平川武治のノオトブログ " Le Pli " アーカイヴー06 ;
A/W '04~'05版「東京コレクションシーズン雑感。」
ーこの東京ファッションウイークが始まった昨今と比較してご一読、愉しみください。
初稿/2004-05-27;
文責/平川武治:
今日のインデックス;
1)スイス バーゼル芸術大学のモード科主任教授の初めて見た東コレと
その環境。;
2)戻って来る度に東京は『悪趣味』が蔓延化している。
そして、「中抜き」という古い新しさ。;
3)”WWD Japan”「東コレ・アンケート回答」;初稿/2004-05-27:
4)デザイナーブランドでは、”フラボア”、”TOGA”と”DRESSCAMP”:
5)ここに上げた3組のメゾンはそれぞれ企業形態がっている。:
6)”MINA”、”NEMETH”、”VOLGA VOLGA”そして、”ミントデザイン”:
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1)スイス バーゼル芸術大学のモード科主任教授の初めて見た東コレとその環境。;
最近は、気がついてみると東京へ戻ってくる機会が少しずつ少なくなって来ている。多分、巴里、アントワープに加えチューリッヒでの仕事が加わりその結果であろう。
今回は丁度、東京コレクション時期と友人のバーゼル芸術大学のモード科の主任教授が初来日して居るので比較的多く彼女と東コレを見る機会を持った。この彼女の学校は例えれば、スイスにおける『東京芸大のモード科』にあたる国立大学である。
彼女、Pia Himmaneは自分自身でリスクを張って、約半年の長期休暇をとり最初の2ヶ月程をタイ、ベトナム、カンボジア、ラオスそして、ハワイ経由で東京に入り、自分で家を探して3ヶ月の東京生活を始めている。実際に僕も彼女と一緒にアパートを探したのだが、外国人、女一人そして3ヶ月という条件では普通の不動産屋は皆無。鼻から断られ放しを経験し結局、比較的条件の悪い外国人専門のアパートを蒲田に借りることが出来、今では楽しく東京生活を行っている。ここにも東京へのランディングの狭さの現実が読める。
ヨーロッパの多くの学校がそうであるように彼女の学校も3年生になると最初の半年は自分たちが希望するデザイナーのアトリエや企業への研修参加が義務付けられている。そこで彼女はこの機会を利用して経験として憧れでもあった東京のファッションシーンを体験し、出来ることなら東京の学校と自分たちの学校とで生徒たちが交換学習を出来ればさせたいというもう一つの目的を持って来日した。
そして、実際に彼女が幾校かの学校訪問を行ってみると現実の答えは殆ど決まっていると嘆く。『それは是非、やってみたいのですが、今は未だ、』それと廻っているうちに基本的なレベルが違うことにも彼女は気がつき始めた。そこで今度はショーを見て彼女が興味を持った東京のデザイナーのアトリエで研修が出来ないかと。これも現実では『TOGA』がO.K. を出してくれたがやはり、至難。これから『ミントデザイン』や『ATO』を回ってみる予定だがこのレベルのアトリエはかなり可能性が無きにしも非ずというところであろうか?残す、3週間ほどでどれ位、彼女が最初に夢見ていた東京ファッションシーンでの学校やデザイナーとの交換研修などのコラボレーションが可能か?これも現実としての現在の東京ファッション教育レベルの一端と現実であろう。
そして、彼女が見た限りあるコレクションの中では、TOGA、FLABOA、MINTDESIGN、SUNAOKUWAHARA、などに好感と興味を持ったという。そして、少し彼女にとってはきついモノが在ったキッチュなDRESSCAMPはある面でとても東京的だったという。彼女は自分の経験と立場上、何のために洋服をデザインするかの『根っこ』を読む。その発端としてのコンセプトそして、クリアティヴィティを重視する。 これらは彼らたちの発表された服と彼らたちが感じた時代の雰囲気が質よく、高く提案されていて、何のためにデザイナーと自称する人たちがコレクションを発表するのか?その根本的な『根っこ』の部分の世界観が全体のビジネスマインドや売名行為以上にオリジナリチィを感じさせるかにプライオリチィを視点として見た結果だという。その結果、全体的にはビジネスが優先されていると感じたらしい。しかし、これは無理もない、彼らたち東京のデザイナーたちは一応「プロ」であるからだ。これはPiaの学校やヨーロッパにおける他の国立芸術系工科大学校のモード科ではアントワープもオランダのアーネム、ブリュッセルのラ・カンブル等僕が審査員をさせて頂いている諸学校も同視点である。[質の高い創造性と自由な時代感]を好きな服の世界で教えるという立場を取っているからであろう。
