"The LEPLI" ARCHIVE 93/ 『東京国立博物館に於ける”飛騨の円空展”を見る。』
文責/平川武治:
初稿/2013年2月24日:
写真/© Alexander Liberman
円空作品をこのように一度にたくさん見ることは
初めてであり、嬉しい、心地よい興奮と好奇心が
軀中をめぐる良い機会であった。
規模と会場は思ったより小さいかった。
列ぶ事なく、入場制限無く見ることが出来る規模だったので幸い。
僕が感じ今迄、彼の作品が好きであった理由がはっきりと確認出来る。
その結論は、
”カミ・神+仏+信仰心+民衆+自然+気+木目/節目=円空仏”という
実に解り易い、明解、明晰なる円空のこゝろの有り様からの覚悟で
生涯5000体以上を作り上げたエネルギィーと結心に
観る者への激情や情感を含むエモーションを
与える強さと激しさが在るという事だ。
ここには彼、円空の世界には、“媚びる”という概念が存在しなかった。
彼の生そのものが彼にとっては“媚びること”であるという迄の
覚悟を持っての生まれから、
その後の人生が始まった人であるから、
作品で”媚びる”という世界で仏像を造っていない。
”媚びる”事によって
要らぬ装飾が必要になる。
”媚びる”ために
それなりの様式を重んじなければならない。
”媚びる”ために
それなりの大きさが必要になる。
これらを総て排除したところに彼の世界観が
その中心軸に神仏観が大きな幹として
直立していた。
だから、木片でいい。
廃材でいい。老木でいい。枯れ木でもいい。
円空のこゝろの有り様は
総て、彼の作った神仏像の”眼”の表情に現れている。
これだけ充分である事も彼は見ぬいていた。
一宿一飯と見窄らしい衣。
この様な姿であっても、このような彼の世界観が
この後世迄残せ、観る多くの日本人に
その時代時代による安心を与え、感激が与えられる。
ここには安っぽい西洋美学は入り込めない。
アフリカのシャーマンが造った木像や面など、
世界各地に残っているシャーマニズムが持ってしまった
ピュアーな神への畏敬の
こゝろの有り様だけが入り込める相手である。
白人社会ではこのような純粋性は
11世紀迄のロマネスクにしか太刀打ち出来るモノは
余程のモノでない限りないであろう。
彼、円空の世界には“プロパガンダ”という下こゝろがない。
自分のためでは無い。
自分の存在を、育ちを神仏心を持って"GIFT"として
どれだけの他者たちへ、
彼の場合は、”民衆へ何か出来る事が在る。”という迄の、
これは覚悟を決めてしまった者だけが
持ち得る自信であろう。
これを見せびらかすのではなく、
実に、淡々と自分が出来る事を
神仏こゝろ100%以上に込めて為せる事を
円空は、“GIFT"を残して行っただけであろう。
白山信仰をその根幹として始められた
彼の神仏への畏敬のこゝろの有り様が為せた業でしかない。
ここに、後世迄も観る者にその持ち得たこゝろの有り様を
重ねあわせる事で得られる安心が
未だ、生きているのであるから凄い。
多分、観る者に
神仏こゝろが在れば在るほどに
その尊さに自心を委ねたいであろう。
その多くの鑑賞者たちは
どれほどの宗教こゝろが在って、重ね合わせて
観賞した事なのだろうか?
でないと、その表層の形骸的な驚きだけで
”良かった、物凄かった!!”という
例の、”文化モノ”も消費される構造の中でしかの
展観に過ぎないであろうし、
それだけの感嘆だけの展観であろう。
この展覧会において、
彼のこの神仏を崇め拝む根幹であった「”白山信仰”とは?」が、
まともに解説されていれば
もう少し彼のこゝろの有り様へちかずく事が出来たであろうと、
当時の日本人が持ち得ていた信仰こゝろの有り様が理解も出来、
より彼の作品の生まれでるまでの
苦悩とその道程とそれを拝む民衆たちの
こゝろの在り方も感じられた事だろうと。
若者は今回の展観を観て、
“円空”の存在と彼の仕事と生き方に好奇心を持ったなら、
先ず、彼の全体像を知る事から謙虚に学んで欲しい。
例えば、本展観はタイトルの如く、
”飛騨地方、千光寺を中心とした規模と範囲に限られた”
展観であるからだ。
これは彼の世界観と彼が生きた証の
僅か、100分の1ほどの規模と内容なのだ。
参考/飛騨千光寺/https://senkouji.com
興味を持たれた方が参考に読んで欲しいのは;
『歓喜する円空』/梅原猛著:新潮文庫刊
幾つかの彼の足跡を訪ね、
神仏こゝろと共に尋ね歩きたくなった展観でした。
ありがとうございました。
合掌。
文責/平川武治。
初稿/2013年2月24日。