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”平川武治のノート・ブログ/The Le Pli” アーカイヴー4 /その1;

「 ”過ぎてゆかない過去”の中で漂っている僕たちの21世紀からの逃亡。僕たちはもう、既に21世紀で生活しているというのに!!
 ―――ヨーロッパに於けるファッション環境の新しさとは? 」 
文責/平川武治:
投稿日/2003-08-26 版; 

 今回のインデックス;
◯まず、日記風に。22th.AUG.’03;
◯僕的眼差しからの”東京変貌”;
◯巴里•コレから見たファッションの世界の進化とは?;
1)[21世紀のカジュアルウエアーはスポーツ、下着とセックス。
そして、そのコンセプトはネオ・プロテクション];
2)[新たなモードのコンセプトとしての”ネオ・プロテクション”とは?];
3) [21世紀を意識して動き始めたヨーロッパの都市が面白い。];
4)[早ければ来春かもしくは来秋には中国からの巴里コレ参加デザイナーのコレクションが見れそう。];
5)[工場に主導権が再び握られ始めたEUファッション産業界。];

 次号/アーカイヴー4 /その2;へ続く。
6)[誰が21世紀のYSLになるか?真剣に探し始めたパリ。];
7)[ゲイマーケットが冷め始め変革を迫られているメンズファッション界。];
8)[一ファッション企業Diesel社のプロモーション事業でしかなかったイタリー発のファッションコンテスト、”IT’S#2”];
9)[みやげ物ブランドを考える価値がある東京アパレル。];
10)[21世紀の新しい環境とランドスケープとしてのプラダビル];
番外) [次期パリ・コレでのトレンドは‘92,3年が再び???];
◯おわりに、”もう一度、再確認してみよう。”

***
◯まず、日記風に。22th.AUG.’03;
 アントワープデザイナーの一人、ラフ・シモンズがここ3年来、この学校の客員教授を行っているヴィエナ工科大学ファッションコースの卒業コレクションのための審査からスタートした2ヶ月間あまりの旅を終え帰国。
 この間、巴里ではクチュール時期を利用してコレクションを発表した若手デザイナーのショーとメンズコレクションそして、幾つかのファッションイベントへの参加とこの国を代表するファッションの専門学校”スタジオ・ベルソー”の卒業コレクションを見た。
 これらの合間を見てアントワープを訪れこの学校の進級発表に立会い日本人学生の現実を知り、僕のギャラリーで”ワンナイトイベント”を行う。
 又、イタリーのトリエスタで今年も行われた、”IT’S#2”の2回目のファッションコンテストにも審査員として参加。しかし、今回の多くはスイスのチューリッヒでの展覧会企画の仕事に始終した。

◯僕的眼差しからの”東京変貌”;
現在の様な1年の内、4ヶ月ほどをパリを中心にヨオロッパで生活をするという生活形態を送っている僕の眼差しはある種の距離と位相を持ち得た状況から、僕独自の発想と視点で東京と言う都市の表層の差異が読み取れるので面白い。
 従って毎回、帰国する度に東京を良い意味にも悪い意味にも興味を持って”俯瞰視”が出来る。その結果が最近では嘆き憂う事の方が多くなっているのは、僕が歳を取り始めたという事だけではなさそうである。
 今回、一番に感じたことはこの東京は街そのものと、そこで生活している人たちとモノが作り出す環境と風景が知らない間に”より、悪趣味”化へ暴走していると感じたこと。(これは先週、大阪へも行ったのだがここの”悪趣味化”は東京のそれよりも尚、悪い”大阪的”と感じた。)
 例えば、環境と風景を考えた”調和”、自分と他者と社会を考慮した”調和”すら感じる事が少なくなって来た。大半の日本人は自分たちのやりたいことや楽しい事、ハッピーな事は願望し現実化へ努力するが、出来る事なら”責任”は取りたくない、自分たちの行為に対しての”リスクとコスト”は出来れば避けたいという”群衆の溜まり場”が都市化してしまったようだ。
 その根幹は、個人が人間的な端正さで生きるよりも、個人が群がって、責任転嫁が可能な集団の中で楽に生きればいい、という生き方を選択してしまったようだ。
 又、季節柄だからであろうか、路上を闊歩している若者達の服装から今や、”躾と恥じらい”が喪失してしまったようである。業界人たちがこれをファッションや流行またはカジュアル化、個性化と思い込んでいるのなら僕は大いに危惧する所である。思慮深い人が少なくなり思想亡き群衆が中流化から”ハイソ”を気取り始めたプロセスとその表情としてのこの街の様は結果、ファッションも含めて”悪趣味”以外の何者でもない。
 多分、本来の”よき趣味”を知らない拝金主義者たちの群集がメデアにより、大いなる勘違いをしているだけなのだろうが、これを王道に嗜める人たちがいるのだろうか?これからの子供たちが成長し生活しなければいけない僕たちの国の将来を考えると恐怖をも覚えてしまう。

