"TheLEPLI"ARCHIVES-41/ Azzedine Alaiaの実力とは? 2011-12/S&S コレクションから。
初稿/2010年10月19日:
文責/平川武治:
今日(10/17)は久しぶりで、既に、4年以上も彼のアシスタントをなさっている瀬尾英樹さんの仲介でAlaiaさんのショーをこうして見せて頂く機会は1年ぶり。
変わらぬ彼、”Azzedine Alaia”の総て。
ショーの構成、ショーそのものの考え方、お客さんの呼び方とプレス対応迄全く変わらぬ彼流の方法による自分の世界を彼のアトリエ内で、
ここ迄堅持出来るデザイナーも今となってはそう多くは居ない。
殆どがプレスに媚びるショーになってしまったこのパリのモードの世界。
彼の様な存在そのものが僕には先ず、興味と尊敬である。
当然だが、ショーの内容、即ち彼が創り出す彼の世界観と
その結果である作品群も礫として、”Azzedine Alaia”そのものでしかない。
彼の最近の仕事を見ていると、
以前にも書いたが、本当に腕のいい、修行を積んだ職人気質の料理人の仕事に通じる。
先ず、素材ありきである。
その素材でどれだけ自分の世界観を表現出来るものか、
そして、その素材そのものがクリエートされたものか?
そして、その素材が自分の世界観によって独自に加工されたものか?
まで拘って選ばれ加工された素材作りから入る。
次に、自分の出来る限りの技術によって、
得意なこなし方と挑戦するこなしがバランスよく1着の服の表情になって
創造される。
ここでは自分が持っている着せたい女性像がしっかりと主軸になった造形に挑戦している。
即ち、自分の服を着る女性の美意識が存在する。
そして、彼独特の、新しさ感即ち、革新に挑戦した造形も
細かいディーテールに表現し、見せてくれる。
後は、その女性が自分の美意識によっていい女になる大事な小道具迄が
完璧に完成されている。
大胆なデザインのアクセサリーとベルト
それに、当然の、定評ある靴とバッグである。
ここ迄、自分が使いたい素材から入って総てがまとめられると、
いい女性程、彼が表現する”Azzedine Alaia-World”ヘ委ねるしかないであろう。
僕が思う、日本人が想像出来る世界では例えば、
”北大路魯山人”の懐石の世界がある。
素材としての季節の新鮮な食材に
そして、使うべき器、盛り方、見せ方としての座敷空間と
その装飾、華、花器と香そして、書き物までの”しつらい”の世界観である。
当然、ここ迄の世界観であれば、
先シーズンでは、彼が得意とするミニフレアーの分量がデザインされた
スカートが4500ユーロしてもいいだろう。
これだけの素材に、先ず、彼の世界観と美意識が拘られていては
その素材の値段もそれなりに高価で、
彼の”美の世界”を買うのであるから、当たり前である。
ここで、先ず、Azzedineは、
若いデザイナーたちが使いたくても手も足もでない世界を
彼は創ってしまう。
この土俵が出来れば後は、もう彼の独壇場であろう。
この強さが、Azzedineの変わらぬ総てを創造し、産み出しているのだ。
先シーズンでは、ジャガャード-ニット。
今シーズンはパンチング-とニットレース。
彼が独立し、自分の世界観に挑戦し始めた80年代の始り、
その時、彼は伸縮性の強いニットジャージと皮革素材をメインに使った。
しかも、その皮革素材も並みの皮革ではなく、彼が吟味し、捜し、
より選んだものを更に、加工して使うことに努力をした。
ニットジャージはそれ迄は主に下着用にしか使われていなかった
寧ろ、古い当たり前の素材だった。
ここにも既に、彼の新しさへの気概がうかがえる。
彼のデザインの特徴は女性の身体の”曲線美”あるいは”躍動美”を
美意識の主軸にしたものである。
極論すれば、女性の身体が持つ曲線は総て、美しい!という迄のもの。
彼が大好きなデザイナーであるM.ヴィオネは
その女性の曲線美を布地に於けるバイヤス効果によるドレープで
ボディフットに委ねたデザインを彼女自らのボキャブラリィーとした。
シャネルはそこ迄行かずにもっと、
表層のボキャブラリーをリ-デザインして世に出た。
だから、Azzedine Alaiaは僕がインタビューした90年代始まりに、
”ヴィオネはクチュリエだがシャネルはスチリストだ”と言った事が深く、
憶い出される。
Azzedine Alaiaのデザインはその女性美を構築的なバイヤスカットで
分量を消去したデザインを服化した。
結果、”ボディコンシャス”を生み出した。
いわゆる、布地を使わず、布地の弛みを触らずに
皮革とニットを主素材として、
それらの素材が持つ伸縮性を、自らが学んだ”彫刻”からの構築的なトワレと
高度なカッティング技術に委ね、表現創造し彼の世界観を生んだ。
(後の、メルトン素材のこなし方も同じである。
ここでは彼の”パターンメイキング力”がそのポイントとなる。)
このいわゆる、鋏裁きが今もかわらず、Azzedine Alaiaらしさを創造し、
