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"THELEPLIARCHIVES"#158- ”Friendly Fascism”が染み込み始める時 「ファッションはもう”ユニフォーム”になってしまったという視点。」
初稿 / 2016年12月26日:
文責 / 平川武治:
1)年のはじめのご挨拶、(この原稿は8年前に書かれたものです。)
『新年が穏やかに、おおらかなる年の初めをお迎えになられたことでしょう。
今年は”29/フクの年”。僕も老いて、ますます辛辣な意見と好奇心を
今年もモードの世界へ向けます。
変わらぬご鞭撻をよろしく。」 合掌。
平川武治:
2)「これは終わりだが、始まりでもある」という時代観とは?
"However this ends, that's where we begin." とはを妄想してみよう。
このP.トランプ当選後のM.ムーアの発言では,
何が、”終わり”、何が、”始まる”というのでしょうか?
例えば、僕が最近発言している、「近代」という時代が終わり、
新たな時代性が誕生するだろうという視点が一つあります。
これは皆さんの周りのより、現実的な世界を見ていただいて、
何か、今までとは違った”something new"な匂いや段取りの違い、
気配などを感じ始めていませんか?
これが既に、新しい何かが始まっている”ファッドなリアリティ”でしょう。
この”ファッドなリアリティ”の一辺づつをブリコラージュしてゆけば、
”あたらしい自由”のみが生み出せるあらたな時代の”始まり”でしょう。
3)例えば、時代はまた、「ナマ/live」モノ感を必要とし始めました。
小劇場、ライヴ、フェス、ダンス、ラップ、スポーツそれらに、習い事のヨガや色々。
この裏には、バーチュアルなエモーションではなくより、直感できる
”ナマ”な体験で得られる「エモーション」が恋しくなり始めたということ
と、そこで出会える”ナマ”な「関係性」への願望でしょう。
人と”繋がっても”そこにお互いが直感で直に繋がり合える”感動”が
より、具体的に必要な時代が来ています。
ここには「関係性の衰退化」という悲しい時代の根幹があるでしょう。
PCでの、SNSに頼ったヴァーチュアルな繋がりに限界ともどかしさを
やっと感じ始めたからでしょうか?
ここには、”便利”と”感動”は自ずから本質的に価値のレベルが違うことがわかり始めた新たな大衆たち。”Z世代”の誕生があるでしょう。
このリアリティこそが、僕は「近代」という時代の次なるチャプターが
必要になってきた時代性だと感じ始めています。
4)過去においてもこの「ナマ/live感」は当然、感動を得るための先鋒手段でした。
感動とはそんな「ナマ」の”リアリティ+リアリティ”の経験や体験から
しか生まれ得ないものであるという常識の時代から、
現代では既に「ヴァーチュアル・リアリティ」という新たな感動も
知ってしまった人類が、オプションすべき、感じたい「感動」即ち、
「ナマ/live感」とは、を感じ吟味することが大切な時代性なのでしょう。
このような”ファッドなリアリティ”の先取りが現代社会ではかなり、
重要な人間個人としての"差異”でしょう。
ここには”教養”と”感度ある感性”の4Kが要求されるからです。
ほとんどの現代人と称される”情報社会”に生きている人たちが持ち得た
”ヴァーチュアル・リアリティ”とそこに表された、”真実っぽさ”の社会に
よって、”センス オブ ヒューマン”が劣化してしまった。
すなわち、”時代と寝る”ためには
より、人間的なる「クオリティある繊細さ」が必要な時代になってしまったからでしょう。
この要因は”表層の豊かさ”のみが液化状態になり始めたからです。
5)では、僕が感じるこの「近代」の終焉から、
新しさの始まりでもある今後の「近代」の次に来る時代観を
少し、妄想してみましょう。
これからの数年間で起こりうる世界情勢は確実に、小さな塊の、
より強靭なコミュニティを羨望する各国の動きがあるでしょう。
即ち、保守が進展すれば当然のように起き上がってくる”愛国心”という
怪物の登場でしょう。
この古き新しさでは、新たなバランスとしての
”ナショナル・アイデンティティ”と”ネイション・アイデンティティ”の
セルフ・バランスが問われる時代になってゆくでしょう。
グローバリズムによって、大きく固まったその実態構造そのものが
不誠実なものであること自体を知り始めた知恵ある諸国と人民は、
より確実な”塊”へ揺れ戻しの始まりがあるでしょう。
例えば、合衆国ももしかしたら、”州”が個別にインデペンデントな
構造体になり始める可能性もありますし、
英国のブレグジットもそうですし、
EU諸国においてもそれぞれの民族間の”ネイションアイデンティティ”が
国別に強くなり始めるでしょう。
グローバリズムによって、国/ガヴァメントと企業/ビッグ・ビジネスと
いう”複合企業体”が地球規模でそれぞれの産業において、
それなりの企業形態を成立させてしまったのが
20世紀の最後の役割だったのですから。
これは、「ポスト デモクラシー]という時代性の現実の一つでしょう。
ここで参考にするのが、すでに40年は経過してしまっている、
1980年、アメリカで出版された「Friendly Fascism」という本です。
(これは、今回のトランプ選挙陣営のネタ本の一部であり、”ポスト デモクラシー”の教科書でもあります。)
6)では、「Friendly Fascism / ”柔らかな、ファッシズム”とは?