◯巴里•コレから見たファッションの世界の進化とは?;
 さて、今回は僕が滞在していた時期に起こった事、考えた事のいろいろなトピックスを"Le Pli"的視点で深読みしてみよう。
1)[21世紀のカジュアルウエアーはスポーツ、下着とセックス。そして、そのコンセプトはネオ・プロテクション]
 ‘93年、当時、W&LTブランドを展開していたデザイナーW.V.ベイレンドンクにインタヴューした時の事をお互いが良く覚えていて先シーズンのパリでの彼のショールームでもその話が話題になった。あのときの僕の質問が彼のコレクションから将来、21世紀のカジュアルウエアーは[スポーツ、ランジェリィ―とセックス]という発想を彼に問い掛けていた事が、今年になっても彼は覚えていた。
 僕にとっては‘90年代始まりまでの、かつてのモードは[ラッピング]がコンセプトであった。
ーーー”醜い身体つき”をどの様に美しく見せるかの為のラッピング。
 そして、’92,3年ごろからのモードは[カヴァーリング]をコンセプトとして当時のモードを僕は読込んでいた。この頃になると、着る人たちの身体つきが良くなったことからもう全身を覆い隠さないでも見せたくない所だけをカヴァーする事がモードの新たな役割になったという発想だ。
 それに、美しくなった身体つきをより美しく見せるためのスリム・チューブラインとそのためのシースルーで伸縮自在な新たな合繊素材がより多く開発されモードによって日常化されたからだ。
 そして、21世紀も近くなった時、J.P.ゴルチェを筆頭に先のウオルターも然り、彼らは[スポーツ、下着とセックス]を日常化し始めた。この時の僕のコンセプトが[プロテクション]だった。当然、これらの世界で使われている”素材と縫製技術”までを含めて、これらが新しいモードのカジュアル化へと”進化”するという理論を僕は既に展開していた。
 スポーツウエアーの身体の動きと、外界に機能するプロテクションと、下着の皮膚とこころに、気分に優しいプロテクションそして、セックスショップで売られているボンテージやフェチなコスチュームは着る人間の生物的性癖をプロテクトするものであるという視点での発想。
 そこで最近の僕のモードに対する新たなコンセプトは[ネオ・プロテクション]である。全てが不確実な時代、信じられるものは自分の身体。(TATOOの普及化もこの現象であろう。)
 そして、現代のプロテクション、[ネオ・プロテクション]とは、“安心、安全、癒し、快適、楽、性的“などをキーワードとしたもので、決して”守り囲う”ことだけのプロテクションから自分自身をより自分らしく安心とポジティブに生きるためがモードの機能になったと見る事が出来るという視点である。
2)[新たなモードのコンセプトとしての”ネオ・プロテクション”とは?];
 現代の女性たちを見ていると以前のように[自由]を表現するためだけのモードではなくなり始めた事も考えられる。もう彼女たちの自由はすべて手に入るものになってしまいむしろ、安心出来るのであれば人と一緒でも良い、マークやブランドそして、メデアが提案する着こなしで自分たちの[属]が明確になること、プロテクトされる事がファッションを着る事であるというある種のパラドックス化状態と、もう一方では、時代の雰囲気に遊び、楽しむための彼女たちが持ち得たポジティブな服選びでもあろう。
 プロテクションには大きく分けると”4つのカテゴリー”がある。「自然、身体、社会的モラルそして、心的安心。」であろう。
 これらのプロテクションを[スポーツ、下着そしてセックス]でヴィジュアリティに、ミュージュックマインドとヴィンテージテイストも忘れてはいけない”安心”の大きな要素としてどの様にバランスよくまとめコレクションを行うかが今のプレタポルテの時代性になった。そして、モードにおけるカジュアル性は日常性やウエアラブルを必然とするし、時代性ではこれらをどの様な”贅沢感”を持ってまとめ味付けをするかがヴィジュアリティと共に、今後もより進展するだろう。
 従って、[消費するデザイン]としてはデイテールに凝ったデザインよりも素材と色調やプリントと分量がデザインにおける大事な勝負どころになる。
 例えば、カモフラージュ/迷彩服。これも今ではアーミーで代表される自然と人間との距離感からの迷彩だけではなく、都市に生活している人間と都市風景との距離感で発想できる迷彩も必要な時代性だ。
 20世紀は[距離の消滅]の時代であった。が、もう今では僕たちの日常生活では携帯やPCと言う情報機器の発達によって[距離の消滅が完了]が為され始めている。これからのこの21世紀は[距離の再確認]と言う時代性をコンセプトにすればより、この[ネオ・プロテクト]と言う僕が提言するコンセプトが大切になるだろう。