彼の世界観の特徴である。
例えば、巴里ヘ行き出したころのヨウジが彼をお勉強した事も頷け,
ここで川久保玲とのその後の差異を生み出したと言える。
布地が持つドレープによる女性らしさの大切な一つ、
即ち、セクシーさを彼は布を多く使わないで伸縮性の強い素材に委ね、
彼独自な彫刻的なマッス感覚でそれらの素材にいろいろな後加工を施す。
その結果、よりAzzedine Alaiaの女性像観が創造されるようになる。
東京に眼を向けると、
今の若い、特に海外の学校を出たというデザイナー擬きではしゃいでいる
”フアスト-デザイナー”の輩たちには
この素材に対するベーッシックな勉強と学ぶこゝろと機会が足らない。
海外の学校も素材を学ぶ科とデザインを学ぶ科が別の構造になってる。
アントワープ等は先生に全く素材に強い人がいない。
未だに、15年程前と変わらぬ、
形骸的なエゴセントリックさを増長させるデザイン教育でしかない。
あとは、彼らたちは自分たちの地場の素材としての言ってしまえば、
代表される”ユダヤ素材”のラシャ地やメルトン地が彼らたちの持っている
素材の得意領域でしかない。
だから,巴里やイタリーに声を掛けてもらって出掛けられるデザイナーは
今も長命であるがそれ以外は既に、7、8年で没してしまっている。
R.シモンズやA.F.それにTIM.はイタリーの素材に助けられ、
後は巴里へ移って日本素材を使っているB.ウインヘルム。
それに、以前からインド素材の安いものを上手に使って来た
D.V.ノッテンなど、等が生き残ってきたに過ぎない。
倫敦組はやはり、”アーツ&クラフト”を育ちのボキャブラリィーとした
プリントモノやテクノロジーに拠り所り、”サヴィルロウ”の技巧に委ねた
彼らが目指す革新性を見いだして挑戦している面白さを感じる。
『質屋の息子は眼が肥える。』
それなりの自分世界を持つデザイナーになる為にはこの諺は本意である。
多くの最近の帰国組、”フアスト-デザイナー”たちに見られる傾向は
いろいろなレベルと状況に焦っている。
為されたデザインが質の高い”ガーメント”に生産される
この大切なビジネスと継続のための”現場”とその”状況”と
彼らの”リアリティ”と”関係性”がほとんど無いに等しく海外から帰国。
大切な生き延びてゆくための”リアリティ”と”エディケーション”が欠如。
然も、お利口さんに”エゴ”のための勉強を本意と、国内プレスに
機会ある毎に登場する。
いつの間にかその世界で勘違いをしてしまったフアスト-デザイナーたち。
彼らたちの殆どが、
『質屋の息子は眼が肥える。』的謙虚なエディケーションが,
そして、人間性が不足している。
学校を出れば、しかも、海外の有名高を出たのだからと、
すぐにデザイナーになれると、大いなる自我による勘違いであるか、
周辺の誰もがアドバイスをしないで持ち上げるだけなのであろう。
だから、彼らたちには
素材に対する独自な感性と世界観は皆無。
そして、『服』というガーメントを縫製してくれる
その生産構造と状況に無知である。
もう一つの悲劇は、日本のデザイナーたちへの素材ビジネスのシステム、
『コンバーター』を通じてしか捜さない惨めさが
彼らの薄っぺらなショーの総て。
彼らはプロのコンバーターとコミュニケーションが取れる迄の
素材に対する経験から学んだ知識がないのがその原因根幹。
そうかと言って、産地迄も出向かない。
このアルチザンマインドの皆無さと
パクる事とブルことで誤魔化している彼らたちの育ち。
そんな、『同病、相哀れむ』の輩族を作っていても仕方ない。
ファッションとはもっと本来、”自由なマインド”の産物なはず。
彼らのこゝろは、いつも“豊かなる旅人”であって欲しい。
ここで、彼らたちと一線を引いて
“豊かなる旅人”で居る若者も居る。
独自のインデペンデントな立場で
『質屋の息子は眼が肥える。』を楽しみ乍ら
自心に正直に、謙虚に仕事に勤しんでいるのが菅谷鉄平君。
彼は日本人で最初にIT'S−4でグランプリをもらって
その後、セントマーチンからアムステルダムのアーネムインスチュードへ
移り、そこを卒業して異邦人が外国で暮らす為の多くの不公平な
煩わしさにも勇気と責任感でもって立ち向かい現在は、
イタリーの田舎のDIESELのアトリエで自分の信念に基づいて
黙々と持ち得た、職人的なこゝろを更に養っている彼も
もう、4年以上になるだろうか?
瀬尾さんの勇気と真こゝろに正直な行動と
自分の時間の使い方に
結果、
この世界でしか経験出来ないカオスに、
Azzedine Alaiaの世界で4年以上も共棲させてもらった事。
何処の学校でも学び、経験出来ない
『質屋の息子は眼が肥える。』を
その努力と辛苦と幸福さと他に、日本人が入れない程の
本当のヴァニティな世界を知ってしまった
選ばれたものの自信と
これからのたいへんさが
今後の彼のエネルギィーの総てに。
全く、新しい素晴らしさをこの青年たちへこゝろ念う。
ありがとう。
文責/平川武治:St.Couldにて、