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ARCHIVES-22/ 試論、『14歳のためのモード論』 そのー2。『なぜ、外国の学校を受験するのか?』 ---在る友人への手紙。


初稿/2009-07-11記:
文責/平川武治:

1)序文「この頃を思い出して、」/2022年03月30日記:
 僕のモード評論という37年間の生業に”新たな世界”と”新たな価値観”を触発させてくれた体験の一つは、「アントワープ王立芸術大学モード科」に関われたことでした。1997年からこの当時のファッション有名校の卒業コレクションの審査員をさせて頂いたことから始まった、”学校"と"アントワープという街”とそこで出会った多くの”人たち”によってでした。
 それまではやはり、巴里を中心に活動していたのと、コンペティションの審査という役割も”巴里のモード界の奥座敷”ともいえる、南仏の”イエール フェスティバル”での経験しかなかったのでとても新鮮でした。
 僕はこの経験以後、有難いことに各国のモード科がある大学やフェスティバルから”国際審査委員”としてお声がかかり、約10年間ぐらいは欧州内をこの役割を担って、うろうろする経験が出来き、たくさんの人や学校との関係性も生まれました。 

 多分、”時代”も良かったのでしょう。この時期はまだ、モードの世界は”ピユァーな創造”が豊穣だったこと。それに挑みかかる若いモード学生の”パッションもピユァー”であった事。そして、そんな”ピユァーなハート”をキャッチボールしてくれた先生たちがいた事。これらの3つが重なり合うところに、彼らモード学生たちの”夢”が実存する「世界と時代」が確実に存在していました。その後、この豊穣な時間は約10年ほど続いたと僕は記憶しています。

 では、なぜ僕のようなものが審査員に招聘されたかというと、「日本というファッション好奇心旺盛な国」への”窓口”だったのです。この”窓口”は2つありましたね。一つは、日本のファッションメディアへの入り口。もう一つは日本の消費社会へのマーケティング&マーケットのための窓口でした。この二つの戦略で見事に”世界”のデザイナーへ登場したのが「アントワープ・ブランド」だったでしょう。

 この発端は、’82年にべルギィー大使館主催の経済交流企画としての「アントワープモードコレクション」でした。当時、まだ、全くの無名だったアントワープデザイナーたちが大使館経費で東京へ呼んでもらって彼らたちのファッションショーを行ったのです。が、当時の日本メディアは全く”無関心”でした。そして、成功が得られなかった分、参加デザイナーたちが東京から学んだことが、その後のこのアントワープアカデミーモード科の”アントワープ・ブランド”「世界進出戦略」の根幹になったのです。

 この時期の東京、いや日本中のファッショニスタたちは社会用語にもなった「カラス族」で夢中だったからです。例えば、この’82年、「アントワープデザイナー合同ショー」は当時の一世を風靡していた、日本人デザイナーたち、”山本耀司と川久保玲”に完敗したのです。日本メディアも”外国人デザイナー達がすごい!”という視点で彼らたちを見ていません。むしろ、”アントワープのデザイナーって?”という視線でした。結果この時に来日したデザイナーたちは以後一つの集団をなして、自分たちが思ってもいない完敗を機した”日本人デザイナーたちから学べ、盗め”という教訓と共に帰国したのでした。この合同コレクションをその当時のメディアがどれだけ取材したか?を調べればその反響のなさがわかります。また、この時期、日本で人気が出始めていた参加デザイナーは、大阪の”スペース”という名高いセレクトでのダーク ビッケンバーグぐらいだったでしょう。

 その後、帰国した彼らたちと学校関係者たちは学校もメディアも巻き込んで、「東京から学べ!」が根幹になって「アントワープ六人組」の誕生に至る、彼らたちが体験した「東京の衝撃」からの出発だったのです。
 具体的には、「"コムデギャルソンとヨウジヤマモトの「黒の衝撃」から多くを学ぶ”そして、”日本人生徒の入学”と”日本人バイヤーとジャーナリストを卒業コレクションの審査員にする”それに、”日本メディアを骨抜きに、日本人バイヤー達に売りつける。”」これが彼ら達の究極の”ミッションになった。

 当時、ブリュッセルとアントワープには"コムデギャルソンとヨウジヤマモト”を取り扱っていたセレクトがあり、特にアントワープのセレクト”Harry Houben”は、アン ドゥムルメステール他がオリジナルを誰よりも早く入手する馴染み顧客になって学んだデザイナーだった。また、ブリュッセルのセレクトは'87年に店を売却。あの”M.マルタン マルジェラ”のオーナー社長になったジェニーさんの店であった。
  「黒、羅紗、メルトン、スリム&ロング、非対称、脱構築それにシューズなど」がアントワープデザインの主エレメントに組み込まれていった。
 これは、今だから堂々と書けることです、四半世紀が立っているのですから。

2)『なぜ、外国の学校を受験するのか?』/初稿/2009-07-11記:
 東京へ戻ってきている輩たち。
帰りたくなく、海外でまだうろうろしている輩たち。
その多くを見ていると共通の弱さと大いなる勘違いを感じてしまう。
が、それでも行きたがる若輩ものが多い。
それだけ、魅力とこだわりがあるのだろう。
彼らたちの本質は”外国人コンプレックス”か或いは、”冒険者か?”
彼らたちの多くは『シングル・スタンダード』のみの輩たち。
自分たちの国の歴史や宗教や文化を当然のように知りません。

その目的と動機と意義を再度、
確認する時代性だと思っています。
今後の経済状況とその対象としてのモードビジネスの世界も大変です。

もう、20世紀の後半のあのような時代は来ません。
80年代も、90年代も来ません。
来るのは21世紀と言う
新たな価値観が必要な時代です。
(実は、もう来てしまっているのですが、)

『服』は芸術作品ですか?
『服』は工芸作品ですか?
『服』は工業製品ですか?

