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C-KDI-10/桑沢全体講義デジュメ 2019年版;『意識し始めてください、「近代」の次なる時代を!』ー人間はなんのために存在すればいいのか?その役割とは? その三。

文責/平川武治:
初稿/令和元年5月20日:

*30年後の人間の存在と役割は?

➡︎今から30年後の人間の役割は何ですか?
 今後の人間と機械との関係性とは?
 私たちがここ数年で、私たちを繁栄させた重要な要素において、
機械が人間より優れていると信じるならば、
人間は今後, “何にを為せば良い”のでしょうか?
 今後の人間の存在意義とは?
あるいは、人間の役割とは?を考え直さなければならなくなるでしょう。
機械=A.I.を生み出した現代人の今後とは?
人間の役割とは何なのでしょうか?
 この新たな視点は従来の白人社会が学び持ち得た教養と夢と言う目的で
求め、築き上げた「近代」という時代の変革・変貌期に起こるべきして
起こる新しい波であり、新しい生き方そのものを
考える問でもあるでしょう。
 この根幹は世界規模の「個人と集団」と言う関係性の
新たなボキャブラリィーが読めます。
 その為の目線と価値観への広がり
そして、「共に思い合い感謝するこゝろ」を持つことが大切な要因には
変わりがありません。
 しかし、現代人が持つべきこのベクトルには
やはり、それなりの教養と自由の裁量と「LUXURY/贅沢」と言う
バランスが取れたフィルターも必需でしょう。
このフィルターがなければ、一歩間違えれば「遅れてきた集団主義」で
終わってしまう危機感は払拭できないのも現代です。
 これはフランスの「黄色いベスト」たちが連続化している集団デモ行為も危惧される要因であり、
今なお、”ポスト・近代”の不明確性を表すフィジカルな一面でもあろう。

➡︎人間は機械よりも優れていますか?
そして、機械と対峙する人間の今後とは?;
 機械は生活や長寿を気にしません。
これらはほとんど感情に基づいた欲求です。
人間が今まで生き延びてこられた特質の一つに、
「感情的な知性、感情を認識し、コントロールし、バランスよく表現する
能力そして、対人関係を慎重にそして感情的に扱う能力」が
他の生き物よりも高度に備わっていた為ですね。
 感情は幸福、愛、恐怖、怒り、憎しみなどによって育まれ、
この感情はあなたがいる状況や環境そして、一緒にいる人々によって
引き起こされ、高揚され、昇華されてきました。
これが構造化され、環境化されると「文明」と言われるものですね。
 取り敢えず、間違えない限り機械は感情を持っていないし、
おそらくそれらを必要としていません。
 言い換えれば、A.I.は彼ら独自の「文明」を構築する能力は
必要としない状況が、現在のA.I.に与えられた立ち居場所です。
 感情は私たち人間が持っている強い特徴です。
感情は、間違いなく私たちの生活を維持するものであり、
豊かさを知らせてくれるセンサーでもあるでしょう。
 しかし、私たちが感覚を使って解決する今日の問題の多くは、
実際には、データの問題であることを知りました。
 現在の視覚、音声、および触覚技術により、
機械はすでに、私たちの感覚の力を超え始めました。
 私たちが為せることは、”五感感覚”に依存しています、
イメージ、サウンドそして、タッチに関係しているのですが、
これらの行為は、今後も機械によって人間の並みの能力を超えた仕事を
より、うまくやってくれるようになるでしょう。

 あなたは日頃、何かに感動していますか?
自分が感動すれば、他者をも感動させることができますが、
自分が無感動であれば、他者を感動させることはできません。

➡︎機械は創造的ですか?
機械は適応可能ですか?
 機械はまだ人間によって「収穫された」力で動くモノです。
私が知っている限りでは、機械は少なくともハードウェア側で、
自分自身でマシンを作成できるマシンをまだ作成していません。
 物理サーバーはまだ存在する必要があります。
私たちは、「クラウド」は無限であると考えたいのですが、
実際のところ、クラウドは相互接続された物理サーバーに過ぎず同様に、
機械は自分自身で衛星を作成したり打ち上げたりすることはしません。
 今後、これらが決して起こらないと言っているのではありませんが、
おそらく今後、30年以内はそうではありません。
 現在の機械は幸いにして、まだミッションを創造しません。
与えられたミッションを従順にこなす為に創造されたモノです。
 人間が仕事と呼ぶものには必ず、「ミッション」があります。
“仕事”をやると言うことは最終的にはその「ミッション」を達成するための行為あるいは、方法論の一つですね。
ですから、与えられた仕事のミッションをまず、考え感じて下さい。
これが「仕事をする」ということです。