そして、僕が海外でコンテストや彼らたちの卒コレで学生たちに接する時の僕の責任としての視点は、『クレアティヴィティ、クオリチィ、イメージ、ウエアラブルそして根っことしてのコンセプト』であるが、巴里・コレ等でのプロの仕事になるとこれに『ビジネス』という項目を加えて評価し、これらのそれぞれがどの様なバランスでまとめられているか?が評価の軸としている。
2)戻って来る度に東京は『悪趣味』が蔓延化している。そして、「中抜き」という古い新しさ。; これはこの街が持ち得てしまった一種の時代感なのかも知れない。
かつての’30年代初頭にはドイツを中心として『キッチュ』が登場した。時代のあだ花としての”キッチュ”だ。
今回の僕は巴里のデザイナー”JEAN COLONNA” を連れ立って帰国した。
彼も日本企業とのビジネスマネージメントが巧く行かず、あれだけの才能と実力そして何よりも人間的に豊かな感性と魅力を持った、巴里のモード界では誰からも愛される人柄の人物でも日本企業の幼稚さと無知さ、それに何よりも企業のエゴ優先とそこで働く個人がリスクとコストを回避するのが当たり前の環境の中では彼の知的創造性と繊細な感性は破壊されてしまった。
彼にとっては2年半ぶりの東京を一緒に1週間すごした。
現在の東京ファッションビジネス構造は『新たな「ターミナル型」と「郊外型」の2極特化』である。”ターミナル型”は以前のようにその代表がデパートではなくなり、各所に出来ている駅ビルがこのマーケットの中心である。このマーケットのコンセプトは『コンビニアンス』。(フランス語では、敏速、便利、便宜、簡単にと言う意味)ファッション情報カタログ雑誌によって発せられた消費情報を元に、どれだけスピーディーにコンビニアンスにファッションコンビニ的駅ビル ブチックで会社の帰りにお手軽にショッピングが出来るかの進化(?)。もう一方の”郊外型”は確実に戦後日本社会の発展を新たな生活環境とした『時間消費型』の「AEON」で代表されるそれである。自分たちのテイストと感覚に合ったファッションショッピングが自分たちの地元住環境で出来ることの満足感と安心感がこのタイプ。僕はこれを『ファッションディズニーランド』化と呼んでいる。この郊外型で今一番ホットだと言われている”AEON”で代表される旧量販型ショッピングセンター等は正しくこれであろう。ここでの新しい主役たちは「マイルド・ヤンキー」と言われる元ヤンキーたちの「地元パラサイト」族である。休日はもう街へ出てゆきたくない。家族みんなで安心して、時間を生活空間全般と化したファッションショッピングで楽しもう。女物の店には男モノも子供モノまで揃っている。当然、服だけではなくいわゆるファッション小物からコスメまで。そして、今回驚いたのは愛犬用ファッショングッズまで揃っている事であった。
そして、この新たな地方におけるディストリビューションを可能にしたのが、新たなファッションビジネスの構造が手伝った。これらは、「SPA型」と言われる新しい「中抜き構造」である。「小売業者たちが生産発注を直接行う」というシステムで、この構造が可能になったのは「グローバリズム+PC+Poss」であり、「商社+大量生産+大量販売」という機能である。
この新しい「中抜き」アパレルでは、その一つが”ファースト ファッション”の成立であり、もう一つが、”ラグジュアリーブランドの定番ビジネス”である。