 やはり、モードの世界も[ポスト・モダン社会]の中で確実に人間的,五感的に進化しているのがうれしい。
 このような時代を感じ取ってコレクションをしていた、ベルンハルト、ラフ・シモンズ、Dior、J.ガリアーノ、M.M.M.などをチェックすれば感じられるであろう。ディテールでは、ひも、コード、ベルト、尾錠、ボリューム、羽織る、巻きつける等のファンクション。そして、素材ではラテックス光り物、ぬめり感あるモノとフォトプリントもの。そのイメージ・シンボルンとしての”プロテクト”はポッチェルリの[ヴィーナスの誕生]の右側の女性を思い出して欲しい。小花がエンブロイダリィーされた布を誕生したヴィーナスの無垢な姿体に今にもかけようとするニンフの癒しのプロポーション。
 そして、深読みすればこれらは、“Home is not a House.”。”安心と快適さは家だけではない。”と言うまでの時代性。
3) [21世紀を意識して動き始めたヨーロッパの都市が面白い。];
 僕が今回訪れた都市はヴィエナ、巴里、アントワープ、チューリッヒ、バーゼル、ブラッセル、ロッテルダムそれにトリエスタ。これらのヨオロッパの都市は20世紀まではそれぞれの国における都市であったのが現在では”EUの都市”になってしまった。そこでこれらの都市ではここに来て,自分たちの都市は自分たちで独自に活性化し、21世紀の今後のためにも経済面だけではなく”文化の領域”に於いても自分たちの都市の伝統と共にアイデンテイテイを大いに生かしてゆこうという積極的な動きが各都市で始まったことである。これは、日本にいて、書物を読んだだけで理解できることではない。実際にこれらの都市を徘徊しなければこの空気感と鼓動は感じられない事である。
 特に、モードの世界ではこれらの街はベルリンやアムステルダムも含めて以前より教育面が活発化し始めている。各都市や政府の行政が自分たちの国の若いデザイナーたちをバックアップし、オーガナイズするためのファッション研究所を設立したり、サイトを立ち上げ,自国のデザイナーたちと巴里へ進出している他国のデザイナーたちとの情報交換を企画したり、ファッション・コンテストやイベントを都市を挙げて行い始めている。例えば、ヴィエナでは学校関係者たち自らがセレクト・ショップを始めるなどの動きもある。又、モード系の展覧会企画を国立の美術館が主催して行う機会も多くなってきているし、それぞれの都市発のモード雑誌がここに来て多く発刊され始める。
 これらの動きに共通する事は学校関係者たちと産業界そして、市や国にまでも抱え込んだ動きを取っている事だ。そして、これらの殆んどが若い人たちが意欲と責任を持って率先して携わっている事である。
 では、東京では何が為されているのだろうか?「枯れ木も山の賑わい。」状況を変わらず、勘違いした人たちで弄ばれ、構造化されているだけの現実感しか感じられないのは僕だけであろうか?
4)[早ければ来春かもしくは来秋には中国からの巴里コレ参加デザイナーのコレクションが見れそう。];
 中国のデザイナーたちもかつての日本人デザイナーたちと同じように、巴里でコレクションをやりたがっているデザイナーたちが増えてきている。毎年、我が国を訪れるモードサンディカの理事長D.グランバック氏も東京の前か後には必ず、北京や上海を訪れている現実でも読める。
 そこで彼へのインタヴューによって聞いた話では、遅くとも‘05年をめどに中国人デザイナーのコレクションが巴里で見れるようだ。
 現実は多くのデザイナーたちが希望しているのだが、彼らたちの殆んどは未だ、その水準に達していない事を理由に延ばし延ばしにされているのが現実という。
 そのため、巴里サイドは毎年、春に南仏のイエール市で行われているファションコンテスト[フェステイヴァル・イエール]を利用して一度、このコンテストで彼ら中国人デザイナーたちを受けその後、パリコレ登場を企て、このコンテストを中国で開催をも考えているという。この裏面には強かにも、パリの若手デザイナーたちを中国の生産環境の情報と工場を紹介するためでも在る。
 かつての日本人デザイナーがこの街へ参入して来たときの‘72年以降の事を思い浮かべてみよう。“憧れのパリコレ参加“後、当然の様にメイド イン フランスのデザイナーブランド商品が堂々と日本市場へ登場しその後、80年代を待って、日本企業とのライセンスビジネスもスタートした、という過去が証明している。日本における現在のファッションビジネスと市場構造と状況の全てがこの“憧れのパリコレ参加“というミッションとモチヴェーションによって高揚され以後、現在の状況へ発展した記憶は忘れてはいけない。