参照/翻訳版「笑顔のファッシズム上・下」B.グロス著、日本放送出版協会刊
『新しい独裁政治がアメリカ全土にゆっくりと忍び寄っている。
”政府と企業の複合体”が何十年もかかって、次第に形成され、
その複合体の司令部には、”顔のない独裁者”が座り込んでいるのだ。
彼らは自らの富や権力と特権を拡大しようとして、組織や個人のために
なりふり構わず利益を追求している。
さらに、広い意味では経済的操作や情報活動、あるいは軍事的侵略に
よる、世界各地における国際政治への介入の拡大等も、
そういう独裁者たちの利益追及の結果生じて発生してくることなのだ。
こういった自体の全てがすでに、世界的な規模で軍拡を煽り、核兵器及び通常兵器という殺人のための機械の備蓄を増大させているのだ。
ーこれは現在の安倍内閣以後の日本における”政治と企業の複合体化”から
軍事防衛費予算がダントツに増大し、僕たちの国家も終戦後、具体的なる
今後の”軍産複合体”構造を構築しはじめている現実の一つの予兆でしょう。
7)アメリカはまず、”軍産複合体”の手に権力が握られ、
続いて、この”複合体”に類似した、多国籍複合企業体が存在しているのが
現実であり、これらの構造体は”多国籍企業体”構造を持って、
より複雑な存在価値を構造化してしまっている。
原子力複合体-科学=工業技術複合体-石油=自動車産業=高速道路複合体、
銀行=証券会社=住宅産業複合体-都市計画=開発産業=不動産業複合体、
農産物生産及び、加工と農機具・肥料・飼料の製造販売までも含まれる
農業関連産業複合体,
そして、IT=モバイル産業=情報産業=メディア産業複合体などなど。
これらの”複合体”に実際の企業名を当てはめればその実態が見える。
彼らたちは公然と貢献したり、秘密裏に援助の手を差し伸べたりして、
その経済的基盤やそれを育む環境を備えている公共機関や大学が加わり、
これらが複雑に絡み合ってさらに巨大な複合体を形成しているのが
現代であり、こういう色々な複合体と同様に重要なのが、
顕在化している”ビッグ・ビジネス”と”ビッグ・ガバメント”の提携であり、
この現実が今では世界のいたるところで見られ、
その根幹は巨大な超国籍企業と様々な多国籍複合体にあり、
これらが世界にまたがる”自由主義諸国”を一つにまとめ上げたのが
”グローバリズム”の実態であり、
ここに、新しい独裁主義を成立させている。
”新しいファッシズム”はその国の伝統や文化遺産によって違った色合いを浴びて現れるだろうし、人種構成や宗教の構成、政治機構、地政学的環境
などによってそれぞれが違った様相を呈する。』
参考;「安心のファッシズム~支配されたがる人々。」斎藤貴男著
-岩波新書/2004年刊;
8)そしてもう一つ、現代日本のファッシズム「安心のファッシズム」とは
では、日本的にこの現代という時代性を新たな視点で捉え考えてみると、
僕が、「みんなで安心・安全・快適」というコンセプトを初めて使い始めたのが90年代の終わりに近い頃であった。
これはファッションのコンセプが”WAPPING"から"PROTECTION"へ
変革し始めた時期であり、
例えば、世間では”tatoo”が一つの”ライブなファッション”として瞬く間に
クールになり国籍関係なく一般化し始めたので覚えています。
ここでの読みは、「着る人間の身体と心を”モード”によってプロテクトし始めた。」新しさだったのです。
現在ではこのコンセプトはすでに常識になってしまっていますが当時は、
フード付きの”被り物”はまだ限定されていて、
黒人たちのストリート・キッズから発生し、ラップによってプロパガンダ、
そして、流行によって”クール”になり、今では、当たり前の一つの
”生活衣料品”になっている。
これがまさに”サブ・カルとファッションによる液化現象”ですね。
例えば、お笑い系でも、”シソンヌ”のギャグ・コントが現在の”spa"型の
ショップの現実をパロディっているというまでの日常の”液化現象”です。