そして、現在のTVメヂィアを中心とした大衆娯楽の世界はより、低俗化が進化するのみ今、東京のファッションの環境はこの低俗化したTVタレントやいわゆる芸能人を媒介とする事で消費のモチベーションを挙げているのが現実である。その証拠に元々センスの悪い芸能人ご用達のスタイリストたちが同じ輩たちの雑誌メヂィアによって勘違いさせられるという循環構造。そんな結果であろうか、東京のテイストが『悪趣味』化している。先ほどのペットブームに見られる消費現象も然り、街を闊歩する女性たちのいでたちには個人の上品な趣味性は殆ど姿を消しユニフォーム化されて仕舞い、『悪趣味』を悪趣味と解らない世代が登場しているのである。対峙すべき『良き趣味』を知らないで育ってきた世代。彼らたちからは既に『躾と恥じらい』という言葉が死語になっているのだろうか?もし、これが死語となってしまっているのなら日本のファッションの世界も新たなシーンを必要としているしそれが現実化していてもおかしくはない。東コレを見ていてもこの傾向に気が付く。先に挙げた『DRESSCAMP』などはこの『悪趣味/キッチュ』時代の風向きに順風漫帆なのだろうか?こんな時代を少し先取りしてしまった結果がウケ始めているのだろう。
戦後60年間で社会構造の中に殆ど、『クラス』が無い現実は一方では『趣味性』を欲し、他方では『悪趣味』が現実化する。 多分、この矛盾は2010年まで『あだ華』となって進化し、消費の強力なモチベーションとして進化して行くだろうがその後は、”上海の万博”が終わった中国が巨大な”大衆消費社会構造”を確実に稼動し始めると僕たち日本人は悪夢から否応にも目覚め新たな21世紀の日本の役割を謙虚に捜し始めなければならない。
そして、外国人たちの眼差しはこの『21世紀版悪趣味ジャポニズム』を早熟に感じエンジョイし始めたのが今。そして、これらの東京の現実が「観光立国」化の売り(?)
3)”WWD Japan”「東コレ・アンケート回答」;初稿/2004-05-27:
僕はすべてを見ていないので貴社企画の『ベスト3を選ぶ』には不適当な回答となるでしょう。また、この様な「ベスト」を選ぶことには多少の疑問があります。それはビジネス業績や企業規模それに企業形態の違いがあるのにステージでの見えている部分でしかの判断の結果としての「ベスト」選びは「大いなる勘違い」を生むから僕はこのレベルでの、この様な企画はメディアの興味本位即ち、実ビジネスを狙った企画でしかないと想っているからです。
ご参考までに、僕が国内外の[コレクションを見るときの基準]:世界レベルでデザイナーのコレクションを見る時の『基準』があります。
1)クリアティビティ/時代観と美意識をバランスで診てそのデザイナーのオリジナリティを読む。
2)クオリティ/どれだけその服が美しいくクオリティ高く出来上がっているか。作られた服に対する気持ちのクオリティと技術面からのクオリティ。3) イメージ/デザイナーが感じる時代観とその雰囲気や気分をどのようにイメージングしているか?そのアイディアと独創性。
4)ウエアラブル/着れる服であること。時代が求める機能性や汎応用性をも含めた着れる服であること。ここで僕はファッションはアートでないという視点を重視。着る人の心や気分そして環境や風景とのバランスを感じ読む。
5)プライス/当然、ファッションもビジネスであるため、モノに見合った価格が大切。ここではどれだけそのデザイナーたちがプロであるか?を読む。身勝手な自己満足におぼれたデザイナーはここで落ちる。
この”5つのポイント”で東コレを見てしまうと、、、
それに僕は「ベスト」という順位をつけることはこの東京ではナンセンス。
ただの趣味の悪いお遊び。レベルの低いメディア側の自己満と感じてしまうからです。
4)デザイナーブランドでは、”フラボア”、”TOGA”と”DRESSCAMP”:
そこで僕が観たものでこの基準に沿って高得点なメゾンをあげさせていただく。
「フラボア」:このデザイナーの自由さが程よく新しさになって服に現れていた。何か、人と違ったことがしたいという基本的なデザイナーである前の作り手としての心が在った。
「TOGA」:このデザイナーのショーは不参加。展示会でのヴィデオと作品を見て。しっかりとビジネスをも考え自分の世界観を持って、成熟してきたデザイナー。 全体のコレクションの作り方もうまくなった。3人で自分たちの作りたい服を作りながらのメゾンのスタートを知っているのでよく成長したと想っている。ビジネス的にはこのメゾンが一番企業構造も安定しているだろう。世界へのチャンスもあり???今後の課題は彼女が持っている”服作りの『根っこ』”をもっと豊かに深いものにすること。そして、”フラットから抜け出すこと。”
