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"The LEPLI" ARCHIVE 100-1/ 『考えてみませんか? ”時代性に適合した「倫理」とはを。−1”』

文責/平川武治:
初稿/2013年7月11日:
イラスト/村上豊「はだかの王さま」より。

 1)”時代性に適合した『倫理』観の再考と提案を”/
 この様な小難しいことを考えようと思い始めたのが
最近の日本社会で起った大小の事件の殆どが
”倫理”観喪失若しくは、鼻っから”倫理”なんて持っていない程度の
人間たちのしでかした粗相事でしかないと感じてしまったからだ。

 そこで出会ったのが’90年の11月に発行されて
その後なぜか、フタをされてしまった『エコエティカ』という本だった。
 読後、最初に思った事は、
この本をもっと早くに確りと読んでおけば、
あのような”福島原発企業事故”の一端の責任がある
”原子力ムラ”にももっと、強い
それこそ、時代に見合った”倫理”観ある眼差しが
向けられたであろうと悔やんでしまったからである。
 参考/
エコエティカ /講談社学術文庫刊/ 今道 友信著:
"http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1589466

 2)”なりすまし”がデザイナーになるための処方箋?/
 今回、日本を発つ前の6月初めであっただろうか?
ラジオで聞いたニュースが面白かった。
そのニュースとは時折在る話しなのだが、無免許医師の話。
 所謂、如何様で医者をして何年も生活をしていた人物の
そのバックグラウンドがバレてしまったという“偽医者”もの。
そのバレ方が面白かった。
彼が執刀していた手術後の縫い糸の始末が
”おかしいぞ?”と言う発端からバレてしまったのである。
 その後、このニュースをテレヴィジョンで見る機会があった。
手術後の縫い糸の始末を彼自身のその性格からであろうか?
若しくは、警戒心がここ迄来たのだろうかというまでに
几帳面に”蝶結び”をしてしまっていたのである。

 嘗ての時代に、
手塚治虫の作に『ブラックジャック』という名作があった。
確か、’73年頃から始まった漫画であったと記憶しているが
この時期は日本経済が高度成長期へ入った、
戦後の倫理観の歪みが激しくなり始めた頃であって、
一つの倫理観の現れとしての
”正義”が必要であった時代だったのであろう。
 
 が、現在という時代性に於けるこのような行為は
それが人間の生命を扱う職業人としての”医者”という立ち居場所での
“倫理観”喪失事であるからこのような事件として
メディアでも騒がれたのであろう。
 多分、当人は自心でそう思い込んだ上で”医者”に
成りきっていたのであろう。
そこで見破られてしまった手術後の処理に於ける“蝶結び”。
結果、大いに笑える事件になってしまった。

 僕はこの事件を現代日本社会の在る意味では
一つの象徴的事件とも読み込んでしまった。
 戦後の日本においては、
”倫理観”が一番厄介な代物だったことは忘れないでほしい。 
これを僕の立ち居場所である
”ファッションの世界”に置き換えて考えてみると
そう不思議に思わない事件なのであるからだ。

 というのは、この日本だけに限らない、
この”ファションの世界”では
縫えない、パターンメイキングも出来ない、
素材のスキルも無い、工場も捜さない、出向かない
そして、自分でやってない事迄を、
やったような顔つきをする、
“ナンチャってデザイナー”や
”なりすましデザイナー”がより、多くなりつつある。

 そのような産業構造化が進んだからでもあろうが、
彼らたちに共通する事は”出来る事より、下心の方が多い”事だ。
 そして、彼らたちは必ず、当たり前のように
先ず、放言をし、目立ちメディアウケを狙う。
 次には、その周辺のメディア人間たちが
それらに食らい付き”デザイナー振っている”輩たちを
それなりのデザイナーだと、
”嘘も方便”なる古い手法と彼らの”下心”を読み込み、
商売を、カネを絡ませて”広告”を使い、煽って
はしゃいでいるだけの”ムラ世界”でもあるからだ。

 長い間、日本とヨーロッパで生活環境を持って
ファッションの世界を生業として来た僕は
世界のファッションの現実がどのようなもので、
ファッション-デザイナーという人種が
どのように企業とそのユダヤ民族たちのファッションピープルたちに
育成されて来たか。
若しくは、厚顔に自分自身から”僕はファッションデザイナーです”と、
”カネと度胸と嘘と下心”で登場して来た多くのデザイナーたちを熟知し、
生活体験として27年間も関わり見て来た者にとっては、
本当に創造性豊かなファッションクリエーターや
人間的にも“リスペクト”出来き、根底に“倫理観”を感じる迄の
誠実な人たちが極少である事も
僕のこのファッション人生で知ってしまったから
この“偽医者”事件は”ファッションの世界”では
当たり前に近い事と受け止めてしまった。

 僕のこゝろの有り様は、
これを”現実社会”と悟り、解った顔をして生きて行ける迄の
自己自信あるいは自己肯定はこの歳になっても僕は持てない。
この根幹に僕なりの『倫理観』が作用する。
 寧ろ、知り始めると余計に恥ずかしくなり、
もうこれ以上、このファッション世界の”OZのエメラルドの城”、
『金メッキなバニティーな世界』からどれだけ遠くへと
考え込んでしまう。
 その為には、これからの新たなファッションの世界に
変わらぬ好奇心と可能性を持って
”出来れば、いまだ、青年としてこゝろ馳せたい。”

 この戦後の日本人がなぜ、”イエローモンキー”と呼ばれていたのか?
ファッションの世界だけでもないだろう、
多くの表層的なるカタカナ職業の世界では
これ以上に「なんちゃって、なりすまし家業」
―パクって、カッコ付けて―”大きな顔をして儲けて、
今では腹が出てしまっている人種たち。

 即ち、『倫理観』乏しき若しくは、
無き日本国民になってしまったのが
戦後からの現代日本の一面にあるのではないだろうか?
 従って、僕はこの『偽医者、蝶結びで発覚』という事件を
現代日本社会をある意味では
象徴する迄の事件とも読み込んでしまった。
(続く。)

『考えてみませんか? ”時代性に適合した「倫理」とはを。−1”』完。

文責/平川武治。
初稿/2013年7月11日。

 


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