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"The LEPLI" ARCHIVES-77/ ひらかわ版:”世界知らずに成らないために”
文責/平川武治:
初稿/2012年8月 3日、盛夏に:
『みなさん、猛暑お見舞い申し上げます。
水分不足、栄養不足、寝不足になっていらっしゃいませんか?』
この時期、日本にいらっしゃる方は寝不足でしょう。
毎夜送られて来るロンドンからのオリンピックゲームの
試合映像に夢中になってしまうからでしょう。
しかし、今回のロンドンオリンピックは何か変だと思われませんか?
実際に今までこの様な大会ではあり得ないようなことが幾つも珍事として起っていますね。
オープニングの祭典での日本人チームやインド人チームの入場式からがそうですね。
金メダルの事ばかりを思って競技をする選手たちと、それを見る側。
そこで今回の”ひらかわ版:”世界知らずに成らないために”は
ロンドンオリンピックをより、面白く見る為のガイドです。
<strong>http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=fXj-y8nfaxQ</strong>
僕が好奇心を共有出来る大好きなサイトが”カレイドスコープ”です。
既に、ご存知の方もたくさんいらっしゃるでしょう、このサイトも是非!!併せて見てください。http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1460.html
『この場を借りて、お悔やみを申し上げます。
長年、特意な立居場所のサイト、”カレイドスコープ”の
管理人/ダンディー・ハリマオ氏が
昨年、11月に既に、亡くなられていらっしゃたようです。
僕は残念です。色々学ばせていただきました。
ありがとうございました。』(2023年04月04日。)
***
ここで、オリンピック観戦から気が付いた事を、
今回も今までで、多くの優れた力のある選手たちが
”メダル”を取りましたね。
凄い事です。でも、なぜ、日本人選手は目標の”金メダル”ではなく
“銅メダル”しか取れかったのでしょうね?
“金”と”銅”の間にはどれだけの実距離があるのでしょうか?
“銅”で悔しいけど”メダル”が貰えたから満足する。(?)
多くの選手のインタビューの答えがこのように感じ取ってしまうのですが、
メダルは貰う物ではなく“勝ち取る”物ですよね?
そして、“金”が欲しければ、”金”を取るこゝろの有り様を集中させ
自心でそのテンションを作り出さなければ今までの練習努力が
”銅”に変わってしまう。
何処で、このように”刷り込み”が為されてしまったのでしょう。
その原因は何なのでしょうね?
技術、経験、精神性、気骨、覚悟、無我夢中と努力そして、運?
例えば、柔道もこのロンドン大会から以前の柔道では無くなりましたね?
只の、格闘技に近くなってしまったようです。
以前の日本の柔道に在った”様式美”屋”マナー”が無くなり、ルールだけの、
只、勝ちたい、勝てばいい、というだけの勝負の柔道になってしまった様に感じます。
勝てばお金が、顕彰金とかいろいろなお金が廻って来る、
メディアへの露出度も増える。
という時代性への現れなのでしょうか?
何か、恐ろしい力で見事に”一方方向”への刷り込み操作が
為されている様に思ってしまうのです。
”ファッションの世界”にも似てしまっていますね。
コンペティションばかりにこゝろ囚われて”服作り”をはじめる若い人が
増えましたね。
競いあってメダルをもらう、賞金が入る、
以後、メディアで露出してもらえる。
そこで、先日見た映画で、
N.Y.VOGUEのアナ-ウインターが発言している言葉は
やはり彼女らしく、的を得て、
モードの根幹をしっかりと理解した上での発言をしていました。
" THE FASHION IS NOT ART, FASHION IS EVEN CULTURE.
FASHION IS A ONLY ADVERTISING.
THE ADVERTISING IS MONEY.
THE ADVERTISING BUSINESS WILL BE MAKING LOT OF HIGH AMOUNT OF GUARANTY."
Anna Winter/by GIA.
この根幹に立って論じられるモードと、
見えている表層の形骸だけを論じられるモード。
ここに現実に於ける”成熟”さの違いがあります。
モードを論じるにも自心の立ち居場所と、
モードの立ち居場所という根幹を
謙虚に、実直に把握していなければ、
論じ合うステージとレベルがズレて終りますね。
モードやファッションという解り易い言葉のみの表層レベルで
小難しい事や教養を見せびらかし、論じ、自己満足し合っている
若者たちには奇天烈な偏見を感じてしまいます。
何処か、風通しが悪いですね。
躾けある、スマートさが感じられませんね。
経験未熟な思い上がりな視点が見えるだけです。
彼らたちをカッコいいと自らの下積み経験からのバッドな思い違いで、
簡単に煽て上げる外国コンプレックスなファッション村の住民たち、
編集者さんたち。
何時まで経っても、モードをポリテカルな視点で論じられない世界。
これは造る側、デザイナーと称してそれなりの郎党を組んでいる
未だ、尻が青い豚たちにも言えますね。
これらの豚たちは、煽てられて木に昇ってしまっていますからね。
彼等たちは所詮、広告塔の為の只の客寄せパンダを演じさせられて
デザイナー振っている輩たちでしかない事も自覚できない「世界知らず」。
"THE FASHION IS NOT ART, FASHION IS EVEN CULTURE.
FASHION IS A ONLY ADVERTISING."
やはり、Annaはすごく、頭の切れた体験者ですね、
モードとはの”根幹”を実践から熟知してらっしゃいますね。
既に、現在のファッションとは
完全に彼女の言葉が現実世界になってしまっています。
そして、”広告”に振り回され、
見事にコントロールされてしまっていますね。
時代を予知してしまった編集者ですね。
だから、あれ程までに、伝説の人に成れたのでしょう。
文責/平川武治。
初稿/2012年8月 3日、盛夏に。