"The LEPLI" ARCHIVES-45/『L'Orient des femmes vu par Christian Lacroix 』展を見る。
文責/平川武治:
初稿/2011年2月28日:
25日、M.John Gallianoが顰蹙を買った日、(前回の記述分)
僕は夕刻までMusee du Quai Branlyでこの2月の初めに掛かった展覧会
『L'Orient des femmes vu par Christian Lacroix 』展で興奮をしていた。
この展覧会は、タイトルにもなっている、デザイナー、C.ラクロアが
キューレションした中東の女性の装い展である。
J.ヌーベルの建築で巴里では一番新しいミュージアム。
しかし、新築当時の評判はいったて悪かったこのミュゼも
その後、2年足らずで改装をしてより、見やすい導線と展示方法に代わり
好評になった、"ケ・ブランリ美術館”で行われた展覧会である。
この美術館は所謂、民族博物館である。常設展はアフリカ、オセアニア、
南米、東南アジアの民族学的な立場からの収集品の“クンストカマー”である
そして、強く言えば、”ポスト・コロニアリズムの威光”を集めた館だ。
しかし、その収集量と展示方法が優れていて大変、興味と刺激がいい。
時間をかけて、ゆっくりと廻ると面白い発見と好奇心が湧くところ。
(”普通でないパリ観光”を楽しみたい人には是非、お勧めである。)
このミュゼでM.Christian Lacroixがキュレーション役を引き受けて
オリエント-シナイ半島と北アフリカの各國の女性たちが身につけていた
民族衣裳のカフタン展が特別展として掛かった。
今、一番ニュースな地域のそれぞれの國の古いものは16世紀から
19世紀末、20世紀初頭と現代のものまでが展示されている。
僕たちのような異邦人が見る機会としてはとても貴重な展覧会であった。
それらの民族衣裳はやはり、アジア文明のイエローが掛かったものであるが
ヨオロッパでもなくアジアでもない面白さと特異性が勉強になった。
民族衣裳であるからシンプルに、シンボリックにそして、気候や働く
動作,立居振舞の為の機能性が考慮された上に、適度に高度な装飾が民族色豊かに,自分たちの民族の誇りとクラスを表すまでのそれぞれ民衆の
こゝろは入った器用な細工とゆったりとした時間の流れの中で縫製され
成し遂げられた衣裳群である。
現代と言うこのような時代に在ってはとても新鮮であり、モダンでもあり
何よりも、着るものであるから着る人のこゝろをまでも心温めてくれる世界が感じられるものばかりで幸せにもなった。
中世以降後のキリスト教の教義からも、自然を信じなかったヨオロッパ人たちの衣裳とは極論すれば、”肉で着る服”である。
即ち、身を総て覆い隠し自然から身体を守るというまでの発端と発想で
出来上がった服の出発点。
又,白人たちは狩猟民族が祖先であった事から或る意味で、いつでも
戦えるまでのものとして身に付けるという発想も読める。
しかし、アジアやこの地域の人たちの自然との関わり方はそれぞれの
宗教観も在るが、出来るだけ自然に添って生きて行くと言う根源的な発想の違いが在る。
今的な言葉を使えば、自然環境とどうして共存、共棲して行くか?
そこに生活の根幹が在り、その為の着るものであり、纏うものである。
僕流に言えば『育ちのボキャブラリィー』が西洋社会の白人たちと
自ずと真っ向から違う。
従って、日本やアジア圏の民族とその昔、オスマントルコが大帝国だった
オリエント地域の民族たちが着る服は“骨で着る服”である。
即ち、肩骨と腰骨で着る出来る。(この事は以前も書いた事がある)
着物も、中国服もチベットの服もそして、カフタン系もみんな同じように、肩で着、腰骨で縛る。
オリエントの民族衣裳はその宗教も同じように、基本形はトルコ生まれのカフタンである。
強いて、デザインと呼べるものはその時代の階級者たちを表す為の布地の選択と職人たちによる技巧在る細工仕事の事である。即ち、袖の形状と
長さ、首周りの大きさと形状、そして、胴回りの大きさと形状、それに
それぞれの箇所に施された各種の装飾豊かなブレード類や組紐の事である。
この装飾も総ては、織り、染め、刺し、組みそして、縫い付けると言う
行為で施されているものだけである。
後は分量のバランスがデザインされている。この分量、ボリューム感の
違いは大変に面白く感じたし、それぞれの國の女性たちがその地域の風土に合わせて分量の取り方がデザインされ、この分量によって身分も象徴されている。又、この分量の違いによって、着方が違ってくるのだ。
例えば、分量ある大きな袖へ腕を通してから今度はその袖布を頭からフードのように廻して被り、着ると言うあのTHINK-BIGがウリのヴィヴィアンさんでさえびっくりする程の素晴らしい、自由な発想のカフタンも在る。
もう一方で大事なのはどの素材を使うか?
絹、サマーウール、綿、麻の自ずとベーッシック天然素材である。
これらが基本定形であり、最小でありかつ、最大のシンプルさである。
是、即ち、ミニマリズムである。
しかし、それぞれのお國がらと自然環境と日常生活の違いによって
上記の分類のデザインが施され、変化と特異性を即ち、人間性を構築している、”民族衣裳もその風土に生きる人たちのユニフォーム”である。
参考/https://ja.wikipedia.org/wiki/カフタン
今回のこの展覧会でこれだけの展示を見せて頂いた2時間程は、
僕は又、新たな事を学び、感じ好奇心が豊かになった。
来週からコレクションが始まるこの街で繰り広げられるモードとは、
去勢された人間たちの間違ったバニティな饗宴でしかないのだろうか?
だからあんなにも才能豊かだったJohnが、人の何十倍ものエネルギィイを20年間もすり減らしてくれば、挙動不審な男にしか見えなくなってしまうのかも知れない。少し、コレクションから距離を持って客観視すると
恐ろしい業の世界でしかないのは変わらないであろう。
ありがとう、M.Christian Lacroix:
記/ Musee du Quai Branly/
『L'Orient des femmes vu par Christian Lacroix 』展
〜5月15日まで。
併せて、『La Fabrique des Images』展も是非見るといい。
〜7月17日まで。
『人類は全体として、
どうも間違った尺度で物事を計っているのではないだろうか?
権力、成功、富等を求め、それを獲得した人を賛嘆する一方では、
人生において本物の価値があるものを
過小評価しているのではないかと言う印象を持たざるをえない。
ただし、こうした一般的な判断では、人間そのものの多様性と、
人間の精神的な生活の多様性を忘れてしまう危険が在る。』
これは晩年のS.フロイドの著書、『文化への不満』からの引用です。
彼がこの著書を書いたのが1930年でした。
以後、80年間で何が変わったのでしょうか?
人間性は進化したのでしょうか?
僕はこのミュゼヘ出掛けて、改めてこのフロイトの言葉を思い出した。
そして、『僕たちは自然の恵みに育まれた民族、イエローです。』
忘れないでおこう。
ありがとう。
相安相忘。
文責/平川武治:
初稿/2011年2月28日:
追記/2022年11月23日記。
”カフタンドレス”は現在の僕たちの日常服へ、「着やすさ、楽くさ、
体型カヴァーそれに、縫製が簡単とローコスト」などの時代性とともに、
一つの新しい”日常着”のトレンドアイテムになってしまっています。
特に、この夏は多くの祖型、”カフタンドレス”のワンピースアイテムが登場しました。
かつてのデザイナーでは、あのYSLが多くの”カフタンドレス”を彼の世界観でクリエーションしていました。(ひらかわ)