ハイライトを置いていかないで。


ゴールデンウイークも終わりが見えてきた頃
僕は24歳になろうとしていた。
ただ、目の前の事をこなしていく内に
年を取っていたのだ。

春の風が頬を揺さぶるこの季節に
僕は昔の友人と喫茶店で落ち合った。
僕が大学を転科したために、
同級生のはずの彼女は僕より1年先に社会人になっていた。
約1年半ぶりの再会であった。

よく会っていた21歳の頃と同じように
いつもの喫茶店で彼女はたばこを燻らせて待っていた。
「カラン」と喫茶店の扉を空けて、
春の風と共に店内に入ると
彼女の周りの紫煙は散り散りになって
彼女はニヤリと笑った。

「久しぶりだね」
名古屋で働く彼女は同じ関西圏出身のはずなのに
標準語で話す様になっていた。

「あぁ、久しく」
僕がそうやって呟きながら
まるで自分の居場所を確保するかの様に
喫茶店のヤニの染み付いたソファに座った。

久しぶりに来た喫茶店、見渡してみると
木調で統一された店内は
あのころのままだった。
どこかタバコ臭い店内、
ヤニの染み付いた照明のせいで店内は少し黄色がかっている。
匂いは頭の奥に仕舞っていた記憶を叩き起こす。

僕たちはあの頃、目の前の事に精一杯だった。
僕はフリーターで彼女は大学3回生。
同じ居酒屋のバイトでただ、ひたすらに
今日という1日に向き合っていた。

安い酒を飲んで
カラオケに行って
薄暗いラブホテルに行って
セックスをした。

人間らしさを求めて欲望に貪欲だったのだ。

そんな「あの時」を回想しながら、
ぼんやりとしていると
ウエイターがやって来て、注文は?と聞いて来た。
僕はあの頃と同じように
「アイスコーヒー」とだけ伝えて、胸元から煙草を出した。

「マルボロじゃん」
彼女は呟く。

そうだった、
あの頃、僕は何かに憧れてずっとハイライトを吸っていた。
そんな大した理由はない。
ただ、ガツンと濃いタバコを欲していたのだ。

「いつ変えたの?」
彼女は問う。

「さあ、いつだったかな。
 大学を転科してからはずっとマルボロだったと思うけど。」

僕にとって、たばこの銘柄なんてあまり気にした事はなかった。
その時の気分で銘柄を変えていたのだ。

「私、君がハイライトを吸っていたからハイライトにしたのよ。覚えてない?」

そうだ、そうだった。
薄暗い部屋ででセックスをした後に
僕がその時吸っていたハイライト・メンソールを彼女が吸って、それから彼女のたばこはハイライト・メンソールになったのだ。

「変わっちゃったんだね」
そう呟く彼女の顔には日光が差していた。

変わってしまったのだ
1年半という期間でも僕たちは変わってしまった。
僕はもうフリーターではないし、
彼女ももう大学生では無い。

そんな当たり前であるはずの事を
ハイライト・メンソールに再度認知させられた。

「あなた、話し方が優しくなったね。」

「そうかい?ずっとこんな感じだと思うがね」

「変わったよ。私も、あなたも」

「なら変わってしまったんだろうな。」

「戻りたいと思う?」

「いや、戻りたいとは思わへんな。」

「どうして?」

「戻ったらまた、いろいろ悩まないといけない」

「ふうん」
彼女はそう呟いて、空になったグラスをストローで吸い、音を立てる。

「彼氏出来たかい?」

「居ないわよ。
 もうほんとご無沙汰ね。」

「作らへんの?」

「作りたいわよ。
 私、最近凄く結婚について考えるの
 世間で一般的とされている生き方をしたいわ。
 30歳ぐらいまでに結婚して子供を作りたいの
 でも、相手が居ないの。」

意外だった。
大学生だった頃の彼女は
結婚願望などなく、キャリアウーマンとして生きていきたいと公言していたからだ。

「君も変わったな。」

「みんな変わるものよ。
 あなたも私もきっと昨日の自分とは違うのよ」

「そんなもんか。」

そう呟きながら僕は吸っていたたばこを灰皿に沈めた。

窓の外の空は相変わらず澄んでいた。

……………………………………………………………

「ここは私が出すね。」

「ええよ別に、同い年やろ?」

「私は社会人の先輩よ」

そう言って彼女は会計を済ました。
車に乗ってから彼女は

「私たちまた会えるかな?」と聞く。

「どうだろうね。
 人は変わってしまうからね。
 次会っても、君の求めている僕は居ないかもしれない。」

「それでもいいのよ。
 私も変わっているだろうし。」

喫茶店を出て彼女をJRの駅まで送って行った。

「またね」

「さよならとは言わへんねんな」

「また会う気がするから。」

彼女はそう言い残して扉を閉めた。
新幹線のホームの方へ吸い込まれていき
名古屋へと帰っていったのだ。

僕も家路につこうと、
車の運転席に乗り込んだ。

助手席にはハイライト・メンソールが置いてあった。

意図してなのか、単純に忘れていったのか。

手を伸ばして、中から一本を取り出し、吸った。

あの頃の味がした。



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