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"THE LEPLI-ARCHIVES"/#147『中里唯馬くんの新しきクチュール、"Without Sewing"の世界。』

初稿/ 2016年9月27日:
文責 / 平川武治:
写真 / 僕が今、妄想する新しいファッションコンセプト/「3rd.SKIN」by Lucy.M.& B.Hess. 

  『見えるものが実在するとは限らず、触れるものだけが実在する。』
 大森荘蔵著/『流れとよどみ』より:
 
1)プロローグ:

 先日のLEPLI-VACANT会で中里唯馬くんに参加していただき、彼の”あたらしい自由”による彼が発表したクチュールの世界の誕生ルーツを語っていただき僕は”眼から鱗が落ちる ”までのリアリティを味わった、嬉しかった、ありがとう、唯馬くん。

 「眼から鱗が落ちる 」とは新約聖書「使徒行伝」第9章からの引用の言葉である。
「何かがきっかけになって、急に物事の実態などがよく見え、理解できるようになる」が
意味である。最近のTVコマーシャルでもこのコピーはよく使われ始めているらしい。
 
 2)僕が今回の彼の作品の世界を彼自身から話を聞き学ぶ機会を得たことで
新たな好奇心”が拡がった。
 その理由の一つは、僕が3年ほど前に提案していた”僕自身のための『Without- Sewing』と言うプロジェクト案とそのコンセプトが既に、彼の新たな創造のための発想と努力と覚悟に
よって見事に美しくその世界を彼は創造してしまったという新しい出来事”の事実であった。
 もう一つは、現実のファッションの世界が極論すれば、世界レベルで「日毎に、詰まらなくなってゆく」この現実に、彼が齎した、”あたらしい自由さ”によって今後もやってくるモードの世界へ若い人たちが再び、エモーショナル豊かな”美の創造”がこの世界で未だ、多くの
可能性があるという前向きで大いなる好奇心と希望が彼の作品から与えられたからだ。

 3)僕の永年の体験と経験から、このモードの世界は既に、
”ユダヤ・コミュニティ”で構築されビジネス構造化されてしまっている世界である。
 従って、日本人であれば彼らたちとの例えば、結婚やゲイ関係という手段を使って余程の
強力な信頼か、ビジネスにおいての利益関係性が確立されていなければそれなりのところで、それなりに扱われてしまう世界でしかないのである。
 言い換えれば、日本人がいくら頑張ってもそれなりのところで、その頂までは行けず、
”ウエイチング/飼い殺し”という現実が当然の事実でしかない。
 これはこのモードの世界における”生産性”においても然りである。
例えば、モードの素材の殆どは、布であり皮革であり、縫製はミシンである。
この現実はある種の”ユダヤ・ルーチーン”であり、不変であり”世界基準”であることも
変わりがない世界であり、素材、付属部品と生産工場が彼らたちの”コミュニティ”の上に
成り立っている世界が”モードの世界”の総である。

 4)では、どのような根幹と発想をコンセプトとし、手段を持てば、
彼らたちと一線を持って肩を比べまた、彼らたち以上に日本人としての特徴である細やかな
美意識と表現手段が、日本人特有の”ヒューマン・テクノロジー”と高度なる”サイエンス・
テクノロジー”の合体によって創造されそれらをよりハイ・イメージングとスーパー・
リアリティによって市場へ生み出される世界が可能であるか?という根幹とその視点の
”オリジナリティ”が必然となる。
 ここで、日本の多くの若者たちは”大いなる勘違い”をその未熟な教養によって、
自己肯定の手法として一つは、「西欧近代」が産み落とした文化とその教養へ擦り寄って
近づこうとする即ち、彼らたちの根幹には「コピー意識」或いは「なりすまし」が、
まず存在することだ。
 もう一つは近年の特徴である、”アート”の世界へ逃げ足早く逃げ込む者が多いことである。
特に、中途半端に海外の学校で学んだ経験者や中途半端な関わりしか持てなかった輩たちが、このレベルでも「なりすまし」を決め込んで、メディアにタレ込む帰国組にこの現実が多い。
 ここでは、”アート”という詭弁を無教養に使った者が勝ちという変わらぬ日本人村社会での”上書き”現実であろう。

 5)そんな彼らたちは、”デザイン”とは?に対しての哲学的発想も無ければ、
教養とスキルの根幹も学ばず、日本的なる言い方をすれば、「コムデ風!」という言葉が
あるように「表層の形骸化」が創造性あるデザインだと言う、大いなる勘違いが刷り込まれただけの輩たちであり、その根幹は解り易い”アーチストコンプレックス症候群”でしかない。
 ”デザイン”の世界がなぜ、1919年に突然のように当時の社会へ登場したのかの意義も
判らない、これは日本のデザイン教育の一端の表れと責任でもある。
ましてや、「近代デザインの意義と社会性」の関係さえも無知でしかない。
そんな彼らたちの多くは、単純に、「人と違った事をすれば、」と言うやはり、ここでも
「デコ・トラ」発想の”ヤンキー魂”が彼らの育ちに感じてしまう。

