"THE LEPLI-ARCHIVES"/#144 『今年は"ZURCHI DADA"100年の年。』 -"DADAGLOBE"誌による展覧会を観る。
文責/ 平川武治:
初稿/ 2016年3月 1日:
写真/ Philippe Soupault & his son,Paul Chemetov:
「はじめに、」
巴里がファッションピープルでがさつになる前に、友人のいるチューリッヒを訪れる。
この街で起こった"DADA Movement"、チューリッヒ・ダダが誕生したのが100年前。
ロシアから自由を求めて南下し始めたユダヤ系ロシア人たちがこの街で興した
アヴァンギャルドムーブメントが”チューリッヒ・ダダ”の由来だ。
追記/ そして、今年はA.ブルドンの「シュールリアリズム宣言」の100年記念イヤーです。
日本でもこのような展覧会が開催されました。(追記 / 2024年9月01日。)
参考サイト/
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/artmuseum/4000016/4001737/4001747.html
1)Spiegelgasse通り 1番地に、”キャバレー・ヴォルテール”が誕生。/
この街にはまだ、Spiegelgasse通り 1番地に、”キャバレー・ヴォルテール”がある。
100年前の1916年2月05日に詩人のフーコ バルがこのキャヴァレーを開店し、
トリスタン ツァラ 、ジャン アルプらロシアやドイツから南下して来た亡命作家や画家を
中心とした前衛芸術家たちの活動拠点が誕生した。
そして、この”キャバレー・ヴォルテール”で事実上の”チューリッヒ・ダダ”が起動し、
”ダダ ムーブメント”が始まり、トリスタン ツァラによって、7月に"ダダ宣言”がなされた。
この”チューリッヒ・ダダ”の誕生とその影響によって、1916~20年の瞬く間に
”ダダ運動”は世界中に拡散され、”N.Y.ダダ”が誕生し続いて、1917年からは、
”ベルリン ダダ”、”ケルン ダダ”、"ハノーヴァー ダダ”へと、それぞれの地で
「ダダ ムーヴメント」が麻疹のように広まり1919年には、"パリ ダダ”が誕生した。
また、日本では、このダダイズムは「ダダ的雰囲気」として飛び火した。
日本のこの「ダダ的雰囲気」の発端はここでも同人誌、「マヴォ」がその役割を果たした。
左翼系美術家村山知義は、9か月間のベルリン滞在を終えて帰国し、1923年に東京で
創設したグループおよび機関誌が「マヴォ」でした。
当時の村山が生み出した「ダダ的雰囲気」の「構成派 constructionnisme」は、
ダダイスムと構成主義を取り入れた彼独自のヴィジョンが後の美術史家によって、
「日本のダダ」と化したのです。
2)この街のKunsthaus Zürichへ、「チューリッヒ・ダダ 100年」展を訪れる。/
今回のDADA展は、当時この運動をバックアップした同人雑誌、”DADAGLOBE"を軸とし、この街でどのような人たちが、どのような関係性を築きながら
この前衛芸術を創生していったか。
そしてその後、N.Y.へ、巴里へどのように拡大していったか?
が、今回の展覧会のメイン・コンテンツ。
たぶん、多くの日本人は知らないこの誌、”DADAGLOBE"には興味ふかい写真や
ドローイングが、そして手記と作品が連載されていて、僕が知らない”ダダ”の世界観を知り、しあわせな時間であり、とても、興奮した展覧会だった。
この時代の社会的なバックグラウンドが戦争と不景気それにユダヤ人問題が重なり始めた
複雑な時代性から生まれ出た”自然爆発!!”的なるムーブメント。
とても、現代の日本では起こりえないエネルギィイの集約とその憤りが、
一つの時代への芸術定義がなされたのが「世界の”DADA”運動」でした。
この展覧会は、N.Y.MoMAで、チューリッヒの後、今秋、9月18日から、
「Dadaglobe Reconstructed」展として開催が予定されている。
<MoMA Live >by Youtube、
https://www.youtube.com/live/kViobGAVWpc?si=QT6XQ-dc99BS0KdC
3) 『ダダグローブ』はダダ運動の決定版アンソロジーとなるはずだった。/
もしこの本が計画通り 1921 年に出版されていれば、7 か国の約 30 人の芸術家による
100 点以上の作品で構成され、ダダが真に世界的な影響力を持つ芸術的および文学的運動で
あることを示していただろう。
しかし、主に資金不足が原因で、この本は未出版のままとなり、
この 20 世紀初頭のアートムーブメントに関する文献には顕著な空白が残されてしまった。
そして、今回のチューリヒにおけるダダの創立 100 周年を記念して、
チューリッヒ美術館とニューヨーク近代美術館での展覧会に合わせて出版された
この”ダダグローブ復元版”はオリジナルのために、収集した芸術作品の複製を用いて、
トータル、魅力的な文学作品を復元したようだ。
