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"THE LEPLI-ARCHIVES"/#148 『中里唯馬くんの新しきクチュール、「レゴブロック世代」の"Without- Sewing"の世界-その2。』
初稿 / 2016年9月28日:
文責 / 平川武治:
写真 / La Palais in Paris, YSL,P.B. & A.W.
「自らが持ち得た”差異”が全てのアイデンティティの根幹である。」
<第2部>
1)その彼が持ち得た他者たちとの「差異」とは、
先ず、彼の「生まれと育ち」にあろう。
ご両親は自分達が持ち得た「美意識」を差異として、営みに必要なる環境を自分たちが信じるその「美意識」と「価値観」に委ね、自分達で想像し、造形し作り足してゆくという
「生活環境」そのものを生み出してこられたご両親である。
彫刻家であるお父さんは”家”という生活住器を、お母さんは”生活雑器”と”食物”を
それぞれが担当分担した生活環境で大事に育てられた。
この彼が持ち得た”風土”としての”生まれと育ち”はこの世界の、この時代感ではとても
恵まれた大切な根幹であり、当事者しか持ち得ない「差異」そのものである。
”表層の豊かさ”すなわち、物質的豊かさの環境を持ち得た人たちがこの世界に憧れも含めて入って来やすくなった現代という時代性でのものを作る世界では、どこか人間個人の"癖”が
必然な世界でもあるからだ。
ある時代までは”逆境”という差異状況が一つのエネルギィイを生み出す時代環境だったが、現代の日本社会の日本的なる豊かさで生まれた”液化状況社会”に於いては当然ながら
”生まれと育ち”が新たな「差異」を創造する。
2)例えば、戦後の”帰化人さん”たちは、
自らの新たなその立ち居場所を彼らたちの”根性”と”ガンバリ”で、倫理観乏しく金と名誉を
求めてきた成功例が戦後の日本のファッション界には案外多い実情でもある。
また、最近のファッション・ブランド学校の卒業生では、家業の”ふとん”を100%利用し、
”ふとんカバー”をネタにのらりくらりと虚言と親の金の力で卒業した輩もいれば、
新興宗教の古物商で育った輩はやはり、新興宗教の世界に委ねている。
例えば、民族的視点で見る「作り手」をカテゴライズすると、その特徴は、
”自然と四季”に共棲して生きてきた農耕農民中産階級の出身者たちは何か”在るモノ”が
なければ生み出せない「うつし」が器用で繊細であり
又、職人の息子たちは職人的集中力さと器用さと細やかさと頑固さでプライドを持っている。
これらはいい意味で日本人的なる精神癖であり強みであり、これらがその後の"モノ作り"に
大いなる影響をもたらしている。
よって、自分の”生まれと育ち”をよく吟味することも自分世界を創造するためには
大いなる自身の「差異」であり、根幹であり、この育ちを偽って為されることのすべては
”本物”ではないだろう、世間では「努力」とは言われるが。
どこかで、自分ではやっていないことをやっているというなりすましの不安感が横切るが
実際には、これらが”ガンバリ”になっていることも現実であり、
そのレベルが日本のファッションデザイナーたちの現実を生んでいる一端がある。
3)「自由」とは身勝手なことをすることではなく、
本来は”自心のこゝろの有り様”を正直に行為することなのであるからだ。
例えば、ファッションを学んできた人たちが「アート・コンプレックス症候群」に陥る原因はこの「自由」の根幹を理解しないまま表層で成長した戦後の”遊民”人種たちの求めであり、
彼らたちはつかないでいい”小さな嘘”を纏い付くメディアへつき始めてしまう。
僕が思う「創造する」とは、自分の好きな世界で、自分の”世界観”を生みの苦しみと共に
為す行為である。したがって、このような時代では自らの「風土」である”生まれと育ち”で
ある持ち得た自らの"差異"と”アイデンティティ”そのものが大いなる武器にもなり得るという
ことだ。
これを意識して、現代社会では新たな若い人たちの間で”風土回帰”としての
”ふるさと創生”が新たな価値になり始めていることは嬉しい動きと読める。
例えば、巴里のモードの世界はこのようなそれぞれの”階級社会”との関係性から
メティサージュされた美意識と技量と教養が備わっていなければならない”職人”たちが
現実を築き上げてきた世界だった。
しかし、この巴里の世界がそれぞれの「マーク・ブランド」さえ付いていればメディアが
喜ぶという”俗物世界”へ資本力によって変革してしまったのが現代の巴里のモード社会の
負弱性でもある。
4)話を、中里唯馬くんに戻そう。
彼には、モードの世界ではない世界での”特技”がある、”ヨーヨー少年”だったのだ。
この世界でチャンピオンにまでなった経験を持っている。
これとは、「自分の好きな世界で、競い合ってそして、見られることの世界観を体験している」と僕流には翻訳できる。
したがって、彼には既に、”見られる”ことがどのように人間の心にある種のエネルギィイを
生み出すか、あるいは、与えられるか?