僕の合格ブランドはコレだけ。きっともっといろいろ可能性のあるブランド デザイナーがいるのだろうが、僕は見なかったのでこれだけ。後、印象に残ったブランドは「DRESSCAMP」:今の東京をある意味で代表しているブランド。『悪趣味』が蔓延している東京とその時代性をこれ程までに見事にイメージングして気持ち悪いほどに堂々と明るくショー化しているこのデザイナーの「東京ポジティフ」が面白い。好きなものがはっきりとしたコレクションは気持ちよいが、いつまで続くかが問題。今後、もう少し自由さと謙虚さそれに彼も自分の「根っこ」をもっと成長させなければいけない。このままでメディアに勘違いさせられると唯の、「東京芸能人ご用達スタイリスト向け悪趣味デザイナー」でしかなくなる。
5)ここに上げた3組のメゾンはそれぞれ企業形態がっている。:
すなわち、『育ち』が違う”3組”のメゾンである。これは東京的な面白さと特徴である。
「フラボア」は東京DCの元祖である(株)BIGIの一ブランドデビジョン。
「TOGA」は自分たちが作りたいものを作ってゆく最小規模から始めたメゾン。
「DORESSCAMP」はプリント素材メーカーが親会社で、このデザイナーは今でもこのプリント会社の社員であり、既に10数年歴でありここでも給料を貰い、御報美的とこのプリントメーカーの企業戦略によってこのブランドを展開している。
こうしてこれらのブランドの企業背景を調べても当然、企画環境もビジネス構造も違っているので今後の成長の規模や期待が違ってくる。当然であるが、この根拠は「お金の流れ」である。
6)”MINA”,”NEMETH”,”VOLGA VOLGA”そして、「ミントデザイン」:
いわゆる、世間一般的な「苦労をして自分の好きな世界を築いてきたデザイナー」では「MINA」をあげる。彼の素材に固執する職人気質でのものづくりは本物であるはずだ。これに近いものを持っている東京デザイナーでは「クリストファー・ネメス」と「VOLGA VOLGA」を挙げたい。'85年にロンドンコレクションをしてその後、東京へ移住してからの彼、ネメスのこの東京での仕事振りは服職人である。'90年代初頭のストリート系東京デザイナーの殆どが彼の服をパクッてデビュー。しかし、残念ながら彼の服つくりの精神まではパクらなかったためそんな彼らたちは10年も持たずして、殆どが自爆状態である。「VOLGA VOLGA」はロシア人と日本人のペアユニット。ロシアからヨウジにほれ込んでの来日。そして、3年半ほどをここで勉強してからの独立。デザイン発想の玄人らしさとそれらを商品とした服にするためのパターンメイキングがしっかりしている彼らたちも服職人的存在。奥さんである人が巴里のサンディカで学びパターンメイキングの基礎が出来た技術者である。彼らたちに共通するところは「骨太な服つくり」ができるしっかりとした「根っこ」を持っている人たちである。
メディアをかまして、芸能人に擦り寄ったスタイリストたちに媚を売ることが引いてはビジネスに繋がると言う公式の元でのファッションデザイナーとその関係者が多いこの東京ファッションシーンではこれがリアリティなのだからこの所謂「微温湯」の中で悪趣味感覚に馴らされながらやってゆくのならそれはそれで良いだろう。儲かるし、カッコもつけられる。
しかし、もし、”違う世界”を見てしまったらどうするかがその人の人間性に関る事となるであろう。「ミントデザイン」は好きなブランドであるが、悲しいかな、彼らたちにもう少し野性的な強さが作品にも表れればもっと好きになれるブランドである。育ちが良すぎる分今の東京的悪趣味の中では居心地が悪いだろう。それに少し彼らたちが作る服のフレームが狭すぎる。それによって毎シーズンの面白さに欠ける気配がするのが残念である。
他の若手と称され、メディアを騒がしているデザイナーたちもその殆どが「オカ・サーファー」である。”ノル”こと即ち、時代の流行や雰囲気に乗ることは上手でこんなことも出来ます、あんなこともしますという部類。肝心の「時代の大きなウエーブ」を造ることが出来ず唯、乗っかるだけが多い。従って、これらのタイプのブランドは3~4年でこけてしまうのが現実であろう。本来の、「根幹」を持った、”メイド イン TOKIO"デザイナーを育てるという「視点と気骨」を持ち得た「ファッション・メディア」も、共に育ってゆかないと日本のファッションデザイナーの今後のこの世界は変わらないだろう。
合掌。
文責/平川武治:
初稿/2004-05-27:
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