"The LEPLI" ARCHIVE 142/ 『巴里と東京、「芸術とデザインの新たな周縁とは?」を妄想してみよう。』
文責/ 平川武治:
初稿/ 2015年12月28日:
写真 / Ise Gropius sitting in a B3 Marcel Breuer chair at the Bauhaus
wearing a mask designed by Oskar Schlemmer / 1926
はじめに、/「時代が変わる。」と言うことを僕的に妄想すれば、
『モードの世界においての”装う”事とは?
「自分自らを欺くこと、或いは、忘れること、」と言うまでの、
暇つぶしな、最も人間的なる欲望の絶壁に佇まうシーンが始まるのだろうか?。』
2)「嘗て、経済恐慌とともに芸術を弄んでしまったヨオロッパ。」/
「近代デザイン」の黎明期さえしらない無知さ。」/
1919年にドイツ、ワイマールで誕生した”バウハウス”によって、近代建築学とともに、「デザイン学」が誕生し、新たなカテゴリーとしての”デザイン教育”が始まった。
”デザイン”そのものの発端は、イギリスにおける第1次産業革命からであり、
当時の”アート様式”の一つであった、「アール・ヌーヴォー」を機械生産化によっても齎された
”量産と低コスト素材の誕生”がその機であった。
'29年の世界恐慌後のヨオロッパの芸術から”智と感覚”を拠り所に、
当時の「新世界」であった、アメリカ合衆国において
”デザイン”が実際に工業化され、量産化され、その一国の”新しい力”になり、
「新たしい日常」への夢と希望を生み出し結果、自国を富める国に成し遂げた。
このバウハウスから誕生した、”デザイン教育”が国力にまで影響を与えることで、
僕は実際の「近代デザイン」が始まったという視点である。
この現実は、”アールデコと流線型”の違いがあり、これが「近代デザインの源流」である。
そして、事実、ここから「近代ヨオロッパの没落」も戦火とともに始まった。
(参考 / 「流線型シンドロームー速度と身体の大衆文化誌」原克著:紀伊國屋書店刊。
「近代デザインとは?」を学ぶのであれば、この1冊は、必読書である。)
「「グローバリズム+I.T.産業革命+アルゴリズム」によって誕生した、新たなシーン。」/
今、またそれぞれの国家の経済現実は非常に貧困と弱体化し始めた時代が
現在の国際社会の一面でもある。
それぞれの国はデザインの”自由な豊かさとその力”によって、自国の工業力と経済力を
復興させる時代性であり、「新たな保守」とともに、今後、「新・重商主義」の時代になろう。
また、現代はそれに「グローバリズム+I.T.産業革命+アルゴリズム」により、
発展途上国の工業化も加わり”インダストリアルとデザイン”の新たなるシーンが
現代社会の先端である。
その結果が、ファッションの世界にも「クローン」が誕生し、
この”ファッション・クローン”は「ファストファッション」とカテゴリーライズされて
新たな「大衆消費社会」のアイコンになる。
「ゆったりと、彼らたちも「地産地消」という時代性を意識し始める。」/
先に述べたように、巴里もサンチェ系アパレル(日本で言えば、カシヤマなどに当たる、)が従来のデパートだけではない路面店展開にも乗り出し、パワーを持ち始め、
ラグジュアリー系も彼ら達の歴史とルールを周到して確実に、富を築こうと
”インダストリアルとデザイン”の関係性を広告産業化し始めたのも現実です。
また、この国のインデペンデントな若手デザイナーたちを優先した国策的なショールー、
Ex."designers apartment”をサンディカが協力してここ数年来、催していることも
この国のファッションデザイン産業への新たな決心であろう。
このショールーム、"designers apartment”へ招待してもらえるデザイナーたちは
フランスの素材使用とフランス生産が必修条件になっている正に、「新・重商主義」の
"芽生え"の一端であり、彼らたちはインデペンデントなフランス発のデザイナーたちである。
「”ラグジュアリー・ファッションビジネス”の体質改善が始まった。」/
一方、”ラグジュアリーファッションビジネス”はその取扱品目を増やす方向でビジネスを
広げてきたがその広げ方が今後、課題になってきたのが現在である。
即ち、毎シーズン、新しいトレンド性を重視したメディア-ウケを狙った商品群を
これでもか、これでもかとデザインしてゆくには”リスクとコスト”が掛かり過ぎることに、
営業的にも残るのは在庫のみという現実に懸念し始め、疲れて来た彼らたち。
そこで従来からのブランド定番商品の周辺商品である、”コスメやバッグやジュエリー、
アクセサリィーとシューズ”等によって、”マーク・ビジネス”を主流とした、
その新しさを広告力に頼り、編集拡大して”ラグジュアリー・ファッションブランド”としての
「差異」である”ラグジュアリー・イメージ”を保ってゆくか?へ、その従来からの
パラダイムをより、強靭にシフトし始めた。
彼らのこの根幹には「文化は武器」であるという想いが今も強く継続している世界である。
「誰が実際に一番喜んで買ってくれる顧客か?の再検討期にも入った。」/
もう一方で彼らたちは、従来からの彼らの顧客層だった白人富裕層たちの”財布の紐”が
更に、限られた人たちしか以前よりも緩まなくなったことに気が付き始める。
そこで、”ラグジュアリーブランド”のマーク・モノを購入するのは”アジアンマーケット”、
それもやはり、「日本しかない。」という現実を既に嘗ての、’90年代で学んだ彼らたちは
そのビジネス戦略を再び、日本へ向ける。
そして、日本でウケれば、時代の寵児である中国もより、煽られるだろうという戦略へ。
この日本が”観光立国化”戦略を新たな経済戦略の大きな柱となることとリンクして、
最近の東京の街の風景が変わり始める。
彼らたちの”ラグジュアリーブッティク”によって、虚飾な普遍性が誕生するまでの変貌が。
3)「もう既に、「時代の豊かさ」は確実に、リアリティを持ちました。」/
「”イメージ”からの創造ではなく、持ち得た”リアリティ”からの創造、」/
インスタ等の「リアジュウ」、そのリアリティからどのように社会とコミットし、
産業化し、”富と力”という資本主義における根幹の「差異」を産む出せるのが、
”デザイン”という新たなパワーです。
そして、ファッション産業特有の「過去を消費してゆく」事をいかに、
意匠化して行くかを考える時代性でもある。
ここでの彼らインデペンデントなファッションデザイナーたちの課題とは、
”クオリティ、価格、生産構造、物流、ディストリビュート、イメージング、ターゲットなど”
全てにおいて、”関係性とその勤勉なる開発努力”が根幹であるということの再認識化と
そのための謙虚な努力でしかないであろう。
”イメージ”からの創造ではなく、持ち得た”リアリティ”からの創造が本物の自分らしさを
生み出すのだから。
「有名人」を羨望するのはそのもっと、後でもいい!!