 これは「文化は武器」と発想した彼らたち、フランス人の強かな所である。この戦略は最近では’90年代後半からのソ連崩壊後の”ロシア市場への参入”と”ブラジル市場参入”があった。そして、次なる”新しい顧客”は中国。
 中国における、‘08年と’10年、北京オリンピックと上海万博という経済戦略のための国際イベント以後の中国へ、日本企業はどのレベルで、どのような規模で経済参入が参入可能なのだろうか?或いは、計画がなされているのだろうか?
 今の状況ではアフリカとの関係性においても同様であるが、全てが、”中国政府の後追い政策。”でしかない日本政府の”アメリカのポチ”状態の惨めさ。
5)[工場に主導権が再び握られ始めたEUファッション産業界。];
 ‘90年代初頭、ベルリンの壁崩壊以降のロシアと東ヨーロッパの変動は
当然、グローバリズム以降このファッションビジネスにも大きく影響を与え,新たな産業構造を再構築し始めた。
 その一つが、東ヨーロッパ地区のユダヤ人達が新たな生産地として再度、認識され活性化し始めたことであろう。又、ポスト・モダン社会以降、このモードの世界も幾つかの大きな変革があった。“普遍的物語“としての独創性豊かなファッション・クリエーターと彼らたちのクリエーションの末期的状況下、ファッションデザイナーの質とタイプが変質したことである。
 もう一方では、メデアの高度な発達によるヴィジュアル化社会の発展によるイメージの高度化と進化の結果、“ファッション・デイレクター“が登場したこと。そしてもう一つ、最近ではオリジナルとコピーの境界意識が希薄なシュミラクールとしての“ファッションDJ“さえもが登場して、“大きな物語から小さな物語“へ、多くの”どんぐりの背比べ”的なデザイナーが増殖した状況になってしまったことであろうか。これは言い換えれば、“情報のスピードとその量“の進化によって誰でもがデザイナーになれる環境と、何でも有り状況がこのモードの世界の現在を生産面でも”進化”(?)させた。
 こんな時代であるからデザインする側より、実際にモノとしての服を生産する工場が今まで以上に、”大きな力”を持ちはじめ、政治的にも発言権を振るい始めたのがここ最近のEUのモード環境の現実である。ここには、従来からの“ユダヤ ビジネス”の更なる発展化が読める。
 デザイナーたちが、幾らすばらしいデザイン発想力やアイデアを持っていても工場が生産してくれなければ実ビジネスにならない。この状況によって最近では若手の才能あるアントワープデザイナーたちが、アントワープには工場が殆ど無い為に、消え始めていることやオランダ勢がその生産背景が極小のため、思ったより伸びない事も現実になる。
 最近、パリのファッションビジネス・エリートを育てる学校”IFM”では、サンディカ理事長でもあるムッシュD. グランバックが30名ほどの生徒たちを連れてイタリーとイギリスの工場見学を行い、生徒たちと工場との”お見合い”コミュニケーションを図った。
 今思うに、’80年代も後半、バブル経済期にカシヤマが今は亡くなられた、故中本氏のアイデアでイタリーの工場企業”ジボ社”を買収した一件は、彼の時代を読む眼と現地在住からの経験と発想が無ければ今の世界に於けるカシヤマの存在は決して、実現していなかった。以後、カシヤマはこの
”ジボ社”を持った為にデザイナー契約に彼ら達独自のプライオリティが発揮できたのである。作る生産環境が在ればその中に必要なソフトとしてのデザイナーは自分たちが主導権を持って選び放題である事をこの”ジボ社”とカシヤマの連携プレーは事実を教えてくれる。
 それに、ZARAやMGOを代表とするモードに於けるグローバル化が定着したのも”工場主権”によっての現実である。実際、モードの環境がここまで変革して来た一方では、この反動として、“手作りもの、リ・メイクもの“がクオリテイー・アップした事、その存在価値を少し高め始めたのも事実であるが。
 現実として、日本のファッション産業環境と構造を「日本的21世紀型」へ、再考しなければならないだろう。世界のファッション産業環境が21世紀型へと変革し始めたのだから余計である。
 結果、このようなパリを取り囲む世界のファッション産業の現実をもう少し、深読みすると、「素材・生地関係も、生産工場オーナー達もそして、
トレンドをデザインするデザイナー達も、その彼ら達をプロモーションするビジネスマンやリテーラー達も、そんな彼ら世界をメディア化する雑誌インターネットをはじめとしたメディア業界もみんな、ユダヤ人たち。」
という強力な世界が再構築され始めたということなのである。
合掌。
次号/◯アーカイヴー4 /その2;へ、続く。;
初稿/2003-08-26:
文責/平川武治:

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