 6)少し、話が逸れましたが、この現実の”モードの世界”で
ユダヤ人たちと肩を並べることが出来るか?という問いへの僕なる発想の回答は
「では、針と糸あるいは、ミシンを使わないで創作する衣装」という”創造のための発想”が
生まれた。
 この発端は僕が日本人であり、昔の侍の出で立ちからである。
ここでの今回の僕のモードに対するコンセプトは「着る」ことではなく、
身体を装うことである「身体装着」という発想であり、このコンセプトで日本の歴史を
顧みると、「鎧と兜」の世界があり、"experience・mode"の世界である。
 以前、アントワープ・アカデミィーの海外審査員をやっていた折に、いつも1年生の作品が
新鮮で自由で楽しい世界を創造していたことを思い出した。
その理由は彼らたち1年生の作品課題が、"experience・mode"であり服にこだわらない自由な発想そのものが課題だったからであった。
 もう一つは、丁度この年より日本にも”3D"プリンターが登場したことも
この僕の突飛な発想に拍車をかけより、現実味が帯びてきた時代性に繋がり、その結果が、
僕が提案している、この「Without sewing」 というコンセプトになったのです。
 このコンセプトで実際に巴里クチュールへ登場したもう一人、Iris Van Herpen”がいる。
僕の「Without sewing」という新たな世界はもう既に、現実になってきた時代性であろう。
 
 7)中里唯馬くんの話を聞く前までは、
巴里のオートクチュールの舞台へわざわざ日本からショーを見せるためやって来た彼の
コレクションを見る機会を持ったが、その最初の体験ではじつは、僕の評価は低かった。
 遠くで見せて頂いた僕は暗闇から”輝く、蛍光&発光体”の塊が女性を装っているにしか
見ることができなかったからだ。
このような塊だけであればもっと斬新な発想で使え見せることが出来るであろうとも考えた。
この”輝く、蛍光&発光体”素材はどこかの日本の素材企業が考案した新しい技術によるものでそれを使っての世界観だろうという失礼な見方をしてしまっていた。
 結果、今回の対談の打ち合わせのため、彼のアトリエへ伺った時にその僕のうがった見方
そのものが間違っていたことを思い知らされ、僕の実に愚かで恐ろしい自己満足な見方でしかなかったことに気がついた。
 
 8)今回の中里唯馬くんの想い秘められた世界観の「コトの次第」は、
「レゴブロック世代」が発想した、”1枚の塩ビ・シート”が発端だった。
 例えば、日本人は「神=紙」を敬い、上手に扱って、関わってきた民族である。
ここには平面から立体へ変身する、“オル”世界による「かたち」の世界が存在した。
(”オル”=織る、折る。)今回の唯馬くんが想像した彼の世界観はここが根幹であろう。
 日本人がもつ単純で明快な原理構造を知っている若者が”あたらしい自由”によって
為し得た、新らたな造形の感覚の素晴らしいさと頭の良さが生み出した世界感であろう。
 この彼の新しいものを創造する”覚悟と行為”即ち、「産みの苦しみ」に
僕は見事に「眼から鱗が落ちた 」のである。

 9)素材としては、決して高価ではない、”塩ビ・シート”。
これを作業上における経済寸法を出してその寸法でシート化する。
このシートに一定文様に近い切り込み線を入れてカッティングし、このカッティングの目を
幾重にも”織り”込んでシートを”3-D"構造化してゆく。
 この作業によって、”1枚の塩ビ・シート”が小さなブロック上の立体ピースに加工される。
すなわち、”レゴ・ブロック”の構造と同じ発想ともいえるであろう。
この折り返しを”立体化”する時に小さな留め金具で一箇所づつこれも、手作業で止めてゆく。あとは、このブロックを人体形に構成してゆく作業である。
 ここで”クチュリエ”本来の感覚と繊細さと持ち得たファッション・スキルとそれなる経験が必然となり、それを具現化してゆく”チーム”が必要でもある。
 ここが”農協デザイナー”や”壁紙デザイナー”たちの”なりすまし”から歴然とした「差異」を彼は”オリジナル”として持ち得ていたのである。

10)エピローグ、「一着の服」の祖型を考えてみると、
”1枚の布”であり、この布は平面である。
この平面の布を人体という3次元に"着せる"構造体を造形するために、”パターンメイキング”が必然であり、この”パターンメイキング”に、「服」の造形の完成度が託されている世界である。
 あの三宅一生がミラノの裏通りに古くからあったプリーツブティックへ幾度も自身が通ってその魅力を新しさとして日本人的眼差しで「うわがき」して誕生させ、この時期にこの企業の
経営不振を救ったブランド「プリーツ・プリーツ」は、平面である生地を"3次元"の生地に工業的に造形された布を使ったことで、「新しい服」が蘇っただけであった。
 しかし、"3次元"の生地を、”3次元”の人体に"着せる"ことが、”パターンメイキング”に限界があり、不可能に近いことがわかった時点でこのデザイナーは、横尾忠則のイラストや表層の
まやかしとしてのグラフィティで逃げながら、”フラットな服”「エーポック」ブランドまでをビジネスラインへ押しあげた。
 もし、今後も「服」の「新しき創造」を根幹から考える場合は、
この「1枚の布」から考えるべきが「王道」というものであることを、今回の中里唯馬くんのクチュールでのガンバリにも感じた。
 次号、"THE LEPLI-ARCHIVES"/#148へ続く。

初稿/ 2016年9月27日。
文責 / 平川武治。

 


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