➡︎では、最後に人間の役割は何ですか?
 私たちは人生における私たちの目的は何なのかについては
まだ、合意していません。
 あるいは、目的それそのものが既に、変質してしまって存在しないかも
解らず既に、無関心になっている?
 それでも、人生の意味を探すことは生きる為の自己現実という
目的そのものになり続け、私たち自身の死にただ、恐怖感を与える
1つのアクセサリィーでしか無いかもしれません。
 私たちが、私たちよりも全てを上手くやるために機械に全てを依存出来る時代になれば、A.I.が私たちの感覚に頼ることの真意とは
どう考えられるのか?
 私たちはこれまで何年もの間「究極の種」として、地球上で
繁栄してきましたが今後、有史来初めてこの「称号」を保持し、
維持できることが困難になり
この名誉(?)を返上しなければならないかもわかりませんね。
 人間が生きることと、人間の為せる役割には差異があります。
例えば、私たちの生きる理由が
その地位や自我を維持することだけであったなら、
その理由は適応を必要とするかもしれませんが、
これは人間の役割ではありません。
 ここで、「人間が生きることと、人間の為せる役割」が
バランスよく同調するミッションを見つけられれば世界は
もう少し、知的に穏やかさとおおらかさで
人間が人間らしく生かされる世界になり、
人間らしい幸せを味わう人生になることでしょう。
 近代の人間たちが望んだ人類への最大の望みは、
機械が人間の生活を容易にするための道具であり続けることでした。
 これはまだ可能であると主張する人もいるかもしれませんが
残念ながら、今後はこれは非常にありそうもない
儚さでしか無い時代が順次やってくるでしょう。
 たとえそれが人間のための道具であり続けたとしても、
私たちがどれだけ、私たちの生活を
容易に、「することができる/するべきである」かには
既に、限界があることも認識し始めたからですね。

➡︎例えば、2030年、私たちが成長し幸福を見つける為の役割とは?
 未だ、過去の幸せメニューからその思い求め続けるのか?
或は、2030年以降の「幸せ」を新たにさがす/想像し、求め、生きるのか?

 「すべてが娯楽であれば、娯楽は何もありません。
すべてがうまくいけば、何も良いことはありません。
すべてが幸せであれば、幸せはありません。」

 過去の歴史において、あれほどまでに栄華を栄えた
ギリシャ文明やローマ文明とその後の世界中に起こった幾多の文明は
人間の業と思い上がりと自己顕示欲によって滅亡して来ました。

➡︎「人間が生きることと、人間の為せる役割」が
バランスよくシンクロするまでのミッションを自問自答する機会を。
 機械/A.I.はこの世界での私たちの積極的な役割を
徐々に置き換えつつあります。
 ゆっくりではあるが確実に、彼らは私たちを人々が
「マインドレスロボット」と呼んでいたものに変えつつあり、
 今後、注意しなければ、“機械/A.I.”が人類を混乱させ続け始める世界が
来るかもしれないでしょう。

 *「A.I.のためのシン・デザイン」という
新たなデザイン・カテゴリィーも考え始める時代性。

➡︎A.I.という新たなパートナーのためへのデザイン。
 たとえば、A.I.ロボットが動きやすい、作業しやすい進化しやすい、
あるいは、人間と共生しやすいためのデザインという
新たなカテゴリィーの世界を考えてみよう。
 “機械/A.I.”が擬人化するための“コスチューム”という
新たな時代のデザインも。

 *TOM Sachsとの対話。
➡︎「侘び」と「さび」の違いとは?
 「さび」とは華美や奢侈に対しての抑制的な静寂の美の概念であり、
「わび」は茶人の貧清な生活の中に求められた簡素な美のことをいう。
「寂しい」と「侘しい」の違いでもある。
 「近代」は既に終わっていると言うTomの意見。
そこから彼が見つけ出そうとする「何か」を「茶室」に求めた(?)。

➡︎西洋人と日本人の差異とは?
 ”一神教“世界の民族と“多神教”民族の違い。
“二項対立”からの解放、”Not & ”と言う視点。
 例えば、日本家屋にはかつて存在した「納戸」と言う空間。

 今後、この”ありうるべき、 DISTANCE"を考え合うことが、
新たな「近代」のための”リ ミックス?リ セッション”でしょう。

文責;平川武治。
初稿:2019年5月。

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