「服」をつくりたい。

当然だけど、自分の作りたい服を作るためには何処の学校で学べばよいか?
もしかしたら、
これからは自分の作りたい服を作れる環境と状況はより狭くなるでしょうね。 
作り手からも、買い手からも、
両方からさほど、「外国で学ぶ」という差異が必要がなくなり始めるでしょう。
それほど、普通のものが高品位と高水準と低価格へと一般化してゆくからです。
これが「進化」と言うものですね。

それでも尚、と言うのならば、
その時に、自分の作りたい服を上手、丁寧に作れる技術を学びたい?
または、そのための「理屈」を学びたい?
或いは、そのための「センス」をままびたい?
またまた、そのための「イメージング」が上手になりたくそれを学ぶ?
もしくは、自分の服に使ってみたい素材の知識と素材そのものを学びたい?
または、外国人デザイナーのインターンをして彼らたちの現実を学びたい?
もしくは、彼らたちのバニティを知りたい、その中へ入りたい?
真似をし同化したい?

または、彼らたちを目標に「夢」として近づきたいから、
海外の学校で学ぶ?

でも、あなたは日本人です。

結局は、自分の国へ戻ってこない限りは
先ずは、何も出来ない、事が始まらないのです。

僕もそうです。

たくさんの旅をしています。
外国を知り外国人の友人と多く関わる生活をしています。
が、その経験を持って、
自分のために
自分の大切な人のために
自分の国のために
学んだことを持って、
出来得た『関係性』を大切に継続してゆくことしかありません。
そのために外国で学ぶことはすばらしいことでしょう。
これは自身に”豊かさ”をもたらすでしょう。

海外でいいチームが作れますか?
すばらしい友に出会って一緒に「夢」を共有出来ますか?

金銭的な余裕がありますか?

自ら持ち得た『夢』に
勇気とコストとリスクが
ワールド・ワイドに張れますか?

先ずは、自分自身の「本質」を見極めること。

そうすれば、今、何を選択し、
何をしなければならないのか? したらよいか?
誰と出会えばよいか?
どのようなことのために時間を使えばよいのか?
何の目的のためにお金を使えばよいのか?

自分の一生のため?
もしくは一時のため?

「浦島太郎」の物語をちゃんと読みましょう。

そして、「本質」に目覚めましょう。

自分の人生の「本質」へ眼を向け
そして、持ち得た「関係性」から謙虚に学びましょう。

日本には高度に発達したいい素材があります。
いい腕の職人さんがいろいろな分野でまだ、いらっしゃいます。
工場もいっぱいあります。
それが崩壊しつつはありますが、
彼らたちは僕たちの見方に為ってくださいます。
そこには、お金儲けだけのための関係性ではありません。

メディアを利用して消費社会の学習も出来ます。
今後のトレンドはより、日本のストリートからの影響が強くなります。
不自由なくコミュニケーションが取れます。

僕たちの国にはファッション産業に関する質の良い
インフラが十分に揃っています。

あの、CdGもこの状況を理解したうえでの海外戦略です。
日本生産が100%に近いブランドです。
素材も日本生産です。
そして、ビジネスも日本国内で80%程を消化しています。

穏やかな心のあり方、他人を想いあう心、仏教こゝろ
器用な手作業そして、自然に活かされている日本人。
日本にはまだ湿りが残っています。

もっと、「本質」を知ってください。

例えば、もうアントワープなぞは終わってしまっていますよ。
もし、外国の学校で学べる機会を持ったなら
幸せだと感謝してください。
そうして、思い切り、勉強し、
その国でしか体験できないことを、
『本質』を
時間と出会いと経験を学んでください。

「Wスタンダード」を学んでください、身につけてください。

それを根拠性として
自分の生まれた国を想い
将来の母国のために役立ててください。
堂々と勇気と誇りを持って。

そうすれば、もしかしたら、
「服」を作ること自体が、全く、違って見えてくるかもしれません。

君たちは、全く『自由』と言う、大事なものを授かっているのです。
その授かっている『自由』を思い切り、自分らしく
他者のために使ってゆくところに、
自分らしさと人間らしさが見えてくるはずなのですから。

その『自由』をどのように、
なにのために、使ってゆけるかのために、何を学ぶかですね。

与えられた『自由』を
勇気がないからと言うだけで放棄するのなら
最初から、高望みはしないほうがいいです。

海外の学校へ行っても『マニュアル』はありません。

海外の学校で学べることに感謝をし
どうか、自分が日本人であることを忘れずに
『真こゝろ』ある行動を為さってください。

人生は永いです。
が、短くもあります。

ご自愛とご活躍を。
ひらかわたけはる:

初稿/2009-07-11記:
文責/平川武治:


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