その後、インターネットの普及化と携帯がより多重・多機能化し
スイカが生まれ今のような平成の「安心・安全そして、スイスイ」社会に
この「安心のファッシズム」は消費社会構造の下で発展した。
この平成の「安心・安全そして、スイスイ」ボケの現代社会を切った
「安心のファッシズム」という本があります。(参考/前述)
9)考えてみると「誠実に生きる、真面目に生きる、真剣に生きる」とは、
これらは全て、与えられた”自分の生”に対しての、
自分の自由な生き方への詞です。
これらを放棄さえすれば、みんなと一緒になれば、その社会の人間たちは誰でもが、「みんな、安心・安全そして快適にスイスイ」と
生きてゆけますよ!という社会構造の構築と科学技術の開発によって素早く現実に至った現代日本社会です。
「ケータイがなければ何もできない、電車にも乗れない、街も歩けない、
暮らしてゆけない」柔らかく囲われた現代という社会構築。
巨大なシステムに操られることが苦痛にならずむしろ、心地よく便利に
スマートに生きて行けると感じさせる時代性が
ここに、見事に構築されてしまいました。
これは、物事の根幹を知らなかったら、”知性”や”教養”に関係なく
全てに飼いならされる。という時代性とも読める、
これが現代日本における「安心のファッシズム」の由来です。
「一台の携帯電話+各種アプリ+1枚のプリペイドカード+クレジット
カード+キャッシュカード+各種会員カード+マイレージ各種クーポン
サービス+社員証+マンションキー+スイカ等の交通機関乗車券などなど、=安心、安全そして、スイスイ快適生活」=「安心のファッシズム」という現代日本社会構造。(参照/日経新聞/2004年5月20日付け。)
10)この構造を起業化したのが、
「フィリカネットワークス」という2004年に設立した企業です。
ある意味では、たった”1枚のカード”に不動産価値構造を構築し、
携帯を、”ハブ”機能とさせれば、”スイスイ・快適”が日常化するという、
「安心のファッシズム」の発想でしょう。
参考/フィリカネットワークス”=ソニー+NTTドコモ+JR東日本;2004年設立:
ここでは、地上のすべてがマーケッターたちの”ゲーム”上として、
「動く商圏」を構成する「息する財布」としてしか、
認識されなくなってしまった人間たち。
大衆達は「操舵の術」としての”マイカード”と繋がるための”ケイタイ”によって、現代人の肉体そのものをコントロールされていても違和感を
感じないように従順に既に、飼い慣らされてしまっています。
だが、これらはすべて、「アメリカの軍事衛星」を経由して流されてくる提案に操作されているという”根幹”は果たして、どれだけの利用者たちが
認識した上での”スイスイ効果”なのでしょうか?
ここでは、「自由に生きる」ことそのものが変革され、
”操作”されてしまっているのです。
11)ここで、”ファッシズム”とは、本質的に、ファジーな曖昧なものの
塊或いは、群衆化をいうのです。
全ての根拠が”曖昧さ”で始まっている現代のキーワード。
「真実っぽさ/truthiness」の世界そのものであり、自由でないことの
”幸福感”が芽生え始め、支配されたがる人間が
主人公/ヒーローでありる世界。
そこにあるのは「真実っぽさ」が溢れかえっている不自由な社会。
しかし、この世界を誰が作り始めたのでしょうか?
そして、どんな人たちが我れ先にとその世界へ駆け込んだのでしょうか?
ここに、ビッグ・ビジネスとビッグ・ガバメントの提携連帯で、
築かれ作られた”複合体”社会の真意があり、
「使われ慣れした、使われやすい、飼いならされたい人間たち」の登場
いわゆる、”世間にお利口さん”な世代たち、彼らが登場しそして、
コンシューマーという主役。
「The world is the wall-paper that only the truthiness.」
第1部終わり:後半があります、お楽しみに!!
文責/ 平川武治。
初稿 / 2016年12月26日。