"The LEPLI" ARCHIVE 110/今年になって素早く動き始めたファッションにおける新たな『光と影』あるいは、「一粒で二度美味しい」という潮流。
文責/平川武治:
初稿/ 2014年3月10日:
「今年になって素早く動き始めた新たな『光と影』を、
僕の立ち居場所である”ファッションの世界”から覗き見してみよう。ー壱」。
『世界は騙される事を欲する!』 /
-Sebastian Brant:15世紀ドイツ文学者「阿呆船」(Das Narrenschiff, 1494)より。
僕は「ファッションの世界」や「アートの世界」にかかわると、
このA.デューラーも彼の肖像画を書いている500年も以前のセバスチャンの言葉の真実性を
時々、思い出す事が多いのです。
Sebastian Brant/
物事には全て『表と裏』が有ります。/
例えば、今、巴里で行われている今シーズンのコレクションのトレンドの一つにも
この『表と裏』が先シーズンからの継続トレンドとして有ります。
"表向きの表情"と、"後ろ姿の表情"の相違を、着る女性の身体に世界観としてデザインする。
過去からこの手法もよく使われてきました。
意外性やユーモアという世界観から特意性に至る迄多くのデザイナーが試みました。
もう一つには“リバーシブル”という手法も有ります。/
この“一粒で二度美味しい”論法では、“リバーシブル”という手法も有ります。
ここ数シーズン見え隠れしながら大きなファッション潮流にはならなかった”潮流”です。
却って、この手法は’60年代のような昔に流行したものでしたが、
現在の様にモノの豊かさが日常的になっている時代性では然程、大きな潮流にはなり得ず、
造る側の”お遊び”程度になってしまっているのでしょう。
ただ、時代の経済環境や社会性によってもう以前の”機能性”や”経済性”に委ねた
イメージングからの”二面性”というコンテキストではなく、”時代の表層”と”深層構造”が
日常的に二面性の世界である事、その虚偽性、虚構性に気が付き始めた
リアリティーに対しての所謂、”時代性”というコンテキストによって
ファッションの世界でも”潮流”となってデザインが為されている。
ここでは僕が発言して来た、
『もう時代はイメージからリアリティが生まれるのではなく、
リアリティからイメージが生まれる。』の現実が読める。
“一粒で二度美味しい”でしかない。/
この”二面性”というコンテキストの根幹は、ここに“愉しみ”が存在しているから
魅力となり創造性が膨らむのでファッションの潮流に度々、現れてくる。
しかし、過去をみても此のコンセプトが出る時代性とは決して”良き時代”ではなく
不況時や不確実性が広がる時代に多く出たもので、
現代ではそれに”不平等性”が加わった時代性と読める結果であろう。
なので、この“二面性”も最近では素材が持つ”表と裏”の“リヴァーシブル”ではなく
構造が違う“表と後ろ”の二面性である。
即ち、着る事によって”表の見え方と後ろ姿の見え方”が違うと言う
”表層に於ける二面性”であり、ここには大きな相違が有る。
それは、隠された”二面性”ではなく、見える”二面性”であり
一種のフェイクを愉しむというコンテキストが読める。
僕が発言している、「ファッションとは?」の根幹である
”The fashionis always in fake.”がここにも理解されるであろう。
現実世界においては、これを早くから家庭教育として刷り込まれ熟知し、
巧く使い分けられる民族がこの世界で富と権力のイニシアティブを執っています。
何故ならば、物事の”根幹”/”二面性”を早熟に理解させられているからです。
ですから、彼らたちの一部の層が先端を担い、富を築きその格差は年々増すばかりです。
“世界は一つではなく、その一つのモノには表と裏が在る。”/
資本主義社会でこれを愉しむとは?
それぞれが持ち得た「差異」を「力」に変換出来ることと、
どこに自分が立つかの、自らが選ぶ「立ち居場所」であり、
そこから生まれる”富と権力”の為の立ち居場所確保に尽きる。
そして、“世界は一つではなく、その一つのモノには表と裏が在る。”は、
「西欧近代」のパラダイムの根幹なのです。
こんな時代性とは、ここでこのパリコレのトレンドを交えて、
日本の新たなる『表と裏』が表層化し始めた、
今後”見えて来る二面性”を妄想して見よう。
文責/平川武治:巴里市にて。
初稿/ 2014年3月10日。
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