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"THE LEPLI-ARCHIVES"/#151 ここ3シーズン、 成長し続ける僕の好きな、"UNDER COVER" パリ2017/春・夏コレクション。

初稿2016年10月11日:
文責 / 平川武治:
写真 / ストリート・グラフィティ:At 14 Rue Ternaux 75011 Paris.

 ”巴里のモードピープル”たちはこんな事を考え始めた、時代性が来た。 
「誰が、新しい顧客なのか?」
「誰に売れば、モードとして輝きが廃れないか?」
「誰が金持ち新興スノッブ人種なのか?」
「誰がパリ・モードを美しく着こなせるのか?」
 
 0 )モードのキャピタルは遅れていた”RAP・ストリート・WORLD"に色目を使い始める、

 巴里のファッション・ウイークの怖いところは、景気の悪さがストレートに見えてしまう。
最近の巴里はジャーナリストたちはプロが少なく、バイヤーたちは古参が多い。
その中で、ブロガーと称する若者たちが”すきあらば”と言わんまでの
セルフ・プロパガンダで会場の前だけは異様な空気と盛り上がりを見せる。
が、”ゲットー”の中は変わらずのこの世界、独特な淀みしか感じられない。
当然だが、この空気感はその後、始まるランウエーのコレクションの表情と顔つきにも漂う。    
 街の顔つきも当然だが30年前とはすっかり、変貌した。
判りやすくは、街の表層は綺麗になった。
だが、昔の否、本当の「巴里」を生きてきた人たちにとっては
その全てが本当に”遠い、いにしえ”の風景になってしまったと嘆き始めた時代性を感じる。
 これは何も巴里という”街の変化”だけに限ってはいない、
この街の”モード”も同じように30年も見続けている僕のようなものには
”モードのキャピタル”も同じベクトルで変化し始めなければならないと感じ始め、
一つの時代を脱皮しようと、変貌し始めたシーズンだった。
 この街、”巴里のメタフォルモォゼ”が輝きを放った近い過去として一番、
ノスタルジックにメランコリックに思い起こさせてくれるのが’60年代半ばの
”ジャズ イン サン・ジェルマン”だろう。
 例えば、既に、YSLが亡くなり、つい先月もS.リキエルも亡くなった。
彼れらたちの時代がどんどん遠ざかってゆく。
それはオーディエンスも然りである。
 
 1)こんな懐かしい時代のアトモスフェールとジャズをテーマ・コンセプトに、
 とてもハッピーなコレクションが”UNDER COVER”、高橋盾が見せてくれた世界だ。
素材が勝負の時代にジョニオ君が選んだのは”ニールド・パンチング”による異素材の組み合わせという、こちらのデザイナーにはまだ高価でこの手法が一般化されていない世界。
ここで、白人デザイナーたちから1歩リードを取った。
 ローブやトップスにこの手法で”JAZZ AGE"なるモチーフで彼のポジティフな世界を見せた。ここに漂っていたのは「メランコリー」「ノスタルジア」そして
重なる、「ロマンティック」や「ポエジック」が表層に転写によってデコされてた世界。
 極め付けのアイテムはこのデザイナーの凝り性な性分がレザーブルーゾンに現れる。
あのM.レイの写真に見られる音符記号を嵌め込み手法で丁寧に、豪華にブルーゾンになる。
全体的には”ストリート・テイスト”をラグジュアリィーにまとめたシーズン。
そこにも彼が提案する”ストリート・エレガンス”が溢れるうまさ。
 このうまさは、彼のコレクションが年々、評判を呼ぶまでの上手さの証であろう。

 2)彼の”オタク的・グラフィリズム”が輝くのは服だけではない、
 彼が上手いもう一つはいわゆる、”小物類”のデザインセンスとそのまとめ方である。
これらによって、より、「UNDER COVERの世界」がときめき、耀く。
 フィナーレはこのメゾンも「トランス・ジェンダー」、
メイクもすっかり変え、スーツの素材も打ち込みのしっかりしたメンズ素材で
仕立てられたボディーフィットしたスリムなボーイッシュ・スーツ。カッコいい!!
ありがとう、ジョニオ君。

文責/平川武治:巴里、ピクパス大通り。
初稿 / 2016年10月11日。

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