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"The LEPLI" ARCHIVES-42/ 「Soie Pirate」展/ Gustav Zumsteg氏のABRAHAM社のアーカイヴを一堂に集めた素晴らしく贅沢なこゝろにしてくれる展覧会が始まった。

初稿/2010年10月27日
文責/平川武治:

待っていたその展覧会が始まった。
それは、チューリッヒの国立美術館で22日から始った
Soiepirate展である。

第2次世界大戦を挟んで45年以上も続き、6年前に遂にその耀く門を
閉じたシルク素材プリントの名門会社、ABRAHAMが残した多くの素晴らしいアーカイブコレクションの展覧会である。
そのオーナー、Gustav Zumsteg/グスタフさんも2年前に亡くなられた。
ご生前にお逢いする機会を作って下さっていたのに僕が忙しさにかまけて、
遂に、お逢い出来なかったので余計にこの展覧会を待ち望んでいた。
僕は一度、会社が閉鎖された後、友人に案内されてこのエレガンスの宝庫、
アーカイブ室を訪れる機会があった。

今でも鮮明に憶えているが、
そこは溢れるばかりのエレガンスの棲みかだった。
彼らたちが集めた18世紀の素晴らしい織物と
手染めのプリントの資料のスワッチブックが列び、
それらに負けないABRAHAMの’60年代から’90年代迄の
プリントのスワッチブックが整然と、当たり前に列んだ部屋だった。
そこでは、’70年代のYSLコレクションで見たことのある素材にも出会った。

このチューリッヒも地元の人に伺うと、
100年前迄は多くのシルクプリントを生業とした
小さな田舎町であり、比較的近い、イタリーのコモに並ぶ
シルクプリントの産地で在ったと言う。
創業当時のABRAHAMもこの地場産業の一つであり後に、
”Swiss silk king”と言われた Gustav Zumsteg氏は
1931年の15才で見習いとして加わり
彼はほぼ30年の間チューリッヒの工場を所有し、
このABRAHAMのクリエイティブディレクターとなって活躍する。
そして、彼の母、Huldaと協力して1968年にこの会社を買ってオーナーとなり、時の、巴里の多くのオート-クチュリエたちを誘惑した。

当時のABRAHAMは彼の厳しさから育った美意識が、
豊かなシルクプリントの素晴らしい作品群を世に出し続けた。
彼のプリントの特徴は一口には
“エレガンスとはこういうものだよ!!”という迄の
奢侈な美しさをふんだんに艶やかにデザインしたものであった。
明るい光の伸びやかな色合いと調和。
軽やかな花ばなのモチーフ、
これがエレガントのオリジンだよと言わんばかりの
“ボン-グゥ”の表現。

例えば、フランスに於ける紳士から淑女への褒め言葉は
既に、17世紀頃には盛んだった、“ギャラントリー”があり、
ロココ時代には“ピカント”が支配的になり、
これに続く19世紀のフランスロマン主義と共に、
“エレガント”が生まれたのです。
この変歴を知っていれば、どうして、
“エレガント”には花柄が多いのかも理解出来ます。

彼の見事な迄の優美な誘惑に、ラグジュアリィ-なにほいに
誘われたクチュリエたちはChristian Dior, Cristobol Balenciaga,
Lanvan J.Fath, YSL, Valentino, Christian Lacroix,
そして、Bill Blass, James Galanos and Geoffrey Beeneなど等。
特に、イヴ-サン ローランとの関係性は深い。
’80年代の終わりには、CdGやD. Van Notenのコレクションにも現れた。

YSL.は 自分のブランドを立ち上げて間もなく、グスタフと出会う。
グスタフはイヴサンローランと最も密接に関係していました。
ABRAHAMのファブリックは彼のコレクションの中心部分でした。
そして時々、YSLの要望でファブリックの60パーセントを作りました。

「グスタフは、約45年間の私の同盟国、私の友人と私の協力者でした。」
「私は、私の最も美しいドレスを作る為に彼のファブリックを使いました。
彼の才能、それは私のインスピレーションの決して終わらない源流でした。
私は、多くの忘れられない瞬間があるように、彼にしなければならない義務があります。…」
とサンローランは語っている。

さて、展覧会場を入ってすぐのアーカイヴ展示室からは、
僕が持っていた想い出が蘇って来る迄のものであった。
興奮しそして、感動が溢れる迄にそんなに多くの時間はかからなかった。
続いて、彼のお母さんが始めたこの街の、否、世界中から集まって来る
選ばれた紳士淑女たちの為のレストラン、Kronenhalleの1室の再現。
ここは当時の栄華を思わせる空間。
スーチンの珍しい初期の作品やブラックも、無造作に壁にかけられ
しつらえられたテーブルの上には当時のメニューが置いてある。