「"むやみに大人ぶることに煩わされている大人たち、"星の王子さまにありましたね。」/
そんな多くの輩たちは、持ち得たコンプレックスから、
『無闇にデザイナー振ることに煩わされ、やっていないこともやったように、
知らないことも知ったように、学んでいないことも学んだようにイメージング』する
構造と立ち居場所は全くの「なりすましデザイナーの由縁」。
そんな彼らたちはもう、”20世紀のトイレットペーパー”でしかないでしょう。
「ここで僕たち、日本人が持っている、そして、繋げて来た「差異」の再確認と再認識。」/
現代における”ブランド・インベンティブ(独創性)”とは?
従来のように、”いいモノ、クオリティの高いモノ”を作りことも大切だが、
ここにはまってしまうと通例な、普遍性のブランドで終わってしまう。
”リアジュウ”な現代ではそれなりのカッコ良さやクオリティが良い事は”普通”なのである。
従って、日本が持ちえた高度な”ファッションインフラ”/生地・素材と生産工場、メディア等をどのような関係性によって自分たちのブランドとその世界観の中に落とし込んだ
”モノつくり”が挑戦でき、可能に出来るかが課題でしかない。
ここには「日本発のラグジュアリー・ブランドの育成」という高き目標を持ちつつ!!。
そして、ブランドの考え方やイメージングや美意識や音楽感覚や時代感が、ストリート感が
自分たちの”ブランド・インベンティブ”を特化しているブランドとしての
”インデペンデント”を考えることが現代に生きる日本人が可能なる”リアリティ”であろう。
ここで挙げられる僕が思うインデペンデントブランドは、高橋盾の”アンダー カヴァー”や、
宮下貴裕の”ソロイスト”は世界に通じる”ブランド・インベンティブ”を持っている。
「おわりに、今年で言えばやはり、「ニュース」が新しさを提供しましたね。」/
国家の政策が変われば、新たな法律が生まれその法律が新たなる生活習慣を生む。
そうすれば、”新しさ”が生活に自然に必需される。
このような視点で「デザインするとは?」を、
インデペンデントな若いデザイナー諸君が、持つべき”創造の眼差し”であろう。
ここでは”外国人コンプレックス”だけでの発想では、
今後の進化した日本のリアリティに生き残れないであろう。
この日本の大衆消費社会」が生み出した”リアリティ”は、アニメ、ゲーム、オタクと古着
これらによって、「東京の路上」は現在、世界でも類を抜きん出ている。
今後の、”集団自衛権、東京オリンピック、カジノ、女性の社会化、移民受け入れ、
軍需産業、道交法と、観光立国化”など等は、確実に今後の日本のファッションシーンをも
変貌させ、”新しさ”を誕生させる"ニュース"である。
「時代がもたらす新しさ」をデザインするのがファッションのカッコよさであり、
面白さであり、楽しでありそして、役割であろう。
それに、”ゆとり教育”以降のZ世代からの”新たな価値観”を持った眼差しと、
”ヒューマンテクノロジー”と”ヴァーチャルテクノロジー”の共存化。
そこで、「WITHOUT SEWING」や「WEARABLE」或いは、「3rd.SKIN」という
”創造の根幹”は今後のファッションデザインの世界における、新しいキーワードとなろう。
4)「そして、本心、「芸術に興味と関心、あるいは好奇心が、」ある人は!」/
まず、謙虚なこゝろでどうか、"宮 澤 利 行"氏が書かれたこのブログをご一読ください。
わかり易い言葉でしっかりとした根幹の元に書かれたものです。
参照文献 /
「人間について、そして、芸術について。」/
https://www.asahi-net.or.jp/~VF8T-MYZW/log/aart.html
「芸術とは何か?」/ https://www.asahi-net.or.jp/~VF8T-MYZW/log/aart.html#3
「ここに、”デザイン”との接点があります。」/
美しい花や風景を見たとします。その事を誰かに伝えたい、というこゝろや言葉によって、
その美がうまく伝わったならば、感動が伝わったなら、それは芸術活動のもう一部なのです。
そして、芸術とは、社会的な価値観を作り変えていく事です。
決して、ある種の「趣味の悪い自己顕示欲」のための行為ではありません。
つまり教育活動とも言えます。たとえ、観客がたった一人でも良いのです。』
文責/ 平川武治。
初稿/ 2015年12月28日。
追稿 / 2024年0808日。