即ち「見られる快感」とはどのような根幹なのかをも知っている。
その彼が今度は、”見られる人”のための世界を作り出す道として、
ヌーヴォー・クチュリエの世界を選んだのだろう。
5)それが、今の彼の収入源である「ステージ・コスチューム」作りである。
クライアントの「見られる」という場合の”立ち位置”や、「歌う」という時の”身振り”とは?
などを彼の目線で読み込み、これを為すことでも、学ぶべきことは学び、自分の世界観の中にひとつのスキルとしてまた、技術として受け入れているのも中里唯馬である。
ここにも前述の僕なりの簡略な「風土」論が存在してる。
多くの日本人デザイナーたちはこの「見られる快感」をあまり実際に体験していないで
ただ、「自己顕示欲」のみでそれなりの格好付けをして粋がっている輩がほとんどである。
自分たちのセンスの悪さや洗練さのない行動そして、「フェミニズム」も理解されていない
男たち、など等、、、
唯馬くんが出発した彼の「世界観」はこのように僕的な読み込みをすれば彼としては、
当然の立ち居場所であろう。
6)1枚の塩ビシートから始まる彼の新しさとしての、
「without sewing」というコンセプトで生まれた”モード・クチュール”には
”今後の可能性”が沢山詰まっている。
自分たちが覚悟を持って堂々と掘り下げて行けば、多くの新しい鉱脈が発見されるだろうし、
この世界がこれからの「あたらしい自由」の好奇心ある世界の一つへ繋げるであろう。
今回の彼の作品を”フォーマット”化しそのバリエーションをより、新たな感覚でまとめると
無数の彼の「風土」から生まれた世界の可能性と新しさが生まれるだろう。
この世界はまた、もう一つの世界、ファッションでは珍しい、”コピーライト/特許”へも
届くであろう。(イッセイミヤケの”プリーツ・プリーツ”はこの例である。)
”一つの物質”である素材に新たな加工を加え新しい顔つきにする。
その”1枚”のシート状のモノを立体化する。
そこへ無尽蔵なまでのカットワークをレーザー・カットで入れ込み、これを”3D”化する。
それを一片のピースとして、レゴブロックのように人体に構築してゆく。
着る人間の立ち居振る舞いのバランスを考え動きを美しさへ変革させ構築してゆく。
これらの行程はまさに、「フューチュアル・オートクチュールの世界」そのものであろう。
日本に古くからある「折り紙」の世界や西洋の「ペーパークラフト」の世界の合体と、
”古いローテックな手法”と、PCを使っての”ハイテックな手法”と、
人間個人の”パーソナルな感性と技術”をハイ・ブリットさせたところで生み出される
彼の、「あたらしい自由」によるこの世界に期待したい。
創造の世界におけるこの「あたらしい自由」のための数式とは、
「ヒューマン・テクノロジー+サイエンス・テクノロジー+パーソナル・エクスペリエンス」であろう。
7)「現代社会における”鎧”や”甲冑”とは?その新たな優しい必然性とは?」
ここに、今後のモードの新たな可能性が垣間見られる。
例えばかつての、女性にとっての「コルセット」はその時代においては
一つの、”鎧”や”甲冑”であった。
では、現代社会から俯瞰可能な未来社会における”鎧”や”甲冑”とはを考えると、
「身体に着せるとは、肉に着せるのか、骨で着るのか或いは、皮膚に着せるのか?
または、プライドに着せるのか?虚飾に着るのか?立場に着せるのか?」
そこでもう一度、モードの世界も、”生まれと育ち”としての「風土」であるこの根幹を
再考する時代性が「あらたな自由」への始まりのように感じる。
そして、ここからモードの面白さや凄さが再び始まる。
この根幹にはやはり、”歴史的衣装”や”民族衣装”の知識があるだろう。
消費社会の豊かになった生活のための”生活衣料品”は、2000年来のグローヴァリズムによる「ファッション・クローン」である”ファスト・ファッション”に委ねればいい。
ありがとう、中里唯馬くん。
来シーズンも君の「あたらしい自由」の世界を見せてください。
文責/平川武治。
初稿 / 2016年9月27日。
8)追記 / 僕にとってはとても残念無惨な現在が、
この「レゴブロック世代」のクリエーターだった中里唯馬くんのその後の動向は、
3シーズンほどのこの”レゴ・クチュール コレクション”後全く、方向性が変わってしまった。
ある意味で、価値観が変革してしまった。
僕が調べた結果は、ある”サスティナブル素材”を売り物にしている山形の企業が彼を
サポートしたことによって作風もコンセプトも「創造のための発想」までもが、
全く変わってしまった。
現在の彼のパリのクチュールコレクションに参加しての彼の創作活動は失礼だが、
全く、クソ面白くもない、残念だが、「安全牌の上での道化師」様でしかない。
この彼が初期に持ち得ていた”情熱と興奮と好奇心と野心さ"が全く持って、
去勢されてしまった立ち居場所で継続されているに過ぎない現在の彼のコレクションである。
追記/ 2024年12月記。
文責/ 平川武治。