このムーブメントの発端を作ったルーマニアの詩人であり、ダダ運動の共同創設者である
トリスタン・ツァラを軸にして、彼が募集した 4 つのカテゴリー 、「素描、芸術作品の写真、
セルフポートレート写真、本のレイアウト」 は、既存の作品を集めただけではなく、
実際、制作のパラメータは、ダダ運動の最も象徴的な作品のいくつかを含む、多くの新しい
作品の創作の触媒としても機能しました。
今回の完全復刻版、”ダダグローブ”によって、初めて、このコレクションはフルカラーで、ツァラのコンセプトと”ダダ”と”ダダグローブ”の歴史を考察するエッセイとともに
紹介された本になっている。
参考/ DADAGLOBE/ https://en.wikipedia.org/wiki/Dadaglobe
N.Y.のMoMAで行われた時の、”DADAGLOBE”展。(Jun 12–Sep 18, 2016)
https://www.moma.org/calendar/exhibitions/1639
4)「Philippe Soupault協会」のことをそして、スーポーの事/
僕の巴里の30年来の友人の一人に、ダダイストでありその後の、”シュルレアリスト”の
詩人であった、Philippe Soupaultの孫娘であるAgnes Chemetovがいる。
彼女は1987年にパリでチュニジア系ユダヤ人のファッション デザイナー、ジャン トゥイトゥが立ち上げた、ブランド”A.P.C.”の生産部門のディレクターで実質のデザイナーであり、
当時は、ジャンの奥さんでもあった人だ。
そして、Agnesのお父さんは今年、6月に亡くなられたフランスを代表する建築家、
Paul Chemetov氏であった。
彼女が近年、「Philippe Soupault協会」を設立させ、祖母が残した文章ノオト類などと、
当時のスーポーが書き残し、奥さんに委ねた貴重な文章、詩、そして写真等を
再び、まとめ編集編纂し始めるいわゆる、”ファミリー・ツリーワーク”を手掛け始めた。
僕は今回のチューリッヒの「ダダ、100年展。」を観ながら、彼女が手掛けている、
当時の「Philippe Soupault協会」の復刻版のことやスーポーの事を思い出していた。
<フィリップ・スポー協会の会報>
https://www.entrevues.org/revues/bulletin-de-lassociation-philippe-soupault/
5)巴里、1917年の春にアポリネールはスーポーにアンドレ・ブルトンを引き合わせた。/
パリでは、1917年の春にアポリネールは当時まだ軍医補であったアンドレ・ブルトンを
スーポーに引き合わせた。
アポリネールが出入りしていたアドリエーヌ.モニエ書店「本の友の家」は
当時の前衛芸術家、文学者たちのサロンとなり、ここでスーポーはコクトー、ヴァレリーの
ほか、ルイ ・アラゴン、A.ジッド、P. ルヴェルディ、ジュール ・ロマン、レオン=ポール・
ファルグそして、ヴァレリー・ラルボーたちと知り合う。
1917年5月18日、シャトレ座でジャン・コクトーのシナリオ、エリック・サティの音楽、
ピカソのステージ装飾、レオニード ・マシーンの振付による
前衛バレエ『バラード』の初演が行われた。
このプログラムを書いたアポリネールは、ここで初めて「シュルレアリスム」という言葉を用いた。 (ただし、この言葉を正式に用いたのは、翌1918年刊行・上演の彼自身のシュルレアリスム演劇『ティレジアスの乳房』においてである。)
参考出典:/ 「ダダイスム」 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A0#%E4%B8%BB%E8%A6%81%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%83%80%E3%83%80
6)チューリッヒ、1917年7月にツァラが『ダダ I』誌をチューリッヒで刊行した。/
スーポーは早速、アドリエンヌ・モニエの書店「本の友の家」でこのツァラが編集発行した『ダダ I』誌を入手した。
また、1917年9月からアラゴンもアドリエンヌ・モニエの書店に出入りするようになり、
スーポーはブルトンを介してルイ アラゴンに紹介された。
これ以後、3人は同じ関心を抱き、活動を共にする、3人の共通点は医学であった。
ブルトンもアラゴンも医学を専攻し、スーポーは医師の息子であったからである。
だが、それ以上に3人を結びつけたのは、ブルジョワ社会の当時の道徳や秩序をはじめとする既成の価値に対する不信感や、道徳、宗教観、文学における権威に対する反逆心、
むしろ、「反道徳、反宗教、反文学の精神」であった。
これは、「ダダ運動」の精神的根幹であり、バックボーンとなった。
7)Agnes Chemetovさんの私蔵ノオト。"フィリップ・スポー協会"の会報 /
http://associationphilippesoupault.fr/index.html
文責/ 平川武治。
初稿/ 2016年3月 1日。
追記 / 2024年9月01日。