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"The LEPLI" ARCHIVE 100-3/ 『考えてみませんか? ”時代性に適合した「倫理」とはを。−3”』

文責/平川武治:
初稿/2013年7月15日:
イラスト/村上豊「はだかの王さま」より。

 『エコエティカと文明』における、「実践美学」/
 『今、世界の人々は、世界を戦場化する方向に向かいつつありますが、
それをやめて、世界を美しくするように考えていかなければなりません。
 安倍首相が言った「美しい国」のような標語的なものではなく、
真の意味において内面的に美しくする事が大事です。
 「美」という字は「羊」と「大」からできていますが、
羊は中国では古来犠牲の獣です。
犠牲が大きくなるとき美が輝き出てきます。
犠牲というのは自分を何かに捧げることです。
 しかし、命をそんなに簡単に捧げる必要はなく、
時間や労力を捧げればよいでしょうが、
そのようにして世界を美しくしていくことを、
私は「実践美学」と呼んでいます。
 この「実践美学」が
エコエティカの一つの行動原理になるのではないかと思います。』

 参考/『エコエティカと文明』;今道友信論文/
東京大学名誉教授/哲学美学比較研究国際センター所長/
https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900040690/42imamichi.pdf

 「『倫理観』とは、良い関係性を生むための、”他者”を思い合う
こゝろの有り様なのです。」/

 さて、人間が生きて行く上で持たなければならない
『倫理観』を欠如させて迄も、
個人の小さな“夢”、
それも今のような日常生活の豊かな時代性になっては
泡沫的でしか無くなってしまった、
殆ど、自我のみの”夢”を追い求めていても
その結果がどれだけ社会や他者に役立つ事なのだろうか?
 “夢”を成就した者のみが、
そう、”選ばれた者”が捧げられる“GIFT"とは何があるのだろうか?
ということを考えてしまう。

 「デザインを売るとは、”自分文化/ブランド文化”を、」
 ここにも戦後日本の主流となった”表層主義”であるうわべ良ければ
それでいい的なる根幹から
現代教育の根幹のズレまでを感じるが、
 例えば、そんな彼らたちが好きなファッションの世界で
何のためにがんばっているのだろうか?という疑問は、
変わらず、東コレやその周辺の海外帰国集団デザイナーたちを見ていると
彼らたちが一番、古い”線路”に乗かっている
”時代遅れ”で”終わっている。”と、
”ノイズ”になって聴こえて来るのだが、
それは僕だけなのだろうか?
 
 彼らたちが作っているモノの大半が、
それが人間らしく生きようと思っている人たちが”着たいもの”であれば、
もう少し、人間の暖かみあるこゝろを感じられるもの、
穏やかさを覚える迄のもの、おおらかさを着込める迄の
根幹を感じさせてくれるもの
そんな、今の時代の”こゝろの豊かさ”への
“OPEN WINDOW"を与えてくれるデザインを、
素材の選択とそれらの調和あるものを望んでしまうのだが、
間違っているだろうか?
それ以外の”ファッションな服”は
今はもう、至る所で容易に手に入る時代ですね。

 例えば、“鮮生食料品”としての“人参”を買う場合と同じでしょう。
人参を買うには何処へ行けば欲しい人参が買えるか?
買い手のいろいろな都合で、今ではいろんなところで買えますね。
紀伊国屋で買うか、デパ地下で買うか、ピーコックや東急ストアで買うか、
地元の食料品屋さんで買うか、地場の市場で買うか、コンビニで買うか、
又は、ネットで買うか?
これもリアリティの“豊かさ”の一つでしょう。

 では、この場合の差異のファクターは?
自然の土がついているもの、見た目が揃っているもの、安いもの等など、
作り手の覚悟あるこゝろと、倫理と、努力によって持ち得たリアリティと
そこから生まれた”文化度”。
それが、”ヒューマンカルチュアー”、あとは、”鮮度”
これだけでしょう。

 “鮮生食料品”としての“服”を作り売っていても、
今では、自分で種を蒔かない決して、畑へ出掛け土を耕さない、
自分で水もやらない出来上がって来たものを送ってもらって、
ブランドと称して”ラッピングペーパー”で
イメージングしてデザイナーぶって並べる、ここ迄でしょう。
 従って、最後の”商品”に成った時には殆どが,
“OEM"レベルのクオリティ商品。
これって、21世紀にもウケる事なのでしょうかね?

  ある友人から頂いたメールに、
『服はつくって手が覚えて、それに目が慣れて技術がついてくるんだから、
自分の才能を過信して、学歴を見せびらかすだけで、努力しないなんて
モノ作りにはありえません。
新しさとしての、フォトショップやCADだとか ITソフトに頼った
作り方だったらまた、別件だろうけど。』

 今の時代のインデペンデントなファッションデザイナーとは
自分という個人銘を売り物にしているのですから、
作るモノと世界観にどのような”文化”が存在するか、
どれだけの”ブランドカルチャー”が染込むまでに
染込んでいるか?を根幹に考えなければなりません。
 言っておきますが所謂、“個性”と言われているものは
今の時代、誰もが持っています。
そんな時代性に成っていますから、
ここにはその自分という個人が持った
コンプレックスや趣味性や志向性や癖迄もが
必須必然となる”世界”でしょう。

 “新鮮人参”は何処でも買える時代です。
デザインを売るとは、”自分文化/ブランド文化”を
どれだけ”GIFT"として差し出せるかが
これからも生き残れるブランドなのです。(つづく)

 『考えてみませんか? ”時代性に適合した「倫理」とはを。−3”』完。

文責/平川武治:巴里市マルテル街。
初稿/2013年7月15日。

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