彼が生涯愛し続けた母の為に、
その母が30年も以前から経営するこの品位な奢侈に満ちた
レストランの為に、
母が居るから、このレストランが在るから
そして、母の経営するレストランへ集まって来る顧客へ、
彼, GustavはこのABRAHAMで孤独な彼の生涯の
唯一、華やかでエレガントな世界を創造し続けたのであろう。
母に見放されないと、

展覧会場で生前の彼に近い友人から聴くグスタフ氏は孤独に育ち、
孤独であったと。
この展覧会で僕が解ったもう一つのキーは、
グスタフと彼の母、Huldaとの絆であった。

そして、後は、ABRAHAMの素晴らしいアーカイヴが、
それらに誘惑された’60年代後半の巴里の耀くクチュリエたちの作品群が
トルソウに着せられて展示されている。
バレンシャガアの素晴らしい立体のローブ、(’62)
最初に、クチュリエがアート作品をモチーフにした素材を使った
ランヴァンの作品も展示されていた。(’63?)

残された優美なあらゆるタイプの原反が惜しまず展示。
プリント工程を説明するスペース。
多くのクチュリエたちの作品の写真展示のパネル。

そう、この展覧会の僕の眼差しは、
“エレガンスとはどういう意味か?”であった。
この展覧会で僕が学んだ事はこれであった。
そして、このエレガンスも又、時代とその時代に生きた女性によって
変化するものであるという事だった。

その結果、美意識が高く品格あるノーブルなシルクプリント会社、
ABRAHAMが’96年でその耀いた門を閉めるに至った原因も理解出来た。

今の時代の”エレガンスとは?”が
すっかり変質してしまったという事である。
現代に於けるラグジュアリーとは当時のような、
品格と品性の上で生まれた優美なものではなく、
只、消費社会の上に立たされた虚像でしかない。
それは只の金メッキなエレガンスである。

「時間は、取り返しのつかぬほどに変わりました。
我々がかつて働いた方法は、同じ感覚がありません。
それは、今日、意味がありません。」
/ Gustav Zumsteg:

このABRAHAM展には溢れんばかりの当時のエレガンスが
美しく優美に品格を持って漂っている。
それらに魅了され、誘惑されたクチュリエたちが
より、顧客たちの為に腕を奮って,
素材美を生かそうと仕立て上げた“ELEGANCE"の群れ。

この展覧会の2冊組のカタログもいい。そして、
この展覧会の会場構成を行なったのは僕の友人で、
アントワープ在住のBOB。 (M.マルジェラのオリジナルメンバーの一人)
彼をこの美術館に紹介したのは僕。
以前、やはり、この美術館で開催されたJAKOB シュレーファーの
100年を記念した素材展の企画案を作成した折りに展覧会の会場構成にBOBを紹介したのが、今回の展覧会へも繋がっていた。
多分、此の関係性から彼、BOBがこの展覧会を
彼の地元、アントワープモード美術館へ持ってゆくという
プレミアム付きで仕事を成就させたのだろう。

何れにせよ、この様な展覧会が
アントワープのファッションピープルや学生が見る機会が出来る事は
素材に疎く、“ELEGANCE"を殆ど知らないこの街の人たちに取っては
とても素晴らしい機会である。

総論、
素晴らしく美しいものを、いっぱい見せて頂き、
それに、"What's means "Elegance"?が判り、
又、エレガンスも時代性とその時々の着る女性たちの生活の変化により
微妙に変化してゆく事がこの展覧会で教えて頂きました。

展覧会はとてもいいものでしあわせになり、こゝろが豊かになった。
いいものを見せてもらったという当たり前だが、
なかなかの事が僕の、”リアリティの一つに”。

“エレガンス”とは?
“エレガンス”も時代によって,
又、その時代の女性観によって変化して来たこと。
プレタ ポルテが誕生してから、それ以後の”エレガンス”、
それから、プレタにクリエーションがなくなりはじめからの
’90年代終わりからの”エレガンス”も、
又、変化した。
ラジグジュアリーブランド化が始ってからも、
”エレガンス”の意味合いが変わってしまった。
これらの事がABRAHAMのプリントから学んだこと。

いいプリントとはデザイナーが使いたくなるプリントの事。
そして、自分の顧客に着せたくなるもの。
その為に自分の腕とセンスを奮って仕立て上げる。

でも、今のデザイナーの多くは残念乍らこのレベルではなく、
売れるもの又は、メディアに目立つもの、メデァウケするモノを
選ぶ程度ヘ成り下がってしまった。
揮うべく腕も、センスにも特異性が無くなってしまった現実。
当然、女性も変わってしまった。
バービーであればいいレベルに!

『どうも、ありがとうございました。
美しい優美なものを残して下さって、
M. Swiss silk king, Gustav Zumsteg.』

僕はこの展覧会を日本へ持って来たく交渉し始める。
合掌:

参考サイト/
http://www.soiepirate.ch/english.html

初稿/2010年